放課後に
「それで? 風紀委員で後輩のキミに注意された俺たちは『はいやめましたー』とタバコを止めると思う?」
「きみたちの意思は関係ない。校内は禁煙であり、未成年はタバコを吸ってはならない」
「わっかんないかなー? なんでお前の言うことを俺らが聞かなきゃなんないの? それに『きみ』ってなに? 俺ら先輩、キミ後輩。分かる? ダメでしょ、そういうの。年上には敬意を払わなきゃ」
放課後。延寿は憎悪と激怒の視線を三セット分受けていた。
なぜこのようなことになったのかと言えば、三年生の喫煙を延寿が注意したため。それだけの理由だった。
巌義麻梨との約束もあり帰宅しようとした延寿は、昇降口のところで何か言いたげな一年生と会った。青色のネクタイをしている一年生の男子だった。名を伊東という。クラスから選出された風紀委員で、その点では延寿の後輩だった。
「その、延寿さん……少し大丈夫、ですか」
おどおどとそう言ってきた後輩へ、延寿は「どうした」といつもの表情で答える。そのいつもの表情が笑みの一切ないお堅い鉄仮面(花蓮談)の為に、延寿先輩はいつも何かに怒っていると風紀委員の後輩全員に思われていた。
「あの……俺、陸上部なんですけど、着替えようと思ってクラブハウス行ったら、なんだかタバコ臭くって……他の部室でまた誰かがタバコ吸ってんのかもって思って……」
勇気を持って言ってきたのだろう。延寿はひとつ頷き、すぐさま歩き出す。
「あ、あの、本当なら俺が注意しないといけないんでしょうけど、俺、怖くって……! す、すみませんけど延寿さんに行ってもらえないでしょうかっ、代わりと言っちゃあれですけど延寿さんの要望を聞くつもりですから」
「要望か。特には……ああ」
「な、なにか、あるんですか?」
考え込んでいる様子の延寿へ、伊東が不安そうに尋ねる。
「一年生の中にオカミス同好会に興味がありそうな人物がいたら、それとなく勧めておいてくれないか」
「お、オカミス? そんな部活があったんですか」
オカミス同好会は認知すらされていないのだと延寿は知った。
「同好会だがな。オカルトとミステリーが好きそうな人に声をかけてくれれば良い。なんなら伊東、きみが入っても良いんだ。掛け持ちだろうが関係ない」
「それはぁ……遠慮しときます。俺、オカルトにもミステリーにも興味なくって」
「そうか……」
「すみません……」
「いや、いいんだ。趣味はそれぞれだから。勧誘の話も……まあ、好きそうな人がいたらで良い」
そう言うと延寿は歩き出した。
「誰かに聞いたとかって言わないでくださいね!?」
歩む延寿の背中へ、後輩からのそんな言葉。
延寿だけが察し、延寿だけが注意し、延寿だけが恨まれる。伊東はそのような流れを望んでいるようだった。
結果的に喫煙という怖い先輩方の規則違反はなくなるかもしれない。自らは何ら危険な目に遭わずに! そんな後輩の判断を、延寿は殊更何も思わない。それも一つの正しい選択だとすら考えている。恐怖するのは仕方ない。ならば恐れない者に任せてしまえば良い。怖いのなら任せてこい。担ってやろうから。そう、考えている。
そして今、延寿はキレられている。
「校内は禁煙だ」
「てめ、なにすんッいでェッ」
延寿は目の前の一人の腕を思い切り掴み、怯んだ隙に無理やりタバコを奪い、クラブハウス内のコンクリートの上で思い切り踏みにじった。
「聞いて理解できないのなら、行動により是正する」
「おま、え……! バカじゃ、ねえのッ! おい、おい! 悟志! 裕士! ボケっと見てねえでこいつやるぞ! 二年の風紀委員だ! 悪名だけえ延寿由正だよ! ブチ殺すぞ!」
「で、でもよ和史……あんまし暴力沙汰は」
「おう。お、俺もこいつ相手はヤべえと思うぜ」
悟志と裕士は一瞬だけ尻込みすると、
「はあッ!? なぁに言っちゃってんのお前ら!? 暴力沙汰はダメ? バカか死ねクソが! 暴力どころか、俺らはもうクスリもあのずた袋女もヤっちまってるじゃねえか! 今さら何を怖がってんだよ!」
興奮しきった叫びをあげると、和史は「三対一だ、それにこいつを毛嫌いしてんのも多い! 逆にヒーローになれんじゃねえのかなァッ! ヒィロォォにぃよお!! ハハハッ!」と延寿を睨みつける。
(クスリ。ずた袋女……)
クスリ、という言葉。
それにずた袋女と言う初めて聞く単語。
「なんだそれは」
「教えるわっきゃねえだろバァァァァァカ!!」
笑い、叫び、拳を振り上げる。
異常なほどに気分が高揚しているようだった。そう、異常なほどに。全能感に囚われて、尋常ではない程に行動的に、攻撃的になっている。なにに起因しているのか、考えるまでもない。
彼らはともすれば今、WWDWを持っている。
延寿はそのように判断した。判断し、
「死ねァッッ!」
思い切り振られる拳を顔面に受けた。
「…………はあ?」
殴った側である和史が首を傾げる。大樹の幹でも殴ったのだろうか、という感触だった。
思いっきりぶん殴ってやったのに、延寿の顔がまるで動いていない。普通なら殴られた衝撃や痛みでふらつきそうなものなのに、目を見開き、睨みつけてきている。
「きみたちは、クスリを持っているのか」
淡々と、延寿は問う。
殴られていないかのように平然としていた。殴ったのに、と和史は思った。
「クスリ……クスリなあ。持ってたとしても、渡さねえよ?」
「よこせ。それは所持してはならないものだ」
「お前、何言ってん」「寄越せ。持っているのだろう?」
まだ延寿の顔に拳は当たっている。
その腕を掴み、「クスリを、俺に渡せ」延寿は思い切り力を込める。ミシミシと骨の鳴る音が聞こえる。
「いだ、いだいいだいッ、あヴぁ、分かった、分かった分かった!!」
握り潰され骨を粉砕されそうな予感と恐怖に、和史は頷いた。
「やべえよやっぱこいつ……暴力に普通に暴力で返してくるしよ……」
裕士か悟志かが、そんなことを呟く。和史がやられる様を見て、彼らの戦意はとうになくなっていた。
和史は俯き、自らのものであろう鞄を漁り、せめてもの抵抗か、延寿の足元へ向かって小さな紙袋に入った何かを投げつけた。紙袋の口を広げて中身を確認すると、チャック付きのポリ袋が一つ入っており、中にカラフルな錠剤が数粒入っていた。件のWWDWだった。
「タバコもだ」
ちっ、という舌打ちが室内に響き、タバコとライターが乱暴に投げられる。
延寿は裕士と悟志を見、「きみたちもだよ」と言う。彼らは素直に延寿の足元へタバコをそれぞれ一パックとライター、それに同じような紙袋をそっと置いてすぐに距離を取った。
「ずた袋女とは何だ?」
延寿は尋ねる。答えるならば誰でも良いとばかりに上級生三人を見渡す。
「クスリを売ってる女だ。だいたい五千円ぐらいで買えるぜ。ゲーム一本よりも安い。しかも機嫌が良いときはタダでくれる。更に機嫌が良いときは……」
「……更に機嫌が良いときは?」
和史はにやりと歪んだ笑みを浮かべると、
「ヤらせてくれる」
下卑た笑みだった。延寿はその笑みを蔑むように見下ろすと、「その人物は何処で見つかる?」訊ねた。
「繁華街のとこだよ。いっつもあいつは路地裏にいやがる。人の目につかない汚らしいところで置物みたいにじっと待って、客が来るのを待っているのさ」
「繁華街……」
「繁華街つっても広いからな、まあいるのは路地のどこかだ。雑居ビルの地下だったり、路地裏の奥まったところだったり。あいつはどうも人通りが皆無のところと場所を知ってるみたいでさ、全くの無人だと感じたら、そこにいるかもだわなあ」
饒舌に喋る和史は、延寿を見上げるとにぃと口を歪め、「延寿。お前も行ってみろよ。ヤらせてくれるかもしれねえぜ? どうせ童貞だろお前、あいつで捨てとけよ。まあ、ポンプして頭の中を賑やかにしねえと身体に触れさせてもくれねえんだけどな。それにあの女は人前に出たがらねえから自然と青姦になっちまうからさみいけど、まあヤってるうちに温まってくる。クスリで熱も上がってるっぽいしな……ああそうだ、粉を飲むのも良いが、ポンプをおすすめするぜ、頭の中の賑やか具合がまた違うんだ、頭が旅に出ちまうんだ、ひひ……」
和史の言葉に「俺はしない」と冷淡に答え、もう必要な情報は得たと延寿は視線を部室内に巡らせ、
「校内の喫煙は禁じられている。また、未成年の喫煙も法律が止めている。ルールを外れるような行動を、今後しないことだ」
そう言い捨てた。渡されたタバコセットと紙袋を拾い上げ、延寿は部室の外へ出ようとし、
「……てめえがガイドなんじゃねえの。てめえが秋一を殺したんだ。正しいことしか見えてねえてめえなら、きっとそのために他人を殺せるだろうよ」
そんな言葉を背中に受けた。
彼らは先日に殺された安寺秋一と仲が良かったのだろうか──そう、延寿は考えた。友人の兄である彼と、不良行為をする彼らは。
そして言葉としては何も返さず、延寿は扉を開けて外に出て、そっと閉めた。
「延寿さん……風紀委員ともあろうあなたが、まさか三年生からカツアゲですか……?」
すると、延寿の目の前になぜだか巌義麻梨が立っていた。表情は引いていた。
「違う」
延寿は否定し、「没収した」とだけ答えた。