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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
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案内者と『迷い子』

 屋敷の蔵書室で、私は初めて紗夜と会った。

 それから長い、長い付き合いとなる彼女は、初日に私から早々に不必要と判断され、不機嫌な表情でふて腐れている。


「……きみは、これから困りまくればいいんだ」


 尖らせた口で、そんな言葉を発している。「今ならまだ間に合うんだけどなあ……『やっぱり今の無し。困ったときは助けてくださいお姉ちゃん』って、まだ言えるんだけどなぁぁ……?」


「不要だ。自分のことは自分で始末をつける」

「困りまくればいいんだっ」


 ふん、と紗夜は横を向き、そのまま蔵書室の出入り口へと駆けていく。扉を少し開き、身体を滑り込ませて室外へと出ていき……扉は閉ざされない。


「……」

「……」


 扉の隙間から、紗夜が私を窺っていた。凝視だ。

 じぃ、と、眉をひそめて、不機嫌であると大々的にアピールしつつ。


「今、屋敷の探検をしてるんでしょ?」


 暫し無言で私を睨みつけた後、紗夜が扉の隙間から尋ねる。


「うん」

「私ってさ、実はこのお屋敷にずっと住んでるんだよ」

「だろうな」


 涯渡氏の娘ならばそうもなろう。

 扉が大きく開かれ、紗夜が再び入室した。表情には笑みが戻っている。心なしか誇らしげですらある。ころころと表情を変える、なんだこいつはと思ったのを憶えている。


「案内してあげよっか?」


 今日訪れたばかりの私よりは、遥かに彼女の方がこの屋敷を熟知している。故の提案だろう。「私があなたの案内人ガイドになってあげる」私へと、手を差し出す。


「ガイド……」


 差し伸べられた手は恩着せがましい。

 

「ここは手を取るものだよ」


 何も言わず手も取らない私へ紗夜が不満そうに眉をひそめ、なおも笑みを維持して言う。


「屋敷内の探索は俺一人でじゅうぶんだ」


 私に案内人は必要ない。私を導くのは私以外にない。

 突き放す返答に紗夜はきょとんとした表情を浮かべると、一拍ほど停止した後、


「ふんっ」


 彼女は自らが差し出した手をさらに伸ばし、一向に取ろうとしない私の手を強引につかみ取った。「おい」「それなら言い方変える。私の退屈しのぎに付き合って」


 にぃ、と義姉が笑う。

 天真爛漫に、快活に、濁りなく、曇りなく。


「そっちが本音か」

「そうだよ? 暇を持て余したご令嬢にお付き合いあそばせ」


 高慢にも彼女はそう言い、


「じゃあ出発ーっ」


 と、蔵書室の入口へ向かい歩き出した。私の手を離そうとせず。

 すぐにでも振り払える非力さを感じつつ、私は入口まで彼女と共に歩むこととなった。言いなりになるのは心底から癪にさわったが、不思議と、振り払う拒絶行為をできないでいる自身を見ていた。行き先はどこだろう、そう考えてすらいたのだ。

 そうして私は紗夜に連れられ部屋を出て、廊下を歩き、エントランスホールを抜け、


「到着ーっ」


 案内された先は森だった。

 屋敷の外の森だ。

 涯渡氏が私を車で乗せてきた小径が目の前に延び、外界へと続いている。私達は屋敷を囲む門の、鉄扉のところにいた。不可解だった。紗夜は屋敷を案内してくれると云った。外じゃないか。紗夜はすぐ傍で、にこにこと相変わらずの笑みを絶やさず私の反応を見ていた。


「俺は……どこへ、案内されるんだ」


 私のこぼした問いに、


「くっらい、くっらい、森の、奥」


 言葉を切りつつ、紗夜が答える。白い歯が見えた。


「そんなところよりも俺は屋敷の中を見て回りたい」

「ここら辺の森も、お父さんの土地みたいだから屋敷の中みたいなものだよ」

「屋敷の中とは屋内を指す」

「細かいことはいいでしょ」

「いくらなんでも大雑把だろう」

「そうでしょー」


 そうでしょじゃない、と言う私の抗議になどまるで耳を貸さず、紗夜は屋敷の中(森)へと私の手を引く。


「槐くん手伝って。私一人だと重い」


 重々しい門を開け、る私を紗夜は何もせずに眺め、


「閉めなくてもいいのか」

「そのままでいいよ。この辺りに泥棒なんてこないから」


 無頓着にも開けっ放しにし、


「こっちこっち」

「道がない」

「道は自分で作るものなのだよ」

「はあ?」


 小径に出て、すぐに道を折れて樹々のなかへと足を突っ込んだ。暗い暗いと紗夜は言ったが、光はそこそこに差し込み、明るい。地面に落ちた葉を踏みしめ進む私へ、紗夜がひとり喋り散らす。


「だいたいケヤキとかブナだったかな。紅葉するんだよ、綺麗なんだよ。あ、そういえばエンジュもあったかな、きみだねっ。あとハリのほうのきみもあって、ニセじゃないほうのハリのきみもあった、アカシアのほうのミモザねっ」


 彼女は私の理解を求めていないようだ。言葉からして植物だろうが、当時の私の脳裏には発された音の響きしか残らなかった。その間にも紗夜はぐんぐんと樹々の間を歩いていく。慣れたもので迷いのない足取りだ。


「フィトンチッドを存分に味わおーよ」

「フィトン……なんだそれ」

「ん、森林浴のアレ」

「森林浴の……」

「植物性の殺菌素。植物フィトン殺菌チッドするんだよ」

「はあ。そうか」

「植物が傷つけられたときにほかの生き物を殺す物質を発するの。ね、槐くん」


 古くなった私の苗字を呼ぶと紗夜は急に立ち止まり、振り返り私を見上げた。目元の泣きボクロが笑みに揺れる。


「槐くんも傷つけられると、他の生き物を殺すようなすごい成分を放出したりするの?」

「槐だからか」

「うん。槐だから。槐が殺菌物質出すとかは知らないけどなんとなく聞いてみたの」

「出すかもな。ためしに俺を切り付けてみるか」

「今刃物持ってない」

 

 意味などない会話なのだ。

 その証拠に言葉の結びには紗夜はすでに前を向き、再びぐんぐんと雑草と土と落ち葉を踏み歩き始めていた。いましがたの会話を置き去りにするような足取りの彼女の後をついていくと、やがて少し開けた場所に辿り着いた。小規模の広場だ。空から見下ろせば樹々の中で円状にぽっかりと空間ができているのだろう。


「ベンチ……?」


 なぜだか、広場の真ん中にぽつんとベンチが一台置いてある。そばには小さな丸テーブルが一台。


「お父さんに頼んで置いてもらったんだ。晴れた日なんかにここで本読むんだけどね、さすがに地面に直で座るのもなあと思って」


 森の中、少し開けた場所に、休息用のベンチとテーブル。東屋とはとても呼べない、山奥に不法投棄された家具のような佇まい。当然、屋根がないため風雨に汚れている。


「槐くん、疲れた?」

「疲れていない」

「よし、座ろ」

 

 なにが『よし』なんだ。俺の返答が何ひとつ考慮されていないじゃないか。

 私はそう不満げに紗夜を睨むが、当の彼女は私が座ることに何ら疑いを持っていない笑みを浮かべている。走り去ってやろうかと思ったが、思い直し、渋々とベンチに腰を下ろした。すぐ横に紗夜も座った。尻がひんやりとした。樹々の中、風が少々肌寒く感じた。


「空には、トンネルがあると思う?」


 唐突な紗夜の問いかけに彼女を見ると、その視線は空を、天を向いている。私もまた、空を見た。樹々の遮りはなく、空、青々とした空が広がっている。


「ないな」


 私の眼に映る空には、空洞などない。

 網膜はまったくもって正常に機能している。


「きみには見えるのか」

「見える、と言ったら?」

「俺の義姉あねは正気ではない、ときみに対する認識を改めるだろう」


 会話が途絶えた。

 疑問に思い空から紗夜へ視線を落とすと、私を不満そうに凝視していた。「狂ったお姉ちゃんに斬りかかられないといいね」そんなことを恨みがましく彼女は言う。無視し、私は再び空を見上げた。快晴だ。「私は常に正気だよ。トンネルは見えないし」との声が聞こえた。どうでもいいことだ。


「ヒエロニムス・ボスという人が、光のトンネルがある絵を描いたんだ。祝福された人たちが天国へ行くときに通る、大きな空洞」


 天国へ行くとき。死を経た時。トンネル云々は、その故の質問か。ボスなる芸術家については当然ながら私は知らなかった。


「私たちがもしも死んじゃった時に、意識がなくなる直前に空を見上げたら、大きな空洞が見えたりするのかな。ぽっかり口を開けて、翼を生やした人たちが降りてきていて、私達を連れて行こうとしているのかな」

「何の変哲もない空があるんじゃないか」

「夢がないね」


 息絶えるときに見上げる空は、変わらず空なのだろう。


「それなら、槐くんは死後の世界を信じる?」

「信じない」


 問われ、私は断言する。死後の世界、光のトンネル、天国……想像豊かなものだ。意識が途絶えた後に続きがあると考えるのは当人の自由だ。好きに想像し、好きに〝夢〟を見ればいい。意識の一切が永遠に途絶える瞬間までの気休めぐらいにはなるだろう。


「きみは信じるのか」

「あってほしいかな、とは思ってるよ。死後があればほら、死ぬことが終着点ではないって思えるでしょ。まだ自分の時間は続くんだ、って考えられる」


 私はそのように考えられない。

 死とは生命活動の終わりだ。心臓は停止し、身体を巡る血は途絶え、脳は不可逆的に機能を止める。即ち、思考が止まる。神経細胞は死滅し、あらゆる身体的、精神的活動が永続的に機能停止に陥り、恒久的に回復しない。故に人間(私達)は、死亡それまでだ。死した身体は腐りゆくほかなく、平坦な脳波は電位変動の絶無を示し、意識の消滅を意味する。

 それでも、死後が存在する、と?

 ならば教えてほしい。死後に夢を見る者は、いったいどこから新たな思考を、意識を持ってくる? 他人では当然ない、自らの新たな肉体だ。肉体なき意識があるとは、よもや思ってはいないはずだ。魂? 論外だ。下らない。


「自分の時間が、続く……」


 死は、どうしようもなく終着点だ。通過点などでは決して無い。

 死はそれまでだ。どうしようもないものだ。落ちた電源はあらゆる場面を二度と映さない。


「長生きしたいなとは、思うでしょ? いくら槐くんだってさ」


 私はその問いに、反応できなかった。

 長生き、私は長生きしたいのだろうか。死は恐ろしい。死は怖い。死後はない。無いのだ。遂に私を捕らえるのは虚無であり、それは私からあらゆる機会を奪い去る。恐ろしいと、私は思っている。恐怖する。実体のない、けれども確かな終幕に怯える。怯臆は不安を呼び、不安は怒りを熾す。不安を紛らわそうと当たり散らす幼児のように。由来の知れない曖昧な不安で周囲に苛立ちを向けた臆病者のように。


 可能であれば……怖いものは、避けたい。


 土中から現れた小さな芽のように、私は長寿を僅かに望んだ。そうあれるのならそうありたいと考えた。死は避けられない。恐ろしい。恐怖する。避けたい。なら単純な話だ。

 もしも、私の時間に限りがないのならば?

 尽きることのない命脈を、得られるのならば?


「私も、長生きしたいなあって思ってるんだ」


 私の無言を肯定と捉えたのだろう、紗夜が一人言葉を続ける。


「具体的にはメトシェラぐらい」

 

 誰だ、という表情を当時の私は浮かべていたのだろう。彼女の知性は私に通じなかった。紗夜は無言の私を数秒見つめ、言う。


「969歳まで生きたと云われている人」


 ありえるのか、と当時の私は疑問を抱いた。誇張された嘘なのだと判断した。


「そろそろ、戻ろっか。今度はきちんと屋敷の中を案内してあげる」

「その言葉は本当だろうな」

「どうだろ。嘘かも」


 言うと、紗夜はベンチから立ち上がり、尻を払った。


「きみは嘘を吐くのか」

「必要があればね。他人の本心なんて分かりようがないんだよ」


 淡々と口にする彼女の表情は見えない。

 歩き出した彼女の後ろ姿を視界に、私も立ち上がり、再び森の中を進んだ。


「どうやってでも叶えたい目的があるのなら、私はその為に嘘がつけるかもしれない」


 途中、前を向いたままで紗夜が言う。言った、というよりも独り言のような調子だった。別段返答を望んでいないような、吐き出た言葉が外気に掻き消える様を眺めたいがだけの、放言。


「そんな目的が、きみに?」


 私は彼女の後姿に問いかけた。


「ないよ」


 返ってきたのはそれだけだ。


「だろうな」


 ひとり納得する私へ、紗夜は不満げな一瞥をよこし、また歩き出した。私はその後ろについていく。向かう先に屋敷が見えてくる。


「お父さんが言ってたけど、今日は豪華なご飯にするんだってさ。豪勢なディナーだって。新しい家族が増えるからお手伝いさんたちも張り切ってた」

「楽しみにしておく」

「うんうん、素敵なお夕食をご期待遊ばせ」


 鉄の門を私が閉じる様を、紗夜が無言で見つめている。なんだ、と見つめ返すと、


「私達、長生きしたいね」


 にこりと、笑みを携え紗夜が言う。


「……そう、できるものならな」


 私は笑む彼女へ、そのように返答したのを憶えている。「きっとできるよ」根拠のない言葉を紗夜は発すると、「なんとかなるんじゃないかな」何も考えずに喋っているのだろう紗夜は歩みを再開し、私達は屋敷内へと向かった。

 できるものなら、と私は答えた。

 ならば私は、できるものなら、長く生きたいのだ。

 長く生きれば、そうすれば私の感情のさざめきは、すべては凪いでくれるだろうか。

 結論は見えない。そう遠くない日にまみえようが、それまで私の人生を続けよう。そうして以後も続き続ける。すれば虚無は私を捕らえられず、何も奪いはできない。

 そのために私はヒトの有限を引き延ばす。メトシェラよりも更に長く。聖人の名を得た星よりもなお永く。やがては限り無き命数を得、延寿の実現を望む。

 不老不死をしんから希求する私を、嗤いたければ嗤うといい。私の生に何ら痕跡を遺すこと無き者達の言葉は、永遠の合間に寸毫も持たず掻き消えるだけの雑音だ。

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