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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
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マワリ灯籠

 204号室は槐くんの部屋だ。

 槐くんがココへ辿り着いたときに、彼に私が与えた部屋。

 

「あ、あの……これからいったい、私はどうすれば……」


 不安そうにベッドに腰かけた可愛らしい女の子が、おどおどと私を上目で見上げて尋ねてくる。鷲巣さん、延寿くんのことが好きな女の子。好きな人の命を助けてもらったお手伝いをするために、この子は今この場所にいる。204号室に。

 本当は207号室にしたかったけど、今あの部屋は先客がいるからこの204号室だ。茫々と、あの子は一人でタビに耽って、身を捩っている。まだ旅先から帰ってこれているけど、そろそろダメそう。異界に客死するのも、あの子にとっては本望なのかな。


「鷲巣さんは、アポトーシス、って知ってる?」

「……え?」


 きょとんと、聞き返される。

 聞き覚えのない顔を、心当たりのない瞳で、思い当たるところがなく呆然と。


「私たちの体は細胞で構成されている。単一ではなく、複数の細胞でね。だから私たちヒトは多細胞生物、と分類される」


 私の言葉の意図が、鷲巣さんはまだ掴めない様子。

 でも一生懸命、理解しようと聞いているみたい。頑張って私たちの話を聞いている。置いてかれないように、ついていきたいから。健気でいじらしくて、とってもかわいい。


「知ってると思うけど、細胞は死ぬんだ。老化だってする。細胞分裂の回数には限界があるからね。だから私たちは自分の身体を保てなくなって、最後には意識を永続的に喪失する」


 テロメアの再生。

 ヘイフリック限界の先延ばし。

 引いては、無期限の延寿の実現……即ち、ヒトが永遠性を取得する。どうすればいいのかな、と私は、私と共犯者は、必死に考えていた。文字通り、必死だ。実現できなければ必ず死ぬのだから。


「死んじゃうってこと」


 そうして最後にどうなったかは、現状が物語ってくれている。

 ごくん、と鷲巣さんの喉が鳴った。緊張しているみたい。


「ふふ、もっと肩の力を抜きなよ。なにも難しいことをしてほしいわけじゃないから」

「で、でも、言ってることがよくわかんなくて」

「大丈夫だいじょうぶ」


 なにが大丈夫なんですか、と鷲巣さんの不安の瞳が問いかけてくる。

 大丈夫だよ、鷲巣さんは何かをする必要はないから。


「細胞が死ぬのにも……なんというかな、死に方みたいなのがあってね」


 ヒトみたいに。


「不幸な事故による外傷や、悲痛な薬害での損傷、怖い病原体の蝕みとかで細胞が死ぬのを、総称してネクローシスって言うの」


 例えばトラックに轢かれたり。

 例えば違法な薬物に体組織を破壊され尽くしたり。

 それは突然であったり、人為的であったりする死だ。


「それで、予め決められた通りに細胞が死ぬ様式の一つとして、アポトーシス、っていうのがあるんだ。計画プログラムされた細胞死、管理された細胞の能動的な自殺」


 机の上に置かれている、小さな箱を手に取った。


「不要な細胞を死なせて、変質した細胞を死なせて、私たちヒトの生命を脅かす危険性を持ってしまった細胞を死なせて、がん化した細胞だって例外ではなく死なせて、私たちの生命を維持し、私たちの個体を存続させる。待ち構えている死《終わり》のときまで」


 箱を開けた。鷲巣さんは、私の話を懸命に聞いている。良い子だね。


「知ってる? 人体の形成にも、アポトーシスはとっても大事な役割を持っているんだよ。私たちがヒト()()()姿を保てているのもアポトーシスが正常に機能しているからなんだ」


 中に入っている注射針と、注射筒。

 透明の薬液が、もう既に満ちている。


「でも、アポトーシスが正常に機能しなくなる場合も、もちろんあるの」


 鷲巣さんの視線が、私が持つ注射器を見つける。息を呑んでいる。


「するとね、細胞が増殖し続けることになるんだよ。ヒトの姿を保つ為のアポトーシスの機能に異常が起きてしまったら、ずっとずっととんでもなくおかしくなってしまったら」


 腕を出して、と無言で私が手を差し出すと、鷲巣さんは数秒動きを止めて視線を右往左往させた後、私の目を恐る恐る見上げ、素直に差し出してきた。驚いた。逃げるかと思っていたのに。義理堅いのかな、それとも今の私の説明を上手く理解できていなかったのかな。どっちなんだろ。まあ、いいかな。逃げないのは、あなたの選択だ。「一つの仮説として考えられるのは、」


「ヒトの姿を保てなくなる、ということ」


 肘を持ち、


「細胞の増殖に、制御が効かなくなる。ヒトの構造にバグが起きる」


 静脈を見定め、「そうしたらさ」針を、



「翼だって、生えてくるんじゃないかなぁ?」



 刺した。注入した。


「ッ……!!」


 痛みに、鷲巣さんの表情が歪む。ごめんね、注射が下手で。未だに慣れていないんだ。


「それは、アポトーシスに異常を起こす特別な薬剤だよ。長生きしたい臆病なヒトがいてね、その人の研究の副次的な産物。薄めたものもあるけど、それは特別に効果が強いもの……毒、と言った方が適切かな」

「いッ……!?」

 

 鷲巣さんの瞳が激しく揺れ始める。瞳孔が開いている。自分を抱きしめている。身体が震えている。呼吸が荒くなっている。効果が出始めているようだ。めりめり、と聞こえる。みしみし、と聞こえる。「あ、あ」押し殺した悲鳴が聞こえる。絶望が聞こえる。めきめきと聞こえる。びしゃびしゃと聞こえる。びちゃびちゃと聞こえる。ぬちゃぬちゃと聞こえる。変態は続いている。


「魂を追いかけられる姿になれるといいね、鷲巣さん」


 あーでも、掃除が大変そうだなあ。とっても大変そう。


「翼を生やして、羽搏いて」


 昇天する魂を追いかけた先で、


「大きなあの手に、潰されて?」


 頑張ってね。

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