化ケ屋敷(夜)
一時期、よしまさが学校に来なかった時期がある。
確か、中学の二年生ごろだったような……梅雨に入ったか入らないかぐらいの時期に休み始めて……でも夏が終わる前には来るようになっていた。今考えるとそんなに長くないけど、そのときの私は何年も待ったような感覚だった。だって来たとき本当にうれしかったし。
自宅謹慎だってさ。
いや停学になったって聞いたぞ。
いやいや退学になるかもしれないって話だ。
よしまさが休んでいるとき、教室の中ではそんな好き勝手な噂話が飛び交っていた。でも実際によしまさがどういう理由で休んでいるのかを知ってる人はいなかったと思う。私たちも何なのか全然知らなくて、よしまさの家に行っても、私もとーまも会わせてもらえなかった。
よしまさのお父さんやお母さんはいつも通りに私たちと接してくれたけど、『もう少し、由正は休む時間が必要なんだよ』そう、私たちは優しく拒まれた。『花蓮ちゃんも冬真くんも来てくれて本当にありがとう。これからも由正の友人でいてくれると、私たちも嬉しい』
そんなの当たり前じゃん、と。
言われなくてもわかってるよね、って。
帰り道、私もとーまも言い合った。よしまさが何をしようと、どんなことがあっても私たちは友達同士だ。あでも。友達、ともだちかあ……。あー……友達かあ……まあ、まだいいや。考えないでおこ。うん考えないに限る。なんかこわくなってくるし。なんだかかなしくもなるし。どうしてだろう。ふかく……深く、考えたくない。
「実際、何があったんだろうな」
「分かんない」
「花蓮が知らないなら、俺が知る由もなし」
大人ぶった言い回しでとーまが口をへの字にする。
よしまさに会えなかった帰り道で、私もとーまもとぼとぼと歩いている。
私たちは何も知らない。でも、なんとなく分かっていた。よしまさには、なにかつらいことが起こった。たぶん学校とは関係のないところで。
だからいまはゆっくりと休む時間が必要なんだ。
ゆっくり休んでね、よしまさ。あなたの安らぎのためには、いまは私ととーまは近寄らない方がいいみたい。正直、歯がゆいけど……すごく、あれな気持ちではあるんだけど……なんというんだっけ、フンマンヤルカタナシ、だっけ。ん? ムネンキワマリナシ、だったっけ? んう。まあなんかそういう気分ではあるけど……何も、よしまさが背負う必要はないから。あなたを不幸にするものなんて私たちで追っ払ってやるからっ。まあ相談してほしさはとんでもなくあるんだけど!
「だってよおカレン。俺たちは残りたくて残ったんだぜ」
「そうだね。私たちは放っておけなかった」
とーまの言葉に、私は同調する。私たちは何の話をしているの? ここはいつで、いまはどこで、私たちはどこへ向かって歩いているの? 私たちの向かう先はどこ? わたしたちはどこから来たの?
「花蓮?」
「んえ?」
「ぼーっとしてたぞ。大丈夫か? お前由正のこと考えすぎか?」
「うるさいな」
そうだ。いまの私たちはよしまさの家に行った、その帰りだ。
「小比井のやつも、かわいそうだよな」
「うん……イヤだよね、ほんとに」
ミイちゃんが飼っている猫が、誰かにさらわれたらしい。
いま、月ヶ峰の街には動物殺しがいる。卑怯で嫌なヤツがいる。だからミイちゃんの可愛がっていた仔猫は……考えたくない。腹が立ってくるし、悲しくなってくる。誰かの身勝手で、自分の大切な存在が壊されるなんて嫌だ。ゼッタイ嫌だ。
それにミイちゃんはひとりっこだ。白い仔猫を飼うことになって、自分よりも年下の家族ができてあんなに喜んでいたのに。ひとりっこ? あれミイちゃんってひとりっこだったっけ?
「花蓮?」
「んぁい」
「『んぁい』じゃねえんだよな……。お前ほんと今日ボケっとしてるな。頭の中由正でいっぱいか?」
「わるい?」
「い、いや……悪くはねえよ。すげえなってリスペクトしてる」
「心配だからしょうがないでしょ」
「まあそうなんだけどよ……まさか開き直られるとは思ってなかったぜ」
そうして夏がどんどん暑くなってきた頃になって、よしまさがまた学校に来るようになった。
「気をつけろよ。花蓮」
「分かってるよ。とーまもよっちんもさ、二人してそんなに私の耳にタコをつくらせたいの?」
「本当に危ないから言ってんだよ。由正も俺も……由正のやつも今日、なんか用事があるってんでいっしょに帰れてないけどあいつもお前のことすげえ心配してたんだからな」
「ふん。平気だって。そんなに私は危なっかしい? 心外っ」
そして動物じゃなくて、人が死ぬようになった────────────────夕暮れの夢を見た。夏の夕暮れ……歩道橋の上で、私の大切な人が茜色に笑っている夢を見た。
「……」
夢の内容はよく覚えていないのに。懐かしくて、何かが心配でたまらなくて、誰かのことが放っておけなくて……最後に悲しくなったことだけは覚えている。だからなのかな。眠りながら私は泣いていたみたい。粒が目の端に残っている。
「────────ッ!!」
「ッ!?」
誰かが、叫んでる。めちゃくちゃびっくりしたんだけど。なにが起きて……暗い。目を開けても、開けていないみたいに暗い。ここはどこ? 私はどこにいるの? ……私はどこにいたの? 私はどこからきたの?
「────────ッ!!!」
叫ぶこの声は誰の悲鳴?
なにも分からない。私は……私は、鷲巣、花蓮。そうだ。鷲巣花蓮だ。月ヶ峰市に住んでいて、或吾高等学校に通っていて……大事な家族がいて。大切な友人がいて。
「────────ッ!!!」
まだ、叫んでる。そんなに叫ぶと喉つぶれちゃうよ。
一人の悲鳴じゃないみたい。分かりにくいけど、悲鳴が綺麗にシンクロしている。まるで同じ人が、同じ状況で、同じ事態に同じ金切り声をあげているみたいに。
しかも悲鳴はそんなに遠くじゃない……ぼんやりと、扉が見える。少し、開いてる……? あの少し開いている扉の向こう側からだ。すぐ近くとも言えるのに、あんまり怖さはない。寝起きで意識がボーっとしているのもあると思うけど……。
暗闇に目が慣れてきた。
窓が開いてる。生暖かい風がかすかに吹き込んでくる。雨が降るすぐ前の、湿った土の匂いがする。帰るときにはもう降ってるだろうなあ。ああいやいや、もう帰ってきてるんだった。…………違う違う。何言ってるの私。家は明らかにここじゃないでしょ。こんな殺風景な部屋じゃなかったよね……机の上には大切な友だち(……)と昔いっしょに無理やりに撮った写真が入った写真立てがあったはずなのに、ほら、無い。ここは私の部屋じゃないんだ、間違ってもそんなわけがないんだ……あれ? 机の上に。なんだろ、鍵?
「……208号、室」
この部屋が、208号室。お父さんといっしょにいた、私たちのお母さんの部屋……まだ、私、寝ぼけてるみたい。先輩をお母さん扱いしかけちゃった。正気の沙汰じゃない。私のお母さんはちゃんといるのに。
悲鳴は止んでいる。叫び疲れたのかな。疲れるよね。あんなに叫んだら。何に驚いたんだろ。どうしてあんなに叫んでいたんだろ。きっと、とんでもなくびっくりするようなことに遭遇したんだ……自分と同じ人に会ったとか、かな。ドッペルゲンガーみたいに。ふふ。
「そんなわけないか」
そんなわけ、ないよ。
「……はあ。よっちんのやつ、いま何してんのかな。すやすやとおねむなのかな。私はこんな暗いどこかも分かんない部屋にいるのにさっ」
延寿、由正くん。私の大事な友達(友達……)の、ひとり。
「まあいいけど。そのままぐっすりで夜を明かせばいいさっ。そうして何事も無かったのようにいつも通りの毎日を送りなよっ。のうのうと幸せに生きなさいってのっ。私のことなんて置いてけぼりにしてさ、ふんっ」
どうしてだろう。
「……よしまさ」
今とても、私はあなたに会いたくない。
「絶対。絶対に」
あなたを不幸にする何者も、私はあなたに近づけたくなかった。
「来ちゃ、ダメ」
だから私は、あなたに近づきたくない。