涯渡家の屋敷へ
週末に至るまで、月ヶ峰の街は平穏だった。
ニュースになるほどの事故や、ニュースにならない程度の些細な諍いはむろん起こっている。それらよりももっと特異な人死──『案内人』が現われなかったのだ。市民が無残にも斬り刻まれた死体を発見し警察が動き回収する一連の流れが起こらなかった。連日とはいかなくとも、一週間に一、二体は発見されていた哀れな犠牲者が出なかったのである。
そんな血生臭くない平和な週末の黄昏どき、梅雨の合間に晴れた一日の夕焼けの涼やかな一場に、延寿は友人たちと共にいた。
場所は月ヶ峰駅の、駅前広場である。授業が終わり、放課後にそれぞれが一時帰宅し、各々私服に着替えて荷物を持った後の集合だった。
既に全員揃っている。全員とは即ち七人だ。
安寺冬真に桐江汐音が気持ち距離近めに佇み、その近くに黒郷亜砂美が若干のおどおど加減で左見右見しており、その傍には延寿、とその背中に隠れるように伊織の姿。各々が各々の緊張した面持ちでいる眼の前には、二人。椿姫と、今回のお泊り会の主催者である紗夜がいた。
「え、すげえ」
ぽかんと、冬真がそうこぼした。
延寿たちの目の前には車がある。二台ある。運転手付きだ。男性と、女性。制服をきちっと着用し帽子まで被り、手袋すらつけている。
「せ、専用の運転手さんでしょうか」
「でしょうなあ……格がちげえわ。しかも一人じゃねえもん、二人いるもん。二倍だわ、お手伝いさん力が二倍あるってことだろ」
「あの、冬真さん」
「ん」
「お、お手伝いさん力とは……?」
「ああ……俺も分からない。頭のどこかから出てきた」
驚いた様子の汐音の言葉に、冬真が頷いての、会話。
「きみたちは大事なお客様だから。対応もきちんとさせて頂きます」
紗夜はそう表情に冗談めかした微笑を浮かべると、二人の運転手へと視線をやり、「この二人は涯渡の家で働いてくれていて、今回の私の我儘に付き合ってくれる人たちです」そう言うと、
「清身です」とまず男の方が帽子を取り、柔和な眼差しで頭を下げ、
「上分です」と女の方もまた帽子を手に、温和な微笑みと共に頭を下げた。
場にいる者達もまた、彼らの会釈に会釈を返した。
清身と上分の二人が、今回の二泊三日のお泊り会に付き添い、雑事をこなしてくれるという。至れり尽くせりだな、という椿姫の言葉に、紗夜がくすりと笑みを返した。
「ゲストの皆様、ここからは二グループに分かれてもらいますね。四人と三人がいいかな」
車は二台ある。
二組に分かれて、とのことだった。
「冬真と汐音はセットだ」
出し抜けに椿姫が言い、冬真が複雑そうな表情を浮かべ、汐音は照れた。結果的に冬真も照れた。すなわち両者とも照れたのである。
「アタシ、場違い感すごくありません……?」
口元に手を当て周囲を見回し、誰にともなく亜沙美が呟く。彼女の視線は周辺を巡り、果ては延寿に辿りつき、双方の眼がかち合って「うびゃぃ」怯えの奇声を伴いすぐに外された。
「皆、招待された立場だ。誰も場違いとはならない」
延寿の言葉は亜砂美の不安を打ち消さんとする為の言葉だ。内容に関しても、みんないっしょだから何も心配しなくてもいいんだよ、という意訳ができる。ただいかんせん、延寿はいつもの調子で言葉を発し、その〝いつもの〟が亜砂美にとって圧を覚えるものだった。
「しゅ、す、すみません黙りますぅっ……二泊三日かけて無言に徹しますぅぅ……」
だから亜砂美は萎縮し、言葉の通りに黙った。ふにゃふにゃに閉じた口元で、眼に涙の粒すら浮かべて。なにか並々ならない誤解を与えたと自覚した延寿がどうにか亜砂美の怯えを取り払えるような語句を捜索していると、
「あんましさ、おどおどすんなよ」
見かねた伊織がそんなことを亜砂美に言う。若干の苛立ちと、口下手の延寿から発されるフォローの言葉では何の助けにもならないという理解の下での、助け舟という意図もあった。伊織当人も口下手であったというだけだ。
「おどおどするなって……おどおどしますよそりゃぁ、無茶言わないでくださいよぅ……」
亜砂美が言い返す。涙目で口を尖らせながらも、「怖いものに怯えてなにが悪いんですかぁっ……」伊織を見据えて文句を吐く。
「僕にはきちんと言い返してくるんだな」
からかう伊織の言葉に、
「あなたは怖くありませんしぃ」
にへら、と亜砂美。延寿と比べて背格好の低い伊織は、ちょうど亜砂美と変わらないぐらいである。視線は同じ高さで、その線の細さも相まって威圧感も延寿に比べれば無いも同然。色素も相まって、恐怖よりもむしろ神秘性を覚える見た目。綺麗だなあと思うけど別に怖くない。非力っぽい。弱そう。亜砂美はほんの少し調子づいていた。
「けっこう強かだなお前。もさもさしてるクセに」
「なっ、あ、アタシの心臓までもがもさついているって言いたいんですかぁ……!?」
「言わないけど」
今日のついさっきが初対面だと云うのに仲良く言葉を投げ合う伊織と亜砂美に挟まれ、延寿は前方を見ていた。「え、言わないんですかぁっ……!? お前のもさつきは全身を蝕む不治の病だろうよ、とか言いそうな見た目してるのに……」「どういう見た目だっての……僕はそんなに意地の悪い表情してるのか」
視線の先に立つのは、何かを会話している椿姫と紗夜の二人の姿である。「意地が悪いっていうか、不機嫌そうだなぁって」「元々こんな顔つきなんだよ」「えぇ、もったいないですぅ。せっかくの綺麗な顔なのにぃ」「あー……どうも。お褒めいただきありがとう」すると延寿の視線に気づいたのか、「延寿お前、どこ見て……あぁ」紗夜がにこりと微笑みかけてきて、椿姫がすたすたと近寄って来た。
「亜沙美は私と共に乗る。我が部活の大事な後輩だからな」
「え、はい、恐縮でございますぅ……」
そうして椿姫と亜沙美がペアとなった。
「……僕はそんなに不機嫌そうなのか」
眉をひそめた伊織のボヤキは独り言だった。
「俺も似たような評価だ」
「お前のことなんて知らないよ」
寄り添おうとした延寿の言葉は蹴り飛ばされた。
「安寺と汐音、亜砂美と私はこっちに乗ろう」
言うや否や、椿姫が冬真たち三人を促し、片方の車へと向かい始める。清身が運転する方の車だ。
「じゃあな、また後で会おう」
冬真が振り返り、延寿へ手を上げる。少しくの微笑でもって延寿はそれに応えた。
「キミたちは、私といっしょに乗ろうね」
にこにこと、笑顔を少しも崩さず紗夜が言う。「すぐにつくよ」
「よろしくお願いします」
延寿が言い、伊織も無言で小さく会釈し、二人は車の後部座席に乗り込んだ。上分が既に運転席についていた。次いで紗夜も二人の隣へ乗り、「それじゃあお願いします」運転席へと声をかける。
涯渡家の別邸へと、ゆるやかに車が動き出した。