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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
四章 犯人─Legit lunatic "I'm the Guide."─
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マワリ灯籠

 ある日、ある晴れた一日の、宵の口。

 文明社会から切り取られた森の奥のお屋敷へ、私は帰宅した。ちょっとした用事を済ませてきたのだ。他愛のないお食事を、お上品な言葉と笑みで彩ってきて、その帰り。

 送っていきますよ、という旨のお相手の提案をやんわりとお断りし、『迎えに来てくれない?』という義弟へのメッセージは『用事がある』とばっさりとお断りされ、仕方なくタクシーを探し、帰ってきた。運転手さんを呼ぼうにも、涯渡家のお屋敷には、私と、迎えに来てほしいという私のお願いを無慈悲にも断った今日ぜんぜん予定なくて屋敷にいるはずの義理の弟くんと、運転免許を持つような年齢ではないミカちゃん以外には、週ごとに来る清掃の方以外ではもう誰もおらず、ほとんど訪れもしない。使用人の方々は、お父さんが亡くなってすぐに暇を出して、みんないなくなってもらった。私と槐くんの、二人で決めたことだ。


「ありがとうございました」


 私のお礼に、タクシーの運転手さんはにこりと笑みを浮かべ、車は門から出て行った。 

 お屋敷の窓のほとんどは真っ暗だけど、一部のところからは煌々と明かりが漏れている。場所としては、談話室サロンだ。槐くんとミカちゃんは、おそらくそこにいるのだろう。

 玄関の扉に鍵はかかっていなかった。いつものことだ。誰かが外に出かけていると分かっているときは、私たちは鍵をかけない。玄関の扉を閉めた後、鍵をかけた。今日はもう、帰宅してくる人間はいない。屋敷の中に私たち三人全員が揃っているのだから。

 明々としたエントランスホールから廊下へと入り、談話室の扉を開けた。

 中にはやはり、白い少女と、義理の弟の、私の家族が二人。


「帰ってきたのか。迎えに行けず、悪かった」

「いいよ。気にしないで。歩いて帰ってきたから」

「そんなめかしこんだ姿であの森の小路をか。なおさらすまなかったな」


 さらっとついた冗談がてらの私の嘘へ珍しく殊勝に謝る槐くんの顔に、さっきから見かけないパーツがついている。銀縁の眼鏡だ。


「ううん、大丈夫。実はタクシーだから」

「だろうな。最初から信じていなかった……だがこんなに早いとは。相手の男はお眼鏡に適わなかったのか。それとも年を食ったことで見境の無さを抑え込む術を得たか」


 私の遍歴へんれきをからかうように、槐くんが私へ失礼な事実を向ける。語調はからかってるのに瞳は暗くて顔は真顔、表情の変化無し、塑像かな? いや、彫刻の方が近いかも。もしくは最初からそういう見た目で急に出現した鋼鉄。


「きみ以上の男の人がいないんだよ」


 本心だったのかなあ、私のこの言葉って。どうなんだろ。


「才女にそう言ってもらえるとは光栄だ」


 軽く流された。どうでもよさそう。少しムッとした。


「存分にありがたがって。それで、きみのほうはどんな用事だったの?」

「ミカナに化学の何たるかを説いていた」


 ミカちゃんに勉強を教えていたようだ。きちんと相手に伝わるように教えられたのだろうか、というお節介じみた考えが過る。


「わ、私が無理言って教えてもらって、それでサヤの迎えにも行けなくて……すみません」


 気まずそうな様子で、ミカちゃんが謝ってしまった。気にする必要なんてないのに。


「気にする必要なんてないよ。槐くん、きちんと分かりやすく教えてくれた?」

「それは……」


 ちら、とミカちゃんが槐くんを見上げる。

 

「まだまだこれから、といったところだ。ミカナの理解も、俺の教え方の上達も」


 あんまり分からなかったようである。

 自らの頭が至らなかったのだと、ミカちゃんがシュン、となる。「分かったことといえば、ミカナ」すると、槐くんがうなだれるミカちゃんへと呼びかけて、


「きみには才質がある、ということぐらいか」


 真面目な表情で、そんなことを言う。

 

「で、でも……私、エンジュの言うことがちっとも、あ、いえ……」

「理解できないことに気後れする必要はない。そもそもが興味を抱き俺に教えてほしいと提案したのはきみだ。関心の有無は上達において差を広げさせる一因となる」


 ほほー? ミカちゃん、私たちの仕事にけっこう興味持ってるのかな。


「好きこそものの上手なれ、だね」

「下手の横好きとも言うがな」


 そっちは今言う必要ないでしょ。せっかくきみの言葉を後押ししようとしたのに。ほらミカちゃんが複雑な表情になってる。


「不安に思わなくとも良い。俺が教え、きみが学ぶ以上、前者としかなりえない。ミカナ、きみの理解力は卑下するほどひどくはないと俺には見えた」


 おお、褒めてる。珍しい。明日は大雪かな。


「は、はい……」


 でもミカちゃんにはいまいちピンと来てない様子だ。


「まあ、きみが俺を藍草とできるかどうかは、きみの努力次第だ。頑張ってみるといい」


 ふん、と口の端をわずかに歪め、槐くんはテーブルの上に置いてあったグラスを持ち、口をつけた。エールまで送るなんて。明日降るのは槍かもしれない。


「アイグサ、とは……?」

「そういう諺がある。あとで調べてみなさい」

「は、はい」


 小首を傾げるミカちゃんへ槐くんは言うと、「風呂は沸かしてある」と所帯じみた言葉を私へ差し出した。うん、ありがと。まだ入んないけど。


「ところで槐くん、眼鏡始めた?」

「ああ。はじめた。昨日受け取りに行ったんだ」

「見える?」

「よく、見えるよ。この頃はどうも見えづらくなっていた」

 

 天井を見上げ、マントルピースの上の置物を順々に見やり、傍らでぽやっとした表情で見上げているミカちゃんを見下ろし、私を見た。相変わらずの、くぅらい眼だ。樹のほらを眺めているみたい。樹洞の眼。幸せになれない眼差し。いつ眺めてもおきのどくだなーって。


「なんか、冷酷さと傲慢さが増したね」


 ふふ、と私が微笑むと、


「心外だな」


 と嘲るように眉を上げた。もともとの目つきの鋭さと雰囲気の暗さが相まって冷血漢の度合いが本当に増している。冷酷な実験とかしてそう……うん。


「今度、ミカナの分も作ってもらおうと思う。そうだな……来週の土曜日にでも」


 槐くんの言葉に、すぐそばで黙って見上げていたミカちゃんがハッと我に返った様子で、


「あ、ありがとうございますっ」

 

 そう、少し口ごもりつつお礼の言葉。

 あんまりお屋敷から出られないものだから、お出かけの約束にミカちゃんも嬉しそう……では、あるけど、


「……」


 何かを言いたい様子でも、あるみたい。他に寄りたいところがあるのかな、と私が尋ねようとしていたら、


「……そのついでと言ってはだが、おもちゃの類が陳列してある店にも寄ろうか」


 先に槐くんがそう言った。ミカちゃんの様子に思い当たるものがあって聞いたようだ。やっぱりきみは、人の機微に気づける人間なんだ、と思う。気づいたその上で無視を選べもする、冷たい人間ともいえる。

 でも、おもちゃの類が陳列してある店って。

 おもちゃ屋と素直に言わないところが、なんとも槐くんだ。


「ミニチュアも、あるかもしれないしな」


 ひとりごとをこぼすような槐くんに、ミカちゃんの笑顔がふわりと花開いた。とても嬉しそう。


「ありがとうございますっ」


 今度のミカちゃんのお礼は、全身全霊のお礼だった。

 ふん、と槐くんが微かに口角を歪めた。笑っているのだ。


「ぼやけた世界は、不安だろう」


 照れ隠しみたいに言うと、つけ始めたばかりの銀縁眼鏡のフレームを指で触れ、位置を微調整した。照れ隠しだ。


「世界なるものは、常に確実性を持つべきだ。曖昧で輪郭をぼやけさせる不可思議さなど皆無に、揺らぎなく確固たる佇立をしていただきたいものだよ」


 照れ隠しに世界に対する不満を述べながらミカちゃんを一瞥する槐くんの眼は、いつものソレだ。いつものソレとは、冷たい、ということだ。本人にそのつもりは、たぶんないんだろうけど。ただ何となく見ただけなんだろうなあって。


「エンジュは……不思議なものが、嫌いなんですか?」


 ミカちゃんが尋ねる。その表情はほんの少し悲しそう。自分の出自を否定されたように感じたのだろう。槐くんが悪い。


「槐くんは自分の見たものだけが現実だっていう狭い世界に生きているもんね。不思議も神秘も、見たことないから信じていないだけだよ」


 世の中には不思議が実際にあって、それも溢れるほどにあるんだよ、と私はミカちゃんの真っ白な、室内の明かりを浴びて銀に輝く髪にそっと手を置いた。柔らかく、温かだ。


「すべては神さまの創りものなの。ミカちゃんも、私たちも」


 あなたと私たちはいっしょだよ、とミカちゃんへ視線を合わせる。

 いっしょだから、あなたは自分が特異だと寂しい想いをする必要はないんだって。


「神秘主義ここに極まれりだな」


 眉を顰め、槐くん。

 これから台無しなことを言うつもりと見た。


「神秘を交えて現実を語るのはペテン師か無知な人間ぐらいなものだ」


 うん? 今私のことペテン師って言った?

 それとも無知な人間だとでも? 明日からご飯を水と塩だけにするよ? いいの?


「神とは思考的欠陥と知性的未熟さからくる論考の罅割れを埋めるための便利なシーリング材だ。使えば使うほど、不格好な外観が出来上がるだけだよ」


 私の抗議の視線なんてものともせず、槐くんは嘲笑を浮かべ言葉を連ねる。ほんとに嫌いなんだな、と思う。神も、魂も……。


「ただ、だ。ミカナ。きみの姿を俺は現実の一環として見ている」


 取りなすように、槐くんはミカちゃんを見下ろして、


「きみは神秘でも不思議でもない、いち人間で、……家族、となるのだろう」


 ほんと、そういうところ不器用だなあって。自分の言葉がミカちゃんを不安にさせると知っていて、でも言わずにはおけなくて、でもミカちゃんを不安のままにさせたくはなくてって、ああ不器用。不器用の甲斐あってその言葉は、きちんとミカちゃんの不安を払うだけの効果はあったみたいで、


「……はい。私は神秘でも不思議でもない、エンジュとサヤの娘です」


 灰色の瞳に静かな笑みを湛えて、ミカちゃんは槐くんと、私を見る。


「眼鏡、楽しみにしてますからっ」


 ミカちゃんはとても嬉しそうだ。

 案外、私たちは良い家族となれているのかも、って…………「あれ、今日は眼鏡をかけていないんですね」「ええ。踏んで壊してしまいまして。でもご安心を、私は同じ眼鏡をいくつも持っているんです」


 誇らしげに、取兼  先生が微笑む。なんだか懐かしさを覚える、子どもっぽい笑顔だ。まるで、それはとても嬉しいことなんです、と自慢しているみたい。そんなにたくさん持つほど、大事なんですね。思い出の品を複製し続けるほどに……ああ、違う影絵が混入(コンタミネーション)してしまった。コンタミ。コンタミ? 場面? 主観、主体……。今、私はどうなって、いるのだろう。私の、身体……。

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