マワリ灯籠
血生臭い経験論が、二つ。
ヒトの体の断面から、より多くの魂が出ている……気がする。斬れば斬るほどたくさん出る。切断面が多ければ多いほど、切傷を増やせば増やすほど、吹き出る血は増えていき、虹色に光り輝いている綺麗で奇麗な魂もまたたくさん滲み出る。魂の塊は大きくなる。不思議だなって、いつも思う。人体の神秘性を垣間見ている気分になる。
もう一つは、私が斬らないと魂は出てこないということ。私を真似する猫ちゃんが男の子を斬ったところを見てたけど、やはり魂は出てこなかった。あーあ勿体ない、もったいないなあ……少し、ムカッときた。ううん、少しじゃないかも。とてもかも。
「み゛ゃ゛あ゛!?」
たった今、首を突き、裂いた猫ちゃんが血を噴き出しながら仰向けにこてんと倒れた。少し離れたところに、猫ちゃんの腕がカッターナイフを握ったままで落ちている。びくびく、と身体が痙攣して、どくどくと血が出ている。魂は、まだ出ない。血が出て、悲鳴が出て……常にいつだって最後尾に魂は並んでいるのだ。
猫ちゃんの身体がうっすらと、燐光を纏い始める。出てきたみたい。
魂が。
この現実世界において、視えたらおかしいはずの物質未満の虚無。質量としては0未満で重さも当然0に満たない、虚数的で、非物質的だ。こんな考え、マクドゥーガルは異を唱えるだろうし、私も視ていて信じられない。なのに目の前に存在している。私の脳が作り出した幻覚だと考えたほうが、よほど現実味がある。質量が無くて、なのに光みたいに速くもなく視認ができる。常識に、現実の規則に反している。
でも、綺麗。すごくきれい。
赤、青、緑、黄、紫、橙、藍……流れるように変わる有彩色の微差に交じり、黒に、白、灰の無彩も現れる。いつ見ても魅力的な、人の命の、物質化した生命そのものだ。魂。ありもしない虚無の、不可思議な可視化。
何回も捕まえようとした。掴もうとした。
けど、できなかった。
触れようとしても触れない。掴もうとしても掴めない。N極とN極、S極とS極みたいに、同極の斥力が私に魂を得させない。捕まえようと振るった箱も、網も、通り抜ける。だからもう、私は視るだけ。良いなあと思いながら、浮かび上がっていく魂を見上げ、
「……本当に、欲張り」
欲張りな誰かの、青空いっぱいの巨大な手に魂を取られる様を、眺めるだけ。
あれは、何の、誰の手だろう。神さまの手? 神さまの普段は見えざる、今は見えている手? なんにせよ私はあなたが嫌いだ。ずっと嫌い。
「エンジュくん、生きてる?」
首から血を流して倒れている男の子へ問いかける。返事はない。つついてみる。反応はない。魂も出てこない。私が斬っていないため、出てこないのだろう。これで仮説の信憑性がまた一つ補強された。苛立ちが増す。この男の子の魂は、きっととんでもなく綺麗だったはずなのに、その機会をみすみす逃してしまったのだ。さっさと猫ちゃんを殺しておけばよかった。さっさと男の子を殺しておけばよかった。そうしてまた、あの大きな手に横取りされる……私が欲しいのに。私が欲しいのに。私が欲しいのに……嫌いだ。
「ねえ────」
私を見る、視線がさっきからずっとある。
鷲巣花蓮さん。
倒れている男の子を好きな女の子。
私が怖くて、死にかけている彼に近づけない。
涙を流して、私を睨みつけている。ごめんね。あなたがこの男の子からの愛情を欲しがるように、私はこの男の子の魂が欲しいみたい。どうやってでも、得てみたいらしいや。誰にも、渡したくないんだ。あなたにも、他の誰にも……トリガネセンセイにも、あの大きな手にも。
「ねえ、ひとつ提案があるんだ」
鷲巣さんに、いじわるな選択肢を出した。
どう選ぼうとするのか、既に予測できている選択肢を出した。
「よしまさを、助けてください」
予想通りの答えを、男の子に生きていてほしい女の子は言ってきた。
そうだよね。そうなんだ。
あなたは、男の子に生きてほしいんだ。誰だって、好きな人にはできるだけ長く生きてほしいから。そうすれば長く一緒にいられる。その長さは愛情の度合いに比例し、正気を蝕む歪みが指数関数的に増大させる。もしそれがとんでもない愛情の持ち主ならば、想いを向けている相手に望むのは莫大な長さの寿命だ。永遠、と換言できるぐらいの時間……不老で不死で、不滅の存在へと相手を作り変えようとする願望。思考を過りはしても、実際に行動に移そうという人は早々いないだろう、狂的な恋慕。怖いものだ。私はそこまでを願えない。私はそこまで特定個人に執着できない。私が望むのは……唯一、私がしてみたいことは、
「ひとつ、手伝ってもらいたいことがあるんだけど」
私の手から逃れ出て、横取りされ続ける魂を、
「私はね、魂を捕まえたいんだ────どう、やってでも」
掴まえたい。私のモノにしたい。
瓶に詰めたらどうだろう? コルクの蓋をすれば、いつまでも好きな時に眺められるのではないだろうか。それはとても、素敵な光景だ。
「あの綺麗な虹色を、自分のものにしたいの。だからね、鷲巣さんには……」
鷲巣さん。
あなたには。
「空を、飛んでもらいます」
翼を生やして。羽搏いて。
空を進み、魂を追いかけて。
浮かび上がっていく魂を、
目ざとく見つけ出した欲張りな、
あの大きな手に、握り潰されてほしいんだ。
神さまの大きな手は魂に触れられる。
それといっしょに潰されてしまえば、強制的に魂に触れられるのかもしれない。
魂といっしょに潰されれば混じり合えるのでは、という仮説。あの大きな手は魂にしか触れないのかもしれない。あの手は人間の、ひいては現実の物質をすり抜けてしまうのかもしれない。懸念はある……けど、そうではない可能性も、ある。
だって私は、小鳥が魂と一緒に潰されて消失する光景を、見ていたのだから。
「分かりました」
そう、鷲巣さんはうなずいた。
私も、満足気に微笑み、うなずき返した。
スカートのポケットに手を入れて、注射筒と注射針の入ったケースを取り出し、開けた。筒の中にはすでに、無色の薬液が満ちている。
針をつけ、男の子の首元に屈み込む。
出血量が夥しく、顔色は死人みたいに青ざめている。
「綺麗、だったなあ……」
感傷が、思わず口からこぼれる。
鷲巣さんが聞いているだろうけど、出てきた言葉は仕方がない。
「欲しかったなぁ……きみの魂……」
男の子の首に手を当て、針を刺し、薬液を注入した。
男の子の命は、これでもう心配はいらない。ほら、お姉ちゃんが助けてあげたよ。存分に感謝してね。
「これでもう、大丈夫」
鷲巣さんを見上げ、微笑む。可愛らしい顔立ちの、今助かったばかりの男の子を好きな女の子の表情は実感がまだ湧かないようで固いままだ。
「もう、大丈夫……」
今度は男の子に向かって、言う。
失血死する筈のきみの命は助かった。
私のおかげで、きみ自身のおかげでもある。
今きみは、自分の罪に命を助けられたんだ。
「きみはまだ、生き永らえる」
延寿くん。ねえ槐くん。
その魂、私以外に渡しはしないで。
もしも渡したら私、きっとすごく怒るよ。
きみの。死を怖がり永遠を望んだくせに、未だにメトシェラよりも長生きできないきみの。綺麗な魂。虹色の塊。不可視非実在の虚無の誤謬に塗れた顕現。ありもしないうつろ。奪われ続けるヒトの精髄。……ああ欲しい、欲しいなあ。
心を奪われるような何かを私は、ようやく見つけたんだ。