お屋敷(夕方)
「ほらぁっ、無事に到着できたでしょー?」
なぜだか自慢げに紗夜が胸を張る。「私のおかげと言っても過言じゃないんじゃないかなあこれは」
「さんくすー」
「うわテキトーっ」
付き合ってられるか感満載の伊織の気だるげな返答に、紗夜の笑みが一段と増した。「生徒会長サマ」「なに?」「過言」「お、追い打ち……」
ともあれ、延寿たちは無事に屋敷へと到着した。
部外者を拒む鉄の門前に、延寿たちを乗せた車が停車した。すぐ後ろについてきていた椿姫たちを乗せた車もまた、停車する。運転席から上分が降り、開錠し門扉を開け、再び車は動き出した。
涯渡邸は周囲を樹々に囲まれた、開けた場所に建っていた。
傾いた太陽から染み出た朱が世界に浸みている。陽はもう落ちかけていて、藍色の暗闇が遠い空より近づいていた。
「大きいな……」
伊織のこぼした感想に、紗夜が「そうでしょー」とやはり自慢げだ。
延寿にとっても確かに、眼前にそびえる屋敷は大きく映った。
真っ直ぐ伸びる舗装された道の先に、玄関ポーチがあり、大仰な両開きの玄関扉が待っている。三階建てなのだろうその建物の、白く艶やかな外壁には暮色が薄く照っている。格子窓にもまた夕暮れが反射し、ひとつひとつが遠目で分かる程に磨き上げられた窓は入相を受け容れていた。真正面の玄関から両側に建物が延びており、ひと際延寿の目を引いたのが、屋敷にさも隣人のように聳え立つ塔だった。
その外観は、塔、としか云えなかった。周囲の森の樹々よりもなお高い。屋敷と同様、真白の見た目で、天へと長く伸びている。正面からでは入り口は見当たらない。恐らく裏側か、屋敷から通路が伸びているのだろう。
車は玄関ポーチのすぐ前に停車し、後方からついてきていたもう一台も、続いて停まる。
「さ、着きました。長い旅路を、お疲れさまでした」
にこりと紗夜が言い、車内から外界へと通じる扉が自動で開かれた。
計七名が無事に、涯渡のお屋敷の前に降り立った。後続の車の助手席から降りてきた冬真が、延寿へ向かい、しばらくぶりだなとばかりの笑みで片手を挙げる。微かな笑みでもって延寿はそれに応えた。
続々と車から降りた招待客たちが、各々の様相で屋敷と向かい合う。ほえー……、と屋敷を見上げる亜砂美の傍ら、椿姫が紗夜へと目配せをした。
「お手数ですが荷物はご自分でお持ちになってね。さっそく、中に入ろ」
皆へ向かって紗夜が言い、そのまま一人、玄関扉へ近づき────
「ようこそ、皆さま。本日はよくお越しいただきました」
と、芝居がかった所作で、扉を大仰に開いた。
涯渡邸の扉はかくして開かれて、七名は屋敷の中へと迎え入れられた。
吹き抜けのエントランスホールには、採光窓から夕暮れが零れ落ちてはいるものの、夜も間近とあって薄暗い。紗夜がスイッチを操作すると、天井にぶら下がるシャンデリアに煌々と明かりが灯った。
延寿たち七人全員はエントランスホールのちょうど真ん中に集まり、
「あ、あのこれみよがしに置いてある壺っていくらぐらいなのかなぁ。アタシのお小遣い百年分ぐらいかなあっ……」
「それ以上だろ」
「あ、アタシの人生……四週分、ぐらいのお小遣い……?」
「そんくらいじゃないの。お前がいくらもらってるか知らないけど」
「ひぃ、はんぱねえ……もし割っちゃったら私は死をまたいでその罪を償わなければならないんですね……!」
「近寄らなきゃいい話だろ」
「こっちが近寄りたくなくてもあっちから来たらどーすんですかぁっ。ポルターガイストとかでーっ」
「ポルターガイストだなんてそもそも作り話だ。オカルトなんて全部作りものだろ」
「おぉあぁ……!? あ、ああっ、あるかもしんないじゃないですかぁっ……! ぜんぶぜんぶぜんぶないってことをぜんぶ確かめもしてないのにないだなんて断言しないでくださいよ……!」
「お、ま、待てって。そこまでムキにならなくてもいいじゃんかよっ……!」
馴染みのない空間の目新しい調度品に目を奪われ、興奮の余りにしまいには取っ組み合いをしようとしている者たちもいれば、
「……広いな、ここ」
「広いですね、私、初めてこういうお屋敷にきました」
「俺もだ」
「あ……黒郷さんと沙花縞さんが」
「おー、大はしゃぎだな。まあ、由正が止めるだろ」
「だ、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だって。小さくてさらさらした猫と大きなもさもさした猫のじゃれ合いみたいなもんだわ。ほらな、止めに入った」
「ああっ、沙花縞さんが延寿さんを叩いてしまいましたっ……」
「微動だにしていないな。さすが由正だ」
「ふふ」
「……、楽しいか」
「はい。楽しいです。私、友達といっしょにお泊りなんてしたことがありませんでしたから。冬真さんはあり……あります、よね……?」
「そりゃあね。ありますがね」
「そ、そうですよねっ……それが、普通というものですよね……」
「けどさ、なんか、なんというか……今のこの状況は、今までなかった」
「今の、この状況……?」
「仲のいい奴らとかじゃなくて、……ああいや、つまり俺も楽しんでるってことだ」
「好きな人と、ですか」
「……おう」
二人、確かに好き合う同士で語らう者もいれば
「由正。今夜だ。今夜、話し合おう」
「確かな情報はあるんですか」
「あると信じているから、お前は今日この場所に来たのだろう?」
「ほかに何も思いつかなかった。花蓮に近づける手段だと思っただけです」
「私も、詳細については知らない。涯渡が今夜と指定し、場所も指定し、そのときを待つのみという身だ。……おや、喧嘩かな」「俺が……」「ふふ、それなら仲裁を頼んだぞ」
じゃれ合っている小さな猫と大きな猫を止めに行く者もいれば、
「……待て。待つんだ。落ち着け」
「待ちませんっ、いくら延寿先輩だろうとぅ……お? えんじゅせんぱ。延寿先輩ぃ……!? ひぃぃすみませんでした取り乱したりして反抗したりして詫び入れて死にますぅ……!!」
「落ち着くだけでいい。死ぬな」
「あ、す、すみませ、それなら死にません、なにがなんでもぜったいにアタシは生き延びてみせますぅぅ……! うぶるるっ……!? ちょ、ちょっとすみましぇ、アタシお手洗いにぃ……」「あ、トイレはこっちだよ。案内してあげる」「お願いしましゅぅ……」
家主に連れられてトイレに行くものもいれば、
「……なんでお前あの後輩ちゃんにそんなにビビられてんだよ」
「知らん。それより伊織、きみが何か言ったのか」
「いや……オカルトなんて全て作りもんだろ、って言ったんだけどさ。想像以上にキレられた」
「それだけ黒郷さんにとって大切なものだったのだろう。二度目がないように気を付けるべきだな」
「わかってるよ……あ、てことはだ、延寿」
「なんだ?」
「一度目の失言は見逃してくれるんだな。お前ならなんだかさ、相手の大切なものをきちんと察して最初からそんなことを言うなってぐあいにうざったいクゲンを言いそうなもんだけど」
「相手がどれに価値を見ているかは予想はつけられるが常にそれが正解であるとも限らない。発した言葉が意図せず傷つける場合だってある。少なくとも俺はそうだ。二度目だけは徹底して起こさないようにすべきだろうが」
「自覚あるんだな」
「ある。俺がそんな人の些細な機微を察せるような人間に見えるか」
「はははっ、まあ、まったく見えないね」
二人、話し、笑い。
お手洗いに行った亜沙美が紗夜とともに五体満足で戻ってきたとき、
「それではまず、あなたたちの泊まるお部屋をご案内しようかな。ひとまず荷物を置いてもらって、夕食までの間はそこを中心に過ごしてもらうね。お屋敷の中を見て回りたいならご自由にどうぞ、言ってくれれば案内だってするよ」
紗夜が一同を見渡し、そう言った。浮かべているのはいつもの微笑で、語調はいつもの朗らかさである。気持ち、普段よりもテンションが高い。自らの別邸へ客人を招待することを、彼女は楽しんでいるようだった。
「ついてきて」
紗夜が歩き出し、一同もそれに続いた。
エントランスホールの二階へ続く階段へと、歩き、上る。そのまま進み、突き当りを左へ曲がると眼前に廊下が真っすぐにのび、両側には扉が規則的な間隔を空けて設けられていた。それぞれの扉には簡易なプレートが備え付けられており、手前から左側に201、右側に205と刻まれている。廊下の向こうを見る限り、客室は左側に四部屋、右側に四部屋それぞれあるようだった。
「あなたたちのお部屋たちです」
紗夜は微笑み、「一人一室だよ。好きに使ってね」と、目の前に延びる廊下へ、左右に設けられた客室の扉たちへと手のひらをかざした。
「好きな番号のお部屋をどうぞ。鍵は、ノブにささってるから。電気のスイッチは入ってすぐ横だよ」
各自、部屋を選ぶ算段となり、
「生徒会長殿はどちらの部屋を?」
「最後に残った部屋にしようかな。椿姫は?」
「恐れ多いが、一番手前を選ばせてもらうよ」
そう言うと椿姫はさっさと201号室の扉を開けて中へと入っていった。
それからは皆、彼女に続き、
「俺、ここにする」
と、冬真が206号室の扉へと、これまた妙に迷いのない足取りで近づく。
「何か理由があるんですか」
「ん、直感」
尋ねた汐音へは、そんな返事である。
汐音は冬真の隣、椿姫の向かいの205号室を選んだ。
「な、なんでみんなそんなさっと決められるんですかぁ……」
迷い迷い、恐る恐る、といった様子で亜砂美は202号室へと入っていった。「失礼いたしますぅ」消え入るような挨拶を後に残し。
「お前どこにするの?」
伊織に見上げ問われ、延寿の視線は一番奥の客室を向いていた。
「204号室……? うえ、縁起わるぅ。僕はやだぞ」
「ああ。俺があの部屋にする」
そう言うと、延寿は扉に近づくと鍵を引き抜き、ノブに手をかけて回す。扉が音もなく開かれた。廊下の照明が室内の暗闇を裂いていく。
奥に窓が見えた。乳白色のカーテンは閉じられている。
ベッドがあり、書き物机が壁際に設置され、本棚が並んでいる。テーブルと小さな一人掛けのソファが見えた。ドアノブには内鍵がついている。室内からでも鍵がかけられるようだ。
「なら僕は……」
と、伊織は隣の203号室へと入っていった。
「きれいなものでしょ」
ノブを握ったまま、入り口から室内を見つめる延寿へ、紗夜が声をかける。
「これだけ部屋があると掃除が大変そうですね」
「うん。大変だったみたい。ここにするの?」
「はい」
「それなら私は208号室にしよっと。ふふ、きみのお向かいに失礼するね」
と宣言し、紗夜はその番号の客室へと荷物を手に入室した。
これで七人が七人、各々が自由意思に基づいて部屋を選び終わった。この廊下にある客室の数は八つ、必然、選ばれなかった207号室だけが残ることとなり、207号室だけが空室となる。
このとき、延寿が見た207号室の扉のノブには鍵がささりっぱなしだった。