招待の理由
『いいぞ』『いいよ』
即答だった。
帰宅し、延寿は先輩二人へと、伊織も来たいと云っている旨を『NEST』アプリによるメッセージで伝え、返ってきたのがその二つ。間髪入れずの返信だった。
「了承、とのことだ」
勝手知ったる、とばかりにソファーに寝っ転がって携帯をいじっている伊織へ、声をかける。「うん」それだけの返事だった。手元の画面に視線を戻す。椿姫からの招待が入っていた。『NEST』内に作成されたグループへ、である。
承認し、延寿はそこに参加した。メンバーは6人。すると新たに一人追加された。伊織だった。これで、7人。
『今週の土日だ。
週末から涯渡生徒会長殿のお屋敷へ向かう。
二泊三日のお泊り会となる』
グループトーク内で椿姫が言い、
『各自、週末までには各々の準備を済ませておくように』
そのように締めた。そしてすぐに、
『お屋敷までの案内役は私がするよ』
紗夜が続く。案内役を買って出てくれるという。そもそもが彼女の招待で、彼女の家が所有する屋敷なのだからそうもなるだろう……「案内人、じゃないのは気遣いなのかね」伊織が言う。今の月ヶ峰市を取り巻く状況が状況なものだから、〝案内人〟という文字列は否が応でも殺人鬼を連想させる。文字を全てかぶせなかったのは、やはり涯渡生徒会長なりの心遣いなのだろうか。延寿は考えるも、『NEST』というメッセージアプリ越しの紗夜の真意は測り兼ねた。グループでも、個人間のトークにおいても。
先輩二人の後に、後輩五人の『分かりました』や『了解です』や『はい。連絡ありがとうございます』や『了解しました』『りょ』が続く。亜砂美、冬真、汐音、延寿、伊織の順である。
『目的は『案内人』についてとそれに関連する鷲巣花蓮の居場所についての話し合いだ。そこのところをしっかりと取り組みつつ、物珍しいお屋敷内の見学もありかもな』
『どうぞご自由に。けど私達もあんまり使用しないから、埃っぽいかもだけど許してね。電気と水道は通っていて、ガスも定期的にきてるから大丈夫だとは思う。うん。たぶん』
『だそうだ。今回の件は涯渡生徒会長のご厚意による招待となる、苦情はそれとなくほどほどにな。それでは週末に』
椿姫と紗夜のやり取りで、グループトークは締めくくられた。
「なあ、この亜砂美って誰?」
仰向けの伊織が、灰色の瞳を延寿へ向けて尋ねた。疑問の視線を一瞥し、延寿は再び自身の携帯へ視線を落とし、
「一つ下の後輩だ。同じオカミス研究部に所属している」
淡々と答えた。
「ふーん。あとはバカップルとセンパイ方お二人と僕とお前か。計、七人っと。それで人里離れた……森の中、だったっけ?」
「ああ」
「そんな森の奥のお屋敷に、二泊三日だろ……なあ。何人、生きて帰れるかな」
そう言う伊織の口元はにやついていた。
「七人だろう」
延寿の返答に、ははは、と伊織は仰向けになったまま、天井へ向け声をあげて笑った。
「考えても見ろよ延寿、ガイドについての話があるのなら、放課後にでも言えばいいだろ」
「……まあな」
「それなのになんで、生徒会長サマはお前らを呼んだ? わざわざ? 人里離れた屋敷に? なんでなんだよ。そこについてワラ女は触れていたか?」
「……」
「なあ延寿。これ、マジの忠告だからな……お前は、その理由を、聞いてみるべきだ」
「……もう、聞いたよ」
「はぁ?」
「聞いたんだ」
「え……それは、お早いことで……って違う!」
ガバと上半身を起こし、伊織は不満の視線を延寿へ突きさす。
「聞いたんなら言えよ! せめて僕にだけでもさあ!」
「黙っていてすまなかった」
「っ……いいっての、もう……でもどのタイミングでしてたんだよ?」
「さっきのグループでのやり取りのときに、生徒会長に個人的に尋ねていた」
「……お前さ、けっこー抜け目ないな」
「俺も、気になっていたからな」
「で、答えは?」
「……」
無言で、延寿は携帯の画面を伊織へ向ける。伊織はそれを奪い取った。そこには、延寿と紗夜とのトークのやり取りが残っていた。文字だらけの、色気のない画面だった。
「長いな」
そして長文のやりとりだった。まさにいつの間に、である。さっきから延寿が携帯ばっかりいじくっていたのを伊織は横目に気づいてはいたが、あえて触れないでいたのだ。触れたら触れたで気にかけていると思われそうでなんか癪に障ったのである。紗夜と延寿のやり取りをスライドし、読んでいく。最初から最後まで。ある一人に対して紗夜が抱いているらしき疑念に関して、を。
『なぜ、涯渡さんの屋敷を? オカミス研究部の部室なら使用できますよ』
『どこに目が在って、誰の耳があるのか分からないから、かなあ。特に学校はねえ』
『どういうことですか』
『槐くん、取兼先生のこと好き?』
『一教師として尊敬できる方とは思っています。なぜ今それを?』
『取兼先生って二人いない?』
『一人しか見かけたことはありません。少なくとも俺は』
『本当?っぽいなあって人に、最近会ってたりしてない?』
『いえ。取兼先生と思わしき人に会った覚えはありません』
『そうかなあ。私の勘違いかな…ま、いいや。延寿くんには言っちゃうね、これ内緒にしてくれると嬉しいんだけど…。
私ね、取兼先生が怪しい気がしてるんだ。さっきの二人いるかも、って点でも、あとは個人的な…これはお屋敷のときに言うよ。取兼先生を疑ってるから、あんまり先生の目がありそうなところは避けたくて、ならどこが最適かなって考えたときに、涯渡家が所有する場所なら安全かもって、お屋敷を選んだの。ごめんね、あんまり納得できない理由だろうけど、別に人気のない場所にみんなを誘い出して悪いことをしようってつもりはないから、安心して』
『屋敷でも、その話題をしますか』
『うん。今よりももう少し納得できると…思う』
『分かりました。話してくれてありがとうございます』
『どういたしまして。話し合いも必要だけど、羽根を伸ばすのも大切だよ。自然の中で、木々に囲まれてくつろいだりとか。お屋敷にはね、サンルームだってあるんだよ。大きなのが。ガラス張りで、日光がこれでもかってくらい入ってくるの』
『そうできるように努力します』
『うん』
一連のメッセージのやり取りを見終わると、伊織は延寿へ目を向け、
「取兼センセって?」
「或吾高校の化学教諭だ。オカミス研究部の顧問でもある」
「二人いるの? 双子?」
「それに関しては涯渡さんに聞くまではっきりとしない」
「お前はどう思う?」
「一人しかいない。今の俺はそう考えている」
「ふーん……涯渡センパイは、このトリガネってのを疑っているんだな。こいつがガイドかもしれないって具合に」
「……なにか、理由があるのだろう」
「それも、聞くまで分からないってか。あーあ、それなら僕たち、どうやったって行くっきゃないなー……ま、いっか。危害を加えないってセンパイ本人が言ってるなら信じてやろーかね」
喋る伊織の傍で、延寿は険しい表情でカーテンの閉じられた窓を見つめていた。
「……伊織」
「な、なんだよ改まって名前呼んだりなんか……」
慌てた様子で、伊織が延寿のほうを向く。しかし延寿は相変わらずカーテンを、カーテン越しに窓の外を見ていた。伊織もまた延寿の視線の先を見るも、暖色のカーテンしかなく、特筆すべき何もない。何も書かれていない。
「きみは来ない方が良いかも知れない」
「は? 今さらそれ言う? やだよ」
「害意がないと口で言う者でも、刃物を隠し持っていることはあり得る」
「……それ、涯渡センパイのこと言ってんの?」
「…………嫌な予感がする」
明確な根拠があるわけでもなかった。なのに、延寿の脳裏から不安と疑念が拭え切れなかった。ただ、漠然と、悪寒があった。足元からじわじわと這い上がり、蝕みくる不穏があった。なにかよからぬことが。歓迎しないような事態が、起こりそうで、起こり得そうで……「バクゼン過ぎるだろ。もう決めたんだ、僕はお前がなんと言おうとついていくからな。お前もさ延寿、一度許可したことを後からやっぱり駄目だ、なんてさ、なんか情けないぞ」
だが、伊織の意志は変えられそうになかった。嫌な予感がするから、という曖昧過ぎる理由もあるが、伊織本人もまた意地になっていたのだ。何が何でもついて行ってやる、といった心境にまで陥っていた。それがなぜなのかは、知りたくなかった。
「……そうかもな」
「お。ってことはオッケーしてくれる?」
「ひとつ、約束してくれ」
延寿は伊織の灰色の眼を直視し、言う。
「危険からはすぐに逃げろ。それが何であっても一目散に、全力でだ」
それは忠告の体を成し、強制の響きを持ち、どこか、懇願を含んでいた──「立ち向かおうと、するな」
そのあまりの真剣さに、伊織は面喰い動揺し、
「なにを、そんな偉そうに……言われなくったって分かってるってのっ……」
苛立ちが起こり、すぐに萎んだ。
「約束、してくれるか」
「……分かったよ、するよ」
「ああ……頼んだ」
伊織が頷くと、延寿は二、三瞬きをし、どこか憔悴したように深呼吸をした。よほどの緊張を、なぜだか張り詰めさせていたのだ。
「ところでさ……涯渡センパイのさっきのメッセージ誤字ってたよな。ってことはセンパイもけっこーテンパってたんじゃないか」
そう、伊織が冗談として笑いかける。
しかしそれについての延寿の返答を聞く前に、
カア、とカラスが窓のすぐ外で鳴いた。そこはさきほど延寿が見つめていた窓だった。バサバサと翼をはためかせる音がし、やがて消えた。
「えっ……」
伊織が窓を見やる。カーテンがかかっていた。
「よ、夜だぞ今……夜にカラスって行動するのか」
「いや、昼行性だ。かといって夜に全く鳴かないわけでもないらしいが」
「そ、そうか……なんか」
不吉だな。そんな言葉が出てこようとし、伊織は慌てて呑み込んだ。その言葉を口にしてしまえば、さっき延寿が口にした〝嫌な予感〟を補強してしまいそうだったから。
「……もう、寝よう」
延寿がぽつ、とそう言う。伊織もそれに同意し、それぞれの寝場所へと別れた。伊織はいつものソファーへ、延寿は自室へと、である。いつも通り、に。
家へ帰るべきだ、と延寿は言わない。現状の伊織は家出少年であり、匿う延寿の行いは正しい振舞いとはとても言えない筈であるのに。
なぜか、とは考えるまでもなかった。答えは瞭然だ。伊織が家出しているという不正に構っている余裕がない。延寿の心境がそれどころではないという、ただそれだけだ。表面上は冷えた鉄でも、内心は果たしてどうであるやら……そうなるほどの、存在というわけだ。あのオサナナジミのオンナノコは。羨ましいものだよ、まったくもって羨ましいね……患う者は内心で嘯いて、そんな自らに吐き気を催した。