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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
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『転入生』と生徒会長

「……」


 向けられる視線は不愉快極まりなかった。

 規則の箱に押し込められた玉石混淆の、多くを石が占めようそれらの、好奇と猜疑、警戒の眼だ。今、眼前に立っている異分子は自身に対してどれほどの利益、あるいは脅威となり得るのか、そう探るような……気に喰わない、気に障る、値踏みの眼だ。


「涯渡? ほら、挨拶を」


 担任教師……名は何だったか……に促され、


「涯渡由正です」


 一言……「よろしくお願いします」二言、頭を下げる。ぱちぱちと、おぼろげな拍手の音が儀礼的に歓迎の意を押し付けてきた。屋敷内にいるときとはやはり違う、親戚の家々を転々としていたときの感覚が蘇ってくる。矛先を選ばない、由来の知れない怒り、憎しみ、不満……抑え込むべきだ。抑え込むべきなのだろう。大義なく凡百へ矛先を向けようと自分の不利にしかならないと私は知っている。


「……」


 視線が集中している。

 私が二の句を継ぐのだと、何か気の利いた一言を自己紹介の場に添えると期待していたのだろう担任は、数秒の間を置き、何も言葉が発されないと理解するやいなや、「席はあそこだ」と指さした。

 指定された席は最後列の廊下側だ。

 

「……」


 視線を受けつつ、指定された席に座る。

 すると、すぐにホームルームが再開され、生徒たちの意識は前方の担任へ向けられた。

 

「こ、小比井って言うんだけど……あ、名前は美衣っ……なん、だけど」


 隣の席の生徒が、だけどだけどと口ごもりつつ、小声で話しかけてくる。言葉が出てこないのなら黙っていてくれると有り難いが、それが彼女なりの誠意であり礼儀だ。転入生に自己紹介を行う、という。だが、


「後ででもいいだろ」


 今はホームルーム中だ。そうしてすぐに授業が始まる。今日の一時限目は数学、とのことだ。今、ひそひそと自己紹介するよりも次の休み時間で交わせばいい。


「え、あっ、そ、そうだね……ごめんなさい……」


 委縮したように謝ると、小比井という少女はそれきり黙った。

 ホームルームは終わり担任が出ていき、すぐに別の教師が入ってきて授業が始まった。数学。学問。私が必要とする巨大なものの、ほんの一かけらを手に入れる為の過程が。


 ……この或吾中学校へ転入したのは、涯渡氏の取り計らいによるものだ。


『学校は大事だよ、由正。きみの年齢は十三歳、一般的に中学一年生にあたる。つまりきみには中学校へ通学できて他の生徒と交流し、少なくとも今のきみよりは学問に富んだ先生たちから授業を聞ける権利がある。どうだい? きみの為に用意された権利を、享受したいときみは考えるかな』


 氏は、そのように私へ問いかけた。行かないのならば行かなくともいい、と言外に含まれているように、私には見えた。『私の後輩になっちゃいなよっ』と傍で聞いていた紗夜が笑う。聞き流した。


『行く意味は、あるんですか』


 氏に尋ねた。

 ひねくれた意味合いを含んでいるわけでもなく、純粋な疑問だ。私の中で答えは既に決定していたのだから。涯渡氏は、父は……私の問いに、どう答えてくれるのだろう、という好奇心。


『素地を築くためさ』

『素地……?』

『これから成長していくきみという人間を支える為の土台だ。それは社交性であり、学識であり、芸術に対する理解と、物事を十全に受容できるような寛容さ……諸々のね』


『社交性と寛容さは槐くんも要るんじゃないかなー』と義姉。うるさいので無視した。


『後は……夢が無い話で悪いけど、他人にとって分かり易い有用性を示すため、でもあるかな』


 そう口にする氏の顔は苦笑を伴っていた。


『どういう意味ですか』

『ヒトは時間が限られている。その中ですべきこととしたいことの混ざった余りに多くの物事と向き合わなければならない。だとすると、一人一人に対してどれだけの時間が割けるだろう? その人、というものを一から十まで知ろうとするよりも、分かり易い〝良いところ〟があってくれた方が、助かるとは思わないかい? そうすれば、優先順位というものも付けやすくなる』

『……良い、ところ』


 それは成果であり、実績であり、対外的に好印象を抱かせる類の優秀さだ。


『たとえきみはそうでなくとも、きみ以外がそうである可能性はある。冷たいと思うかもしれないが、自身の有用性を周囲に分かり易く示すことが必要な場合もあるんだ、いわゆる処世術としてね』

『処世術……』


『しょせーじゅつっ、槐くんにとってはとっても大事なことだとお姉ちゃんは思うよ?』うるさい義姉がうるさく口をはさんだ。『私さっきから槐くんに無視されてない? 気のせい?』その通りだから無視した。『仲良くね』氏が苦笑する。


『……ただ、これは利益と打算が必要となってくる場合においてだけ、だ。これから先、遠からず近からずかは不明だけど、確実にきみは優先順位をつけざるを得なくなる』

『それは、他人に?』

『ああ。きみが地下に一人きりでこもり誰との交流をも断とうとしない限りは、きみは多くの他人と接するだろう。まあ、社会的存在たるヒトである限り、どこかの集団に帰属する、あるいは集団そのものをゼロから起ち上げるのは避けられず、人間的生活と他者との交流もまた不可分だ』


 地下にこもる、それもまた、魅力的だ。

 涯にある望みへアプローチする為にそれが最適な手段だと判明したのなら、私はその手段を採ろう。つまりは地下へ、地下で、ただ、実験を行う。繰り返し、々……より良い結果が出るまで、延々、延々と、この命が尽きずに済むように。いくらでも高く塔を築き上げ、やがての瓦礫を増やすだろう。


『無価値な他人も、いるものだよ。切り捨てても良いヒトは、いるものだ』


 にこりと、氏は言う。

 笑顔で口にできる内容だとは、当時の未熟な私には思えなかった。


『そんな人々を見極め、優先順位をつけるんだ。きみが望む何かがあるのなら、そこに至る為のプロセスはきみ自身が組み上げなければならない。ヒトの時間は有限だ、願う何かが巨大であればあるほど、きみに用意された時間のあまりの短さに、きみ自身が絶望することだろう。ならば、剪定すべきだとは思わないかい? 他人を、価値を、有用性を、得られる利益を、より最適化するためにも』

『……』

『私の言葉に反感を覚えたかな?』

『……いや、俺は…………』


 俺は。俺は、の後に、私はどう続けようとしたのだろうか。

 切り捨てろ、と氏は言う。切り捨て、利用しろ、と。……ならば、ならばだ、その無価値な、切り捨てるべき相手に対し、万が一……俗悪な言い方だが、好意か、それに類する肯定的な感情を抱いていたのなら……主観的な価値を、あらゆる客観的な証拠から無価値と断定した相手へ見出していたのなら……その可能性だってないわけではないはずだろうから、そこまで冷徹に切り捨てることなんてできないのでは、と未熟な私は思っていたのでは?

 いや、俺は、そこまで徹底できそうにありません……などと、答えようとしたのでは?

 他ならない、氏の言葉の打算的冷徹さに、僅かながらも反感を覚えたために……それで、望みが、叶えられる、とでも、思ったか。永遠を手中にするとは巨躯の怪物を打倒するも同然だろう? 叶いようの無い巨大な望みだと理解しているんだろう? ならば、優先順位をつけるべきじゃないか。命の、生命の、倫理の、あの子たちの……そうして瓦礫を増やせばいい。信頼により築き上げられた塔は、高くあればあるほど、瓦礫の量を増すだろうから。


『もしも反感を覚えたのなら、きみは優しい子だ』

『……』


 なぜ、このとき私は否定できなかったのだろう。反感なんてない。その通りだ、と答えられなかったのだろうか。くだらない。ああくだらない。うるさいはずの紗夜が黙って私を見ている。人情たっぷりだね、とでも揶揄するように。

 氏は慈悲深く、私を見ていた。否定できない私を。


『……そういう冷徹な算段を必要としない友人は、だからこそ大切で、そんな人たちに出逢える可能性を内包するのが学校だよ。どうだろう。由正は、どう考える? 学校へ行きたいかい?』


 黙した私の首肯に、氏は満足を湛えて頷いた。

 父は、私の答えを既に分かっていたようだ。


『悪い女の子に騙されちゃだめだよっ』


 義姉が言う。ついさっき黙っていたのだからこれからも黙っていてほしい。


『ああ。騙されないようにする』


 そう、彼女の眼をじっと見て答える。


『あれ、殊勝な態度だね……?』


 不思議そうに首を傾げる義姉へ、


『騙されないようにする』


 繰り返した。『一見笑顔で接してくる油断ならない人間に気を付ける』


『え、え? もしかして私って槐くんの中で悪い女の子のカテゴリに入ってる……?』


 紗夜が真剣な様子で戸惑い、氏が『もうすっかり仲良しだね』と微笑んだ。

 その後すぐ、父は私の入学手続きを済ませてくれた。


 ……チャイムが鳴り、授業が終わった。


「小比井美衣だな」


 隣席の小比井へ声をかける。


「え?」


 吃驚の表情を向けられた。なぜ驚くのか。

 後で、と私は言った。その後で、が今だ。

 

「涯渡由正だ……です」


 よろしくお願いします、と声には出さなかったが改めて頭を小さく下げる。

 誠意には誠意で返す。礼儀には礼儀で返す。私自身も何も無闇やたらと噛みつきたいわけではないはずだ。道が交わらない相手というのは当然いるもので、彼女が私にとってその者達の一員なのだ。礼儀ぐらいは返す。それ以上の干渉を望まないだけで。

 

「えっと、えっと……」

 

 私の自己紹介に小比井は戸惑っているようで、しばらく視線を泳がせた後、


「生徒会長の紗夜さんの弟さんなんだよねっ?」


 紗夜は生徒会長だったのか? 

 あんな他人を石ころだの雑草だの蛾だのと捉えていそうな人間が?


「……ああ。結果的にそうなった」

「結果的に……?」


 小比井は小首を傾げて続きを待っていたようだが、私が何も続かせないと判断すると、


「涯渡くんは何か好きなものとかある?」

「好きなもの……?」


 それは必要なのか?


「えっとね、私は猫が好き。とっても好きなんだにゃっ」

「……」


 語尾に『にゃ』をつけるなんて。頭がおかしいのだろうか。


「えあっ!? ごめ、ごめんね、クセで、家の子に話しかけるときのクセでっ……!」


 必死に弁明する小比井のその後の自己紹介を聞くに、猫が大好きで、一匹真っ白な子猫を飼っていて、可愛くてしょうがないとのことだ。もしも行方不明になろうものなら狂うかも、とまで述べていた。そこまでの愛着を持てるというのも不思議だ。たかだか一ペットで、一同居人のような存在ごときにそこまでの愛着を…………どうも不愉快な思考が過ったらしい。切り捨てるべき俗悪だ。


 小比井との会話はそれきりで、次の授業が再び始まり、終わり、を繰り返し、やがて昼休みとなった。義姉曰はく或吾中学校は給食というものがなく、生徒たちは各々が弁当を持ち寄り、校内の学食や売店を利用しに行く者もいるようだ。


「やっほー槐くーん」


 昼休みに入ってすぐに、能天気な声で手を振りながら、紗夜がやってきた。にっこにこの満面の笑みで私のいる教室の入り口まで来ると、おいでおいでとばかりに私へ手招きをする。


「……」


 黙って見ていると紗夜は「失礼します」と教室へ入り、クラスメイトの視線を後目に「呼んでも来ないなんてきみは猫か何かなの?」と不機嫌な目。


「何の用だ?」

「転入初日だけの特権として、生徒会長といっしょにお昼ご飯を食べる権利をあげる」

「……」

「あ、あれ、今日の朝に私きちんと言ってたよね? 或吾中学校は給食が無いから弁当があった方が良いよって。今日は私が持って行くからって。だから槐くんもお昼ご飯もってきてないでしょ? あと知ってた? 私生徒会長なんだよっ」


 胸を張りひどく高慢に、紗夜は言う。知っている。さっき聞いた。

 今朝、確かに紗夜は『今日だけお昼ご飯いっしょに食べようよ』と云っていた。『その後は独りででもお友達とでも自由にして良いからさ。今日だけっ』


「……断る」

「よし、良い返事だね。行こっ」


 私の腕を掴み、紗夜は言う。その瞳には『来い』という圧が見えた。癪に障る。


「ねえ転入生くん? 私は生徒会長だよ?」

「……何かできるのか?」

「お父さんに言いつける。槐くんが私の誘いを断ったって。そしたらお父さんに槐くんは窘められる。私は内心大笑いでその光景を見て、憶えて、いつまでも槐くんに言い続ける」

「……生徒会長であることとは関係ないだろ」

「よし行こっ。それともここで私と無駄な会話をし続ける?」

「…………」

 

 断る理由も特になく、昼食を摂りそびれるだけか。

 そのまま紗夜に連れられ、「生徒会長特権使ってあげる」と頼んでもいないのに屋上への扉を解錠し、晴天のもとへ私を引っ張り出した。

 生徒は誰も入れないはずなのに置いてあるベンチの上を払い、手に持っていた二つのランチバッグを置く。「座っちゃお」と紗夜が先に座り、次いで私も紗夜の隣に座った。


「ねえねえどうだった? 学校!」

「……」

「ままならなかったんだ! うんうん! きみならそうなるって私分かってたよ!」


 一人で尋ね、一人で納得し、楽しそうに紗夜は頷く。


「人生ってままならないことばっかりだと思うんだけど、特にきみの人生はままならなそうだからねっ」


 ままならないままならないとうるさい義姉あねは笑う。


「ふふふそっかそっかままならなかったかそっかぁままならなかったんだっ、うふふっ」


 本当にうるさい。黙っていてほしい。


「でも、つまんなくはないよ」


 ふん、と鼻息一つ、誉め言葉。らしき何か。


「誰にとってだ」

「もちろん、私にとって。きみの人生がままなってしまったらそれはそれで解釈違いだもの」


 にこにこと、義姉は笑顔だ。空っぽの、笑顔だ。

 笑みを保ちつつ、ランチバッグを膝にのせて中から弁当箱を取り出している。


「……なあ」

「なあに?」

「この前の涯渡さんの……父さんの言葉に、きみは反感を覚えたか?」


 このとき尋ねたのだ。私は、紗夜に。「俺に学校へ行きたいかどうか尋ねた時のだよ」

 

「ううん。もっともだなって思ったよ」


 きっぱりと、彼女は否定してきた。「私は、私がどうやってでも叶えたい目的の為なら、きっと手段を選ばない」


 それが正しい、在り方か。ああそうだ。これが正しい、在り方だ。 


「槐くんは人情たっぷりだね。きみはこれからきっとままならないよ」

「……何回『ままならない』って言ってるんだ」

「今のところ5回かなっ」

 

 自身に満ち溢れている即答だ。それが正答なのかどうかは私も関心が無かったために数えていない。間違っていてくれると何となくありがたいが。


「ふふ、ふふふふっ」


 上機嫌に、ひどく上機嫌に、紗夜が笑みを浮かべる。


「きみは楽しい、楽しいよ。槐くん、きみはやっぱり楽しいっ」

「……何がだ」


 紗夜の機嫌についていけず、吐き捨てるような笑みが出た。


「笑うならもっと明るく笑おうよっ。そんなだと幸せに負けるよ?」

「……自分の感情との間に勝ち負けなんてないだろ」

「ううん、ある。今のきみだと自分自身の幸せに圧勝される」

「どうでもいい。幸せに負けようが、勝とうが」


 早くそれを寄越せ、と紗夜の膝に乗っているランチバッグに手を伸ばす。はい、と紗夜が手渡した。義姉の顔から笑みが消えない。


「いただきます、を言わなきゃだよ?」

「分かってるよ」


 そうして紗夜と昼食を摂り、校内のおすすめスポットやら信頼できる教師やらを一方的に捲し立てるのを聞き流していたら昼休み終了の予鈴が鳴った。

 立ち上がり教室へ戻ろうとしていると、紗夜が二人分のランチバッグを手に、私を見つめてじっと佇んでいる。まるで眩しいものを見るように薄めで、やはり笑みを携えつつ。


「きみの魂って、きっと綺麗だ」


 そんな世迷言を宣う。


「どこか傷を入れてみたら出てくるかもしれないな」


 世迷言へ真剣に返答する必要もない。


「ううん、しない。なんだか惜しいよ」

 

 羞恥とすらとれる慎ましい笑みで、義姉は首を横に振った。惜しくなくなったら実行に移すということか。そう考え、納得もあった。

 未だ私の身体は無事ではあるが、形振り構わなくなった彼女ならば何らかの手段でもって傷をつけようとしてくる危険性がある。念の為、警戒はしておこう。ありもしない魂の為に殺されてはかなわない。

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