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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
143/165

お屋敷(夜)

 サロンから廊下へ出ると、途端に静寂に包まれた。


「薄気味悪いな……」

 

 すぐ横で、伊織が呟く。

 張り詰めたような無音が満ちている。赤い絨毯の敷かれた廊下は無機質で、真夏が目前に控えているのに延寿は確かな肌寒さを覚えた。天井から明かりを落とす電灯も白々しく映る。


「行こう」

「あ、ああ……」


 周囲を落ち着きなく見回す伊織へ声をかけて、延寿はエントランスのほうへ歩き出した。サロンは一階にあり、客室のある廊下は二階だ。ここから一番近いのがエントランスの階段であるため、そこをまずは目指し、階段を上り、客室へ向かうのである。短い道のりだ。


「ほんっとにもう、あいつらどこ行ったんだよ」


 広々としたエントランスホールへ出た時に、伊織がそんな文句を吐いた。吐きつつもその視線はホールのすみずみを警戒している。あまりにも、屋敷内は静かだった。

 

「なにか事情があるのだろうがな……」

「あるなら言うべきだろ。なんのために口がついてると思ってんだっての」


 悪態を吐く口は、その視線は、延寿へ注がれ、


「お前もだよ」


 矛先は延寿へ向いた。

 今は二人きりだ。他者に知られたくない話題をするに相応しい状況だ。だから伊織は水を向けた。不安を解消させるための会話、その糸口となるように。


「いつも、俺の言葉からは詳細な説明が欠けている」


 そう言いたいんだろう、と延寿は伊織を見る。心理的な距離があり、深い溝があるように伊織には感じられたのだろう。だから、その溝に多少乱暴な物言いになってでも橋をかけようとした。そうする理由は別段複雑なものではない、ただ、心配だから。


「あ、ああ……分かってるじゃんか」


 真剣……というよりも冷然とした延寿の言葉に、伊織は気圧された。決して当人にその意図はないのだろうけど、ふとしたときの延寿の眼つきが情に欠けている明確な瞬間は確かにあった。


「もとは俺からもちかけた話だ。俺はきみに詳しい説明をする義務がある」


 今のように。


「かたっくるしい物言いだな……」


 口は挟んだものの、伊織は延寿の次の言葉を待った。


「幻覚が視えて、聴こえる」


 延寿の言葉は簡潔だった。


「…………お前が?」

「ああ。視界に血のように赤い文字が蠢くときがあった。さっきサロンにいたときに笑い声も聞こえた」


 話す内容は冗談のようだが、延寿の表情がそれを否定する。それに伊織とて、さきほどの延寿の狂態を見ている。何かを凝視する姿、何かに驚く姿……何かを悲しんでいる姿。血のような文字。笑い声。それらを視、聴いただけで……ああも、打ちひしがれた眼をするのか? まだこいつは、視えたものすべてを話していないんじゃないか? そう、伊織は思う。思うが、口にしない。


「いつからだよ?」

「小比井に首を斬りつけられて、病院で目覚めてからだ」

「そんな……」


 前から。なんで言わなかった。どうして説明しようとしなかった。

 不満は次々湧いて出るが、伊織はそれらを押し殺した。ご本人様も自覚の通り、目の前の鉄の塊は常に言葉が足りない。言葉にするだけマシなのだと、伊織は自身を納得させる。


「少しだけ触れたが、204号室、俺の部屋のテーブルの下に血痕が見えた。それが俺の視覚異常によるものなのか、現実に存在するものなのかをきみに確かめてもらいたい」 


 そう言うと、延寿は吹き抜けの階段へ歩き出す。二階の廊下へと向かうために、さっさと。まるで伊織と向かい合う時間を忌むかのように。


「お、おいっ」


 置いて行かれそうになった伊織は慌てて延寿の腕を掴んだ。


「……どうした?」

「っ……」


 振り返る延寿の眼は、邪険にこそしていないものの己へ向ける関心が皆無のように伊織には感じられた。納得はいく。大切な幼なじみは消えて、幻視と幻聴がある今、それ以外のことに興味を向けられる余裕なんてないのだ。伊織は自身を納得させる。


「ほ、ほんとうにさ、お前、大丈夫なのか?」

「平気だよ。幻覚が俺を殺すことは無い」


 行こう、と延寿は再び歩き出す。伊織はその後ろを無言で追いかけ始める。望む通りに、現実か幻覚かの判定装置として、自分は機能してやろう。そう心中で皮肉を吐く自分自身を蔑みつつ。



 延寿たちが二階の廊下へ来ても、人の気配はまるでなかった。無人の屋敷を歩んでいるような錯覚すら覚えた。サロンに残っている三人以外に、もしや今、この屋敷内には誰もいないのではないか。


「……」

「なあ、延寿」

「なんだ」

「生徒会長サマや風紀委員長サマはさ、本当に今この屋敷の中にいるのか……?」


 伊織も同じことを感じたのか、そもそもの紗夜や椿姫の所在を疑ってかかっている。確かにいるはずなのに。清身と上分の使用人二人組もいるはずなのに。気配がまったくないのだ。

 本当にいるのだろうか?

 もしや、自分たちだけが異界に飛ばされでもしたのでは?

 そんな思考が頭を過り、延寿の口角が僅かに歪んだ。あまりにも馬鹿々々しい憶測を生じさせてしまった自嘲だった。幻覚は俺を殺さないと伊織には言った。その言葉に確証は無かった。視覚、聴覚と機能が異常を起こし、次はどこがどうなるのか分からない。だが、決意だけはある。危害だけは絶対に加えない。誰にも。「……」自分自身がどうなったとしても。決して。

 やがて、客室のある廊下へと到着した。


「きみの部屋からだ」

「うん……」


 伊織が荷物を置いている203号室のほうが近い。

 203号室の前まで二人は歩き、伊織がポケットから鍵を取り出し解錠した。


「きちんと待ってろよ」

「当然だ」


 伊織が室内へ携帯を取りに入っている間、延寿は扉の外で待っていた。

 時間にして、一分にも満たないようなその時間、に。


「……」


 ふと、発見したのである。

 203号室の向かい側、207号室。

 一部屋だけ無人のその空き部屋。夕食前は、ノブに鍵がささったままだっ()


 現在、目の前にある扉には、ささっている筈の鍵がない。


「お待たせ。うん? どうしたんだよ」


 恐る恐る出てきた伊織が怪訝そうな表情で、向かい側の部屋の扉をじっと睨む延寿へ問う。


「207号室の鍵がなくなっている」

「え? あ……、ほんとだ……」

 

 延寿は207号室へ近づくと、ノブを掴み、回した。回らない。鍵がかかっている。誰かが鍵をかけたのだ。紗夜か、あるいは椿姫か、それとも上分と清身のどちらかだろうか。空き部屋で誰も使用しないからと、鍵をかけ、持ち去った……あるいは、誰かが鍵を取って室内に入り、内鍵をかけたか。


「生徒会長か使用人たちが持っていったんじゃないか。使わないからってさ」

「……かもな」

「かも、って。他に何かあるのかよ」

「いや……」


 言い、延寿は自身の204号室へと足を向ける。


「お、おいっ……」


 慌てた様子で伊織がついてくる。


「伊織」

「分かってるよ。血痕を確認しろってことだろ」

 

 振り返る延寿に、伊織が言う。

 そうして延寿は204号室の鍵を取り出し、解錠し、扉を開き、電灯を点ける。特に変わった様子は…………「……」鉄の臭いが。…………テーブルの上に、鍵が置いてあった。タグが取り外され、鍵だけの状態だ。手にはたった今用いた鍵が握られている。()()()()()()


「……」


 さきほど、この204号室の部屋の鍵はかかっていた。となれば誰かが鍵を開けて、別の鍵を置いて、また鍵をかけて出て行ったこととなる。


「入り口で立ち止まるなよ。僕が入れないだろ」


 背中を伊織に押され、延寿はテーブルへ近づき、置いてある鍵を手に取った。「ん?」伊織の声。


「なあ延寿……うん? どうしたんだ?」

「鍵が置いてあった」

「は?」

「誰かが、俺たちがいない間に置いていったらしい」

「置いていったって……」


 考えても仕方のないことだと、延寿は置いてある鍵をポケットに放り込んだ。可能性があるのは、サロンにいた五人以外の全員だ。紗夜か、椿姫か、清身か、上分か。あるいは彼ら彼女ら以外の誰かか。後で直接尋ねてみればいい。機会は訪れる。忘れないように、スマホもまたポケットに入れた。


「伊織」

「あー分かってるよ、お前が何が言いたいのか」


 伊織の返答に、延寿はこれが現実のものであると確証を得た。


「ああ。鉄の臭いがする」


 さっき室内にいたときはなかったはずの臭気だ。部屋に足を踏み入れた途端に臭いがした。鉄臭い。血の臭い。


「……テーブルの下だ」

「りょーかいっと」


 屈み込み、伊織がテーブルの下を覗き……「うわ」小さな悲鳴をあげた。それで延寿は理解した。


「あったんだけどさ、血っ……びっちゃりじゃんかっ……」

「びっちゃりなのか?」

「びっちゃりだよっ。やっぱこれの臭いかよ」


 おかしい。臭いがするほどの量なら気付いたはずだ。自分ではなくとも、伊織か紗夜が。


「変色は?」

「いやしてない。赤だ」


 赤色。酸化していない。そう時間が経っていないということになる。


「鍵と同じだ」

「なにが?」


 鼻を抑えながら立ち上がった伊織の視線が延寿へ向く。


「俺たちが夕食を摂り、サロンに居た間にその血はつけられた」


 依然としてテーブルの下で見た血痕が幻覚か現実かは不明のままだ。


「誰の血なんだよこれ……結構な量だったぞ。食いしんぼうがイチゴジャムを塗りたくったトーストみたいなさ……うえ……」


 自分の例えに自分で嫌悪を示し、伊織が口を押えた。


「平気か」

「平気だよっ」


 嘔吐の気配を察し、とっさに受け皿となるように差し出した延寿の手を、伊織は払いのけた。「吐かないし、吐くとしてもちゃんと洗面所とかトイレに行くからっ」余計なお世話だ、と怒っている。


「そうか。大丈夫なら良いが」


 そう言うと延寿は屈み、膝をつき、自身もまた確かめようと、テーブルの下を覗きこみ「ッ……!?」目が合った。


「な、なに、どうしたんだよっ?」


 テーブルの下、赤々しくべっとりとついた血の中に、煌々と光る瞳が……点々と……十。一斉に、血の中から見つめていた。すべてが見開かれ、呻くように充血していた。「……!」認識は狂いつつある。知覚機能が異常に振れている。もはや止めようの無いほど正常が捻じれていく。


 ガタンッ。


「わっ、つ、次はなんだよっ!?」


 物音。伊織の悲鳴。幻聴ではない。

 延寿は十の瞳から視線を逸らし、すぐに立ち上がった。あの瞳たちから目を背けられたという安堵があった。幻覚には違いないのだろうが、あの瞳を直視するのは……どうしてか、極度に耐え難かった。恐怖からでは、恐らくない。あれはまるで、失望、幻滅、失意、哀惜……どういえばいいのだろう、俺が、じゃない。()()()()()()()()()()()()。隠れていたところを恐ろしい何者かに見つかったかのように。あれは、恐ろしくなかったはずの誰かから、何もかもを裏切られて害意を見せられた瞬間の悲哀の眼だ。信頼していた誰かから、その誰かの手で、全てを、思い切り壊されたときの絶望の色だ……誰かとは、誰だ……ガタンッ。


「なんの音だ」


 怯えた表情の伊織へ問う。その恐怖が混じる瞳をつい数秒前に見たような気がした。


「分か、分からない。この部屋じゃなかったのは確かだけど」


 そこで二人、黙り込む。

 無音だった。沈黙に包まれている。


 ガタッ。


 また音が聞こえた。


「っ……!?」


 びくりと跳ね、伊織が部屋の外を、廊下を見た。

 

「い、今のだよ、確かに聞こえたよな……?」

「聞こえたな」

 

 伊織が聞こえているのならそれはやはり幻聴ではない。

 確かに現実の中で、聞こえている物音だ。


「……」

「お、おい大丈夫か」


 延寿が廊下へ出て、伊織もそれについてくる。廊下に人影はなく、無音だ。


 ガタ。


 また、音。

 今度は先ほどに比べて控えめだ。


「ど、どこから、この音っ……」


 音の出どころはそう遠くはない。この廊下に隣接した場所……すなわち、客室内だ。冬真、汐音、亜砂美の三人は今もサロンにいることだろう。彼らではない。すれば、紗夜か椿姫、あるいは上分か、清身……ガタリ。まただ。

 

「……」

「え……そこって、おま、ッ!?」


 無言で、延寿は207号室の扉へと近づいた。

 ついてくる伊織が何か言おうとしていたが、手で口をふさいだ。


 カタ、カタ……。音が聞こえる。

 目の前の扉の奥から。


 ガタンッ。


 誰かが207号室の中にいる。

 そうして延寿のもう片方の手が今握っているのは、誰かが204号室のテーブルの上に置いていった、タグのない一本の鍵。

 中には、誰が……ああ、答えは既に書いてある。

 赤く、扉に描写されている。


 カレンの へや

 かってに入っちゃ ダメ


 室内なかにいるのは、きっと、花蓮だ。

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