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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
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「こちらです」

「ですが……」

「見咎められるかもしれない、と?」


 微笑ましいものでも見るようにユニさんは笑うと、「いいんですよ」とだけ言う。

 そうして平気な様子で屋敷内の門を通り行き、こちらを向いて立ちどまる。


「門を越えなければ、地下室には行けません。踏み出さなければ望むものに近づくこともできないんです」


 ユニさんが俺に向けて手を伸ばす。

 その無邪気な仕草は、とってくれることを望んでいる様子だった。

 子どもがはしゃぎ先に行き、振り返って自分の両親を待っているときのように。

 来てくれるだろうことを決して疑っていない親愛に溢れた、当人にとっては当然の結果をただ待っているだけの間──そのような情景。

 ……不思議な比喩だ。子がいないことの確かな俺にこんな景色が差し込むとは。

 

「それともエンジュは、ふふ」


 声は弾み、笑顔は明るく。

 充足と幸せのみがある余白。


「いつまでも待ち焦がれ続けたい?」


 気安く、彼女は問いかける。


「見るだけで、願うだけで、祈るだけで満足?」


 そうではないだろう、と暗に言う。

 あなたなら踏み出せる、という確信に満ちた眼差しで言うのだ。

 信用、信頼……彼女の俺を見る眼に湛えられているのは大きな期待だ。


「愛おしい人には、自分から会いに行くものですよ」


 真っ直ぐに、二人分の視線を受けている。

 一人は期待を、……もう一人は憐憫を。


「たとえその場所が、この世と分け隔てられていたとしても」


 ──……。


 口をつぐんだ幻は、やはり俺を憐れみの眼で見ている。

 きみの存在、視線、感情は俺の思考の反映であり再認識以外の意味を持たない。

 きみが俺を憐れむのは俺が俺自身を憐れんでいるときだ。

 みっともなく惨めで情けない自己愛の途方もない不愉快さに浸り、ひどく不味い、なのに中毒性の強い自己憐憫を味わっているときだ。


「……」


 考えていても仕方がない。

 見咎められたとてどうでもいい。

 俺はきみを生き返らせる。


 ──よしまさ。


 (きみ)じゃないんだ。……悪いが。

 

「……」


 ──答えなくていいよ。こっちを見なくてもいい。というか見ないほうがいい。


 門を踏み越える。


 ──死んだ人は、どうやったって生き返らない。


 あっけなく、何かに阻まれるものでもなかった。


 ──それでもきみは、私を生き返らせたいと思っている。


 ただ、俺の意思ひとつの問題だったのだ。

 進めなくしていたのは俺だ。歩めなくしていたのは俺でしかなかったんだ。


 ──……ごめんなさい。はっきり、言う。

 

 意思を決めたから、一歩を踏み出せた。

 ……ひどく嗤える錯覚だ。まるで自分の意思があらゆる人倫道徳に勝る権威を持ち合わせているかのような傲慢さが見える。

 この一歩は、他人様の屋敷に不法侵入しているという事実から目を逸らせる遵法意識の欠如からくる一歩だというのに。


 ──きみを不幸にしてまで、私は生き返りたくない。


 ……やはり待ち続けるユニさんのもとへ近づく。


「さあ。いきましょうエンジュ」


 彼女は俺が並んだ時にようやく、歩き始めた。


「あなたの望むすべてを、叶えるために」 


 沈黙する幻は、変わらず俺を見ている。

 涙をこぼしながら俺を睨みつけている幻は、誰の気持ちを反映しているのだろう。

 ……幻は幻だ。無は無だ。きみが立っている場所には、真実、何もない。俺以外の可能性を検討するのは無意味だ、と……分かって、いる……いはする、が……「エンジュ、どうしたのですか」


「いえ。何でもありません」


 〝何もない〟を深堀した先に何かあるとでも思っているのか?

 あれは幻、俺の瞼の裏に焼き付いた悪夢だ。

 この先サカシマイオリを何事もなく(何事もなく!)生き返らせたとしてもなお消えないだろう生涯の傷だ。

 そのまま俺の願いを否定し続ければいい。俺の行いを拒絶し続ければいい。

 目的を遂げる途上で自分自身がノイズになってしまわないという呑気な希望的観測を潰す……きみの姿をとってまで、そうまで俺を止めようとする自らの怯臆を踏み潰す良い機会だ。

 (お前)は、何に怯えている? みっともなく、情けなくいったい何に。



「では、どうぞ」


 たどり着いたのは屋敷内の一角にそびえる塔であり、ユニさんはさも当然のように扉を開いた。

 鍵はしっかりとかかっていた、はずだ。だがユニさんが扉の隣に取り付けてある白色の端末に手を差し込むと、電子音とともに解錠の音がしたのだ。


「……」


 俺の疑問など想定していたのだろう、ユニさんはにこりと微笑むと、


「少しびっくりするものがあるかもしれませんが、気にしないでください」


 他人の敷地内で他人の建造物を解錠できたことの説明ではなかった。

 これからこの先、俺を待ち受けているなにか〝びっくりするもの〟の前もっての提示だった。


「あなたに害を与えませんから」

「それ、は」


 それ、としか言いようがない。それら、なのかもしれないが。 

  

「俺の……目的の、根拠に、関係してくるものなんですか」


 何とも漠然とした言い方だろう。

 サカシマイオリを生き返らせる手段に影響するものなのか、と言いたかったのだ。

 そう言わなかったのはなぜだ? 後ろめたいと思っているのか、まだ。

 あの愚か者を憐れむあまりに涙を流している幻を慮って?


「……」


 ユニさんはすぐには答えず、考えを巡らせている様子だった。


「産物、でしょうか」

「産物?」

「ええ。意図はしていなかったのですが、結果的に有用な働きを示してくれました」

「……」


 何のことだかさっぱり分からない。


「つまり、関係している、ということです」


 イオリを生き返らせる根拠に関係してくる、〝少しびっくりする〟何か。

 まず、見ないことには正確に判断ができない

 

「視界に入れたら、すぐに異常さに気づきますよ。あ、これのことか、と腑に落ちます」


 にこりと言うと、ユニさんは「入りましょう」とノブを握り扉を開けようとし、「ああ、そうです」俺を振り返る。


「この扉は、あなたも解錠できます」


 なぜ、と聞く瞬間なのだと判断した。


「どうしてですか」

「どうして、とは。あなたが解錠できることですか? それとも私がこの扉を開ける権利を所持していること?」

「両方です。俺が開けられる理由も、あなたが開けられる理由も分からない」


 俺の疑問を受けてもユニさんの笑みは崩れる様子はない。

 問われる想定こそ、とっくにしていたのだろう。ならば答えも用意しているはずだ。


「そもそもがここは他人の敷地だ。涯渡、と言いましたか、その人たちの敷地内です」


 無関係な涯渡家の一族の敷地内で、どうして俺のための鍵が用意されている?


「疑問に思うのも当然です」


 ユニさんが扉を開け切る。

 光が差し込んだ先には……狭苦しい、無機質な空間があった。


「結論から、考えましょうか」


 言いつつ、ユニさんが先に中に入る。

 電灯が自動で灯った。センサーの類のようだ。


「エンジュは、涯渡家の敷地内にある、涯渡の者しか開けられないであろう扉を開けることができる」


 彼女に続き中に入り、扉を閉めた。


「涯渡家は無関係、というのがあなたの認識です」


 明かりに満ちた空間の真ん中には、階段があった。

 地下へ行くための階段が。


「事実として、無関係な涯渡家の扉をあなたは開けられる」


 ユニさんが下り始める。

 俺はそれについて下る。

 下りた先には扉が見えている。


「結果が示すのは、簡単な一つの事実ですね」


 ユニさんが開ける、様子からして鍵はかかっていないらしい。



「あなたは、涯渡家と関係ある人間です」 


 

 扉を開けた前方は即座に行き止まりで、右側に通路が延びていた。

 左側は前方と同様に行き止まりだ。そうしてあれは……()()か。()()()()()()()()()()()()


「驚きましたか?」

「……どちらのことを聞いているんですか」


 俺が涯渡家と無関係ではないという信じがたい根拠の薄い事実をか。

 それともあの、()()を……どこかの廊下みたいなこの通路の上にへばりついた黒々とした何かをか。


「どちらも、です」


 ──なに、これ。


 すでに廊下の先にいるきみも、驚き見上げている。


「……どっちにも驚いています」


 細胞のように見えた。

 真っ黒な神経細胞だ。

 黒々とした樹状突起があり、軸索が伸びている。

 生きているかのごとくに廊下の天井にへばりつき、核にあたるだろう部位が動き、蠢いている。

 大きさは……、真下にいるきみ一人を包んだほど。

 子ども一人が包まるほどの大きさだった。


「あれが、産物です」


 伸びている軸索が、他の神経細胞の突起と結びつき、シナプスを形成している。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……繋がっている細胞(らしき何か)が、四つ。


「誰も意図していなかった、実験結果のひとつ」


 ミクロの世界にあるはずの細胞が、塔の地下に蠢いている。

 これが現実的な光景だと云えるのか。

 

「おや、ゲジが。どこから入り込んでしまったのでしょうか」


 多脚の虫が、いそいそと廊下の壁を歩んでいる。

 まだ世に生を受けて間もないのだろう、六対ほどの脚で、今いる場所がどこかも理解しないまま無意味に壁を伝っている。赤いインクでも踏んだのか、赤い足跡をつけながら……『マリ、トウマ、ツバキ、カレン』……赤い足跡が形作る名らしき文字列の中には、俺の知る友人たちの名もあった。幻覚であるに違いない。


 ──ねえよしまさ、やっぱり今から引き返したほうがいいよっ……。


 きみが見えているのに今更だ。赤い足跡が文字に見えるぐらいはあるだろう。

 それだけのことだ。ああそれだけのことだ。目の前にあるあの黒い異常と比べるべくもない平凡な光景。


「エンジュ」


 名を呼ばれる。


「あれらは、化け物に見えますか」


 問いかけられる。

 あれらとは、あの黒々とした細胞のことだろう。

 子ども一人ほどの大きさで、天井を這い、蠢き、伸びた軸索で互いに繋がる異常な姿。


「……」


 化け物に、見える。

 だが、……ユニさんにそれを言うのは(はばか)られた。


「……生きているように見えます」


 共にあの黒い細胞を見るユニさんの横顔は、眉がさがり、口を引き結んでいた。

 哀しみだ。ユニさんはあれらを見て哀しみを浮かべている。


「あれらに意思はあるんですか」


 あれらはあなたを哀しませる理由のあるものなのか。


「……ない、はずです」


 もう、とユニさんは言葉を結ぶ。

 もう、ない。すなわち()()()()あった。

 あれらには()()()があったのだ。


「……」


 化け物とは呼べない。

 ……いや、そんなに弱い感情ではない。

 内から起こるこの思いは……怒りに近い。  


「行きましょう、エンジュ」


 あれらを、化け物と呼ぶな。

 お前は、お前だけは、俺だけは……絶対に、そう呼んではならない。


「この地下にある部屋は三つ、いずれもあなたに説明をいたします」


 天井のあれらから視線を俺に戻したユニさんはそう言うと、歩き出した。

 あれらの下を通りぬけ、扉のひとつに向かう。一番奥の扉かららしい。


「案内いたします、あなたをその望む先まで」


 途中、小さなゲジは一つの黒い神経細胞に近づき、そのまま呑み込まれていくのが見えた。

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