現実の白い遺骸
「今、電気つけるから」
サンルームという名とは程遠く、室内は薄闇に満ちていた。西に追いやられる夕暮れの残滓がかすかに室内に残り、床に影を落としている。黄昏だった。夜の入り口だ。
明かりが点った。紗夜が点けたのだ。
照らされた室内は、壁、天井の大部分がガラス張りだ。ガラス窓の向こうは暗闇に囲まれており、何も見受けられない。室内は広く四角形で、白で揃えられた椅子とテーブル、更にはソファが置かれている。壁際には白を基調とした棚が置かれており、ガラス戸の向こうには様々な置物が置かれている。
観葉植物がところどころに設置されており、人工の空間の中でいずれも青々と生命に満ちている。種類も様々で、白色の花を咲かせるアンスリウムに、ウンベラータの愛情深いハートの葉が茂り、エバーフレッシュにナナカマド、パキラ……その中で延寿は、白色の花をつけるオーガスタの中でもひときわ大きな姿の一鉢が、ふと目に留まった。何かが。
「……」
オーガスタの花が、動いたような気がした。
パタパタと、まるで羽搏こうとしたかのような。
「天国の白い鳥、とも呼ばれてるんだって。白くて綺麗だよね、それ」
延寿の視線の先にあるオーガスタを見、紗夜が言葉を添える。
「一鉢、すごく元気に成長しているのがあるでしょ」
「ありますね。成長に個体差があるものなんですか」
「あるかもだけど。あそこまで差が広がるのも初めてみる……頑張ったのかなぁ」
天国の白い鳥を注視するも、延寿の眼に何も変わったものは見受けられなかった。他のオーガスタに比べれば幹も枝葉も一回り、二回りは大きいものの、それだけだ。動くものは今はもう何も見られない。気のせいだったのだ。気のせいだ。
「何のための部屋なんだよ、ここ」
「お客様がくつろぐ為の部屋だよ。前はもっと人工的だったんだけど、ある日可愛らしい女の子の手で一鉢の観葉植物が置かれてからどんどん増えていったの」
「すごい自画自賛だな」
「あははっ、かわいいかわいい女の子がこのお屋敷にはいたんだよっ?」
「いる、じゃないのかそこは」
「いた、で合ってるかな」
「どういうことだよ……今はもう可愛いとかじゃなく美しいのほうにあたるかなっ、とか言いたいのか」
「今だって可愛らしさは残ってるよ」
「ああ?」
伊織と紗夜の会話の傍ら、延寿は室内を見渡していた。
ひときわ大きなオーガスタが動く様子はやはりない。次いで延寿の目を引いたのは、部屋の奥にある一台の真っ黒なグランドピアノだった。自らが部屋の主なのだと堂々と佇んでいる。誰かがあれを弾き、お客様とやらの聴覚を潤すのだろう。上分や清見などの使用人か、著名なピアニストでも呼ぶのか……それとも、紗夜自身が弾くこともあるのだろうか。
「けど開放感すごいな……サンルームって初めて見たよ」
「厳密に言えばコンサバトリーなんだってさ。上分さんがそう言ってた」
「こん、さば、とりい……」
顎に手をあてる伊織の脳内に、紺色の鯖の切り身と鳥居が出現した。違うというのは分かる。違うということだけしか分からない。なんだよコンサバトリーって。伊織はそう考えている。
「設計モデルとしてはエドワーディアンというのに近いんだ」
「えどわーでぃあんね、なるほどなるほど」
分かった分かった、と伊織は頷く。分かってはいない。
「ピアノは、生徒会長が?」
「うん。私も弾くかな。このお屋敷に来た時に、たまにだけど。後はお客様とか、お父さんとか上分さんとかが弾いたり弾かなかったり弾こうとしていたりしてる」
延寿の質問に、紗夜が答える。
「つまり全員が弾くってことなんだろ」
「うん」
伊織の断定に、紗夜が頷く。
「なにか弾いてあげよっか?」
そうして延寿と伊織の二人に、尋ねる。
「弾いてくれると言ってもな、僕、そんなにピアノとか知らないし……お前は知ってる?」
伊織に見上げられ、「いいや。俺も詳しくない」延寿は首を横に振った。
「じゃあチューリップは知ってる?」
「知ってるけどさ」
「よしきた」
「いやいいよ」
「なんでー?」
「チューリップって童謡だろ? それをここでわざわざ弾いてもらって僕たちはどう反応すればいいんだよ。評価シートに花丸でもつけてほしいのか」
「でも私、何か弾きたい気分なんだけどなー……」
「なら、好きに弾けばいいだろ」
なあ? と伊織は延寿を見上げる。そうだな、と延寿は頷いた。
「なるほど。お任せというわけだね」
と紗夜はピアノに駆け寄ると、延寿たちへ向けて恭しく辞儀をし、椅子に座った。ふう、と彼女は深呼吸をひとつして、五指を鍵盤の上に置き、ペダルに足をかけ────たところで、サンルームの扉が開かれた。
「お客様に、お嬢様。ご夕食の準備ができました」
使用人の上分だった。
彼女はピアノを弾きかけて停止している紗夜と、こちらへ視線を向ける延寿と伊織の二人を順に見ると、
「……お取込み中のようでしたね、申し訳ありません」
そう、深々と頭を下げた。
「あ、ううん、大丈夫ですよ上分さん。呼びに来てくれてありがとうございます。私たちも今から行きます」
紗夜が立ち上がり、上分へと言う。上分はもう一度頭を下げると、「他のお客様にもお伝えします」と退室した。
「……そういうことで。行こっか」
あはは、と紗夜は延寿と伊織へ言う。
「お腹すい、腹減ってたからちょうどよかったよ」
と、伊織がお腹に手を当てる。私も、と紗夜が入り口へと向かう。延寿と伊織もそれに続いた。こうしてピアノは弾かず仕舞いで、三人はサンルームから退室となった。
「きちんと戸締りしないとね。明かりも消さなきゃ」
廊下に出て、紗夜がサンルームの扉へ振り返る。延寿も振り向き、扉の向こうにあるサンルーム内を何とはなしに眺め見た。廊下の明かりが差し込んでいて、ちょうど、さきほどの大きなオーガスタが照らされていた。白色の花に混じり、動いているものがまた見えた。小鳥ぐらいの大きさの、白い何かだ。天国の白い鳥が動き始めていた。羽搏こうとしている。
それは、飛ぼうとしている。
どこかへ。どこへ?
「……!」
「え、どうしたの延寿くん?」
延寿は踏み出し、再びサンルーム内へと入り、電灯をつける。
(……あれは)
それは、翼を広げていた。
白い鳥が、羽搏いて飛び始めた。
空を。天国を。目指し。翼を動かし。羽搏き。
だが……「……」ビチャリ、と音が聞こえた。
小鳥はガラスの天井に阻まれて、ぶつかり、弾けた。
弾けた拍子に大量の血が飛び散り、天井に赤々と引っ付いた。
見覚えのある赤い落書きが、サンルームのガラス天井に描かれた。
(……)
思考の中ですら黙する延寿の視界に、それはもはや読み取れない落書きではない。
『かなしいできごと』
血色の献身を、延寿は呆然と見上げる。
(悲しい、出来事……?)
天国の白い鳥が羽搏き弾けて飛び散って、
赤々と天井から滴り落ちる血液はやがて……床の上に形をつくる。
部屋の中央に、白くガラス張りの部屋の木床の上に、虚構を築き上げる。
(……幻だ)
強い悪寒がした。
延寿は、これから生じる光景を予感し、
(すべて、幻だ)
自らを強く、強く強く抑制した。
なにが視えようと、なにが生じようと。
動揺せぬように。
心を揺らがせぬように。
(……)
形を為す。
滴る血が、形を成す。
そこに。そこには。
「ッ……!」
奥歯を、延寿は強く噛み締めた。
幻である。すべて。すべては。幻。幻覚。
異常な神経のシグナルが吐き出した、狂人の視界に差し挟まれるシークエンスの一環。
形は成されて、視線の先には、少女が…………「……ッッ!」悪寒を、憎悪を、後悔を、哀切を、悲痛を。噛み砕かんばかりに、延寿は歯を、強く強く噛みしめ、双眸を見開き、それを凝視する。正確に、それの情報を、状態を、拾い上げ、認識する。
少女が転がっている。
裸の少女が転がっている。
欠けた裸の少女が転がっている。
打痕のある欠けた裸の少女が転がっている。
血に塗れた打痕のある欠けた裸の少女が転がっている。
体液と血に塗れた打痕のある欠けた裸の少女が転がっている。
死体が転がっている。
身体が欠けた、
殴られ叩かれた痕のある、
裸で暴行された形跡のある、
流れ出た血に塗れてぐったりと、
ぐしゃぐしゃの泣き顔で虚空を見つめる、
白い少女の、 の抜けた肉塊。
目の前に。落ちている。
(幻なんだ)
延寿は強く自身を抑え込んだ。
(幻だっ……)
でないと、なにかが砕け散る。
なにかを握りしめ、なにか共をぐしゃぐしゃにする。
何度も何度も叩きつけ刺し、原型を留めなくする人殺しが現れる。
「っ……」
視線をずらす。
帽子が傍に落ちている。
黒く大きな帽子だ。「お、おい延寿?」
白髪を気にする少女がよくかぶっていた帽子だ。「延寿くん……?」
「幻だ……」
少年は小鳥を探していた。
少女が小鳥を探す少年を発見した。
少女は小鳥を探す少年の手伝いを申し出た。
少女と少年は小鳥を探していた。
少年は少女を探していた。
はどこに行ってしまったのだろう?
屋敷だろうか。小鳥を探して、一人で屋敷に行ってしまったのだろうか。
だめだと言ったのに。危険だと言ったのに。どうして。なんで。なぜ。
少年は屋敷へと向かった。
危険なものがもしも出てきたら少女がすぐに逃げてくれるように願いながら。
それが何であろうと決して立ち向かってはいけないんだと心から祈りながら。
屋敷の中で少年はパンのくずを見つけた。
少女はこの先にいるんだ、と少年は思った。
少年はパンのくずを辿った。幸いにも小鳥に奪われてはいなかったようだ。
魔女の家へと少女は先に行ってしまったのだ。
早く助けなければ少女は魔女に貪り食われてしまう。
悲しい出来事。それは確かに悲しい出来事だ、った。
「おい」
屋敷の中で少年はパンのくずを見つけ「おいって」、辿り「延寿」、追いかけた「延寿!」追いかけた先、探し出した先、見つけ出した先で、少年は何を発見した? その少年は何を見た? どんな姿のなにを見た? 貪り食われた誰を見た?「延寿!!!」
肩を掴まれ揺さぶられる。
すぐそばで喚く伊織がいた。生きていたんだ。違う。違う違う違う。伊織は伊織だ。違う。
「どうしたんだよさっきからお前はぁ……!」
少女は転がってはいなかった。
天井から血が滴ってはいなかった。
すべては幻だった。幻覚を視ていた。
「……」
「なん、で、黙んだよ……!」
怒りのあまりに滲んでいる伊織の涙を受けてなお、延寿は……その白い髪に、灰色の眼に、整った顔立ちに、
「すぐに……逃げるべきだったんだ」
目の前の少年にかけるべき言葉ではないと分かっていながらも、口から出てしまった。その表情は、伊織へ途方もない衝撃を与えるほどに弱弱しいもので、数拍、白い少年は唖然とし、かろうじて言葉を絞り出した。
「なに、を、言ってるの……?」
言われた伊織は当然なんのことかも分からず、収まらない怒りと不安と哀しみでごちゃまぜになった表情を延寿へ向けた。
「お腹が空きすぎて幻を見ちゃったのかな?」
そこで紗夜が割り込んできた。浮かべているのは相変わらずの微笑だ。
「そんな能天気なものじゃないってのはお前だって分かるだろ!?」
伊織が紗夜へ、彼女の笑顔へ噛みつく。こんな状況でどうしてそんな気に障るような笑みを浮かべられるんだ、と半ばパニックを起こしかけている心情が怒りを打ち出したのだ。
「今、延寿くんが落ち着いて返事できるわけないってことは伊織くんも分かるよね? 延寿くんがどんな眼をしていたのか、きみも私も見てたんだから。それなのに感情的になって自分の言葉だけぶつけても、現状は好転しないよ?」
紗夜が切り返す。その顔から笑みは掻き消えており、伊織へ向けるのは冷酷とすらとれるほどの表情の静まり切った真顔だった。
「でもさっ」
「まずは冷静になるべきなんだよ。延寿くんも、伊織くんも、あと私も」
ね、と紗夜が延寿を向く。
「……そうですね」
延寿の返答に伊織が一瞬ムキりそうになり、憤懣やる方なしを体現するかのように深呼吸した。自制したのだ。感情的に困惑を怒りとしてぶつけても延寿にとって決して良くはないと理解するほどには伊織は延寿を気遣っており、だからこその狂態を心の底から心配してもいる。
三人は今度こそ、廊下へと出た。
紗夜はサンルームの扉を閉めて施錠すると、未だ閉じられた扉を見つめる延寿に近づき、
「何もなかったよ」
そっと耳元に囁いた。「天井にも、床の上にも、なんにもなかった。きみはなにを見ていたの?」
延寿は紗夜を見る。にこ、と笑みを向けられる。浮かべるその笑みはいつも通りなのに、どこか得体のしれない喜びを含んでいるように見える。それも思い込みなのだろうか。幻覚を視る自らの、異常な知覚による認識のエラーか。延寿は判断のしようが無かった。
「行こう? 私もう、待ちきれそうにないや」
お腹が空いて、という言葉をつけ忘れ、紗夜が二人を誘い、先に歩き始める。
「後で、絶対に〝詳しい話〟とやらを聞かせろよ」
延寿とともに立ち止まっている伊織が、小さく、しかし強い意志を含んで言う。言わなかったら絶対に許さないからな、と言外に叫んでいる。怒りがほとんどを占めているはずなのに、その瞳に涙の残滓がある。まだ泣きそうなままなのだ。
「必ず言う」
伊織は正常だ。信頼できる相手である。
延寿の言葉に、伊織はふん、と顔を背け、少し目をこすり、ずんずんと先に歩き出した。
その背中を追いかけつつ、花蓮はどこにいるのだろう、と延寿は思う。何もかもが取り返しのつかなくなる前に、彼女の無事を確認したい、と考えた。
そう考えてすぐ自覚した。
何もかもが取り返しのつかなくなる、と自然に自分は考えた。自らの終わりを本能的に見据えてしまった。視覚は完全に壊れたようだ。幻覚が現実を蝕んでいる。幻覚。幻覚を起こす……巌義麻梨に注射されたWWDWの後遺症と呼ぶべきものなのだろうか。あれから水面下で着実に進行を続けた、その末の現状か。きっともう、手遅れなのかもしれない。
延寿は不思議と落ち着いていた。もっとパニックを起こして叫ぶべきなのだろうけど、その気が起きなかった。諦観めいた受容だ。仕方のないことだ、とすら考えている。そう考えさせる、諦めさせる何かがあるのも理解しつつある。それこそ、魂が諦観を促しているかのような……「……」そこまでを思考し、延寿は微かに口角を歪めた。嘲笑が混じった歪みだった。
「なにぼんやりしてるんだよ、急いで来なかったらお前の分全部食べてやるからな」
廊下の向こうにいる伊織に呼びかけられ、延寿は立ち止まっている自身に気付き、歩き始める。ぷんぷんと怒りながらも、伊織は延寿が追いつくまで待っていた。
「ムカつく」
「なにがだ」
「きっとなにか悪いことがぜったい起こっているのに、おまえ自身のことだってのに、落ち着いているお前がムカつく」
「……すまないな」
伊織の怒りに、対する延寿はいつもの鉄だった。
「っ……!」
その態度に伊織の眉は下がり、「ばかっ」とだけ言ってまた歩き始め、延寿はまたもや置いて行かれた。取るべきではない態度だったとは、分かっている。心配してくれる相手に向けるには冷たすぎたことは理解している。
だが。魂が言うのだ、俺に、諦観し、受容しろ、と。
延寿の口角がぐにゃりと歪む。嘲笑、悲観、激憤……負の感情がない交ぜになった歪みを表出させる。魂、魂と俺は言ったのか。魂だと。笑わせる。嗤わせないでくれ。魂が語るものか在るものか、そんなものが。そんなものが! 毒性のある思考が激情を喚き散らす。そうしてすぐに萎む。今度は肩を落とし、己の毒が両手で顔を覆っている。遺伝子に刻まれた、これは罰だ。細胞に記憶された罪の清算だ。悪因悪果の末の今に過ぎない。すべてが。すべては。そうに違いない。
「もう、行くか」
思考をすべて振り払い、一人言葉をこぼし、延寿は立ち止まることを止めた。
遠くにいたはずの生物学的破綻が、今はもう手を伸ばせば届く位置にまで来ている。少し手を伸ばせば、生体の恒常性を維持する為の細胞増殖制御に破綻を生じさせられる。Wntシグナルの伝達に機能的錯誤を起こせる。Wingless信号はショウジョウバエから翅を奪い去った。正常な生体に寿命が備わるのなら、異常な生体である変異体はどうなる? ヒトは変異を経なければ永遠性に手が届かないのではないか。永遠とは遥かな天上の神さまとやらが持っているのか、見えれば拝領できるとでもいうのか、ならば天に届かせるためには翼が必要だ、Wingless、Wg、翼のないヒトの生体を翼の無いまま維持しようとする恒常的人体に機能的損傷を生じさせる、細胞の恒常的な増殖は即ち永遠性の取得であり、シグナルエラーによる不死細胞への変異は老化なる先天的機能であり抗いようのない末路を決定させずに済む可能性を生む、細胞分裂における有限の撤廃は不老となり、いかなる損傷をも忽ち補完する生体再生は不死となる。翼を……ヒトに翼を。すべてはヒトの生体で補える、全ては形而下の物質で賄える、ミカナの協力もあり俺の望みは現実に形を得つつある、ヒトという物質は、物質により死を忘れ去るのだ。このどこに魂などという非物質の出る幕があるというのか、幻は幻だ、見えるだけで触れられもしない幻覚は掻き消えるべきだ。
「……」
また、いつの間にか立ち止まっていた。
延寿は、己が頭部を己が手で掴んだ。そうして振る、振る。延寿は、延寿を振り払わなければならない。有毒な知恵と思想を持つ延寿を振り払い続けなければならない。この妄執と幻影に向き合ってはいけない。でなければいつか、いつかではなく近いうちに、
「自分で歩けないなら僕が引っ張って行ってやろうか」
彼女までをも巻き込んでしまう……、…………。
「なにじっと見てんだよ? じっと見られるの嫌だって僕言っただろ?」
「……きみは、きみだ。伊織」
「はあ?」
きみを巻き込みたくない。
伊織、彼を、きみを……もう、絶対に。
「僕は僕に決まってるだろ。あんまりわけわかんないことばかり言うとその口を縫い合わせるぞ」
ぷんぷんと歩き始める伊織の後ろを、延寿が行く。
歩む。……。歩む。…………。ふと思う。毒が吐いていた名前。……………………。記憶を過去に巡らせる。過去に見た人名を探る。…………………………………………ミカナ? なぜ、あの人の名が。