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キミモ異世界イキタインデショ?  作者: 乃生一路
一章 旅人─Far away from here.─
11/165

邂逅シ

 勝手に息が荒くなる。

 歯の根が合わない。呼吸が整わない。

 動悸が止まらない。心臓が落ち着く素振りがない。

 恐ろしかった。ただただ、怖かった。アレを止めようなどと言ってのけた自身の発言がこの上なく愚かに思えた。

 風紀委員としての活動の最中で、日々の生活の只中で、怒りの視線や言葉を投げかけられたことは多々ある。規則を反した彼ら彼女らはそれを指摘すると皆一様に激怒し、延寿へと怒りをぶつけてきた。他人の怒りに触れることに抵抗はなかった。「殺すぞ」と言ってきた人物ですら、実際に殺意を込めていたのだろうけれどそれを実行しないほどには倫理的だった。


 だが、違う。

 今目の前のそれは、違う。


 何も言わない。無言だ。

 けれどもひしひしと圧があった。

 怒っているのか、と延寿は思った。だが分かりようがない。

 分かることと言えば、()()()()()()()()()()()()()()、ということだけ。


「ひっ……!」


 言葉にならない悲鳴が聞こえた。か細く、蚊の鳴くような叫びだ。

 花蓮だった。彼女も目の前のアレが何者なのかを承知したのだろう。姿を認識し、正体を理解し、危険性を把握し、相手を恐怖した。

 延寿は自身の震えがほんの少しだけ治まったように思えた。

 怯える幼馴染の姿を見、何かが自身を突き動かしたのだ。

 もしも花蓮がおらず延寿一人ならば、きっとそうはなれなかった。アレが近づくまで動くことすらできず、何かの拍子に悲鳴をあげて無様にも走り逃げたことだろう。そして当然のように追いつかれ、殺される──だが今は違う。今の俺は決して違う! 少なからず無様に逃げる臆病者とは違う!

 延寿は真正面を睨みつけつつ。

 花蓮の前へ歩み出て下がらせつつ。

 少しずつ、少しずつ後退していた。

 

 真っ黒なレインコートのアレは動かない。


 じぃっと、フードに隠れた双眸で凝視してくるだけだ。

 そこに込められた感情が分からなかった。分かろうとする必要など今はない。

 とにかく下がり、後退し、後じさり──逃げるのだ。

 来た道を一気に走って戻るか。

 一番近い店舗の中へ逃げ込むか。

 誰かに助けを求めるか。


 そう延寿が歯を食いしばり恐怖を抑え逡巡していると。


 レインコートのソレは、全く人間的な動作で至極退屈そうに肩を竦めて、次の瞬間──消失した。


「な……」


 シーンの連続の最中にふと、目の前のアレがいない画像が入り込んでしまったかのような。不自然な消え方だった。

 だが。消えた、と延寿が覚えた刹那、


「──イクジナシ」


 黒い髪と、黒マジックでグシャグシャと乱暴に塗り潰したみたいに真っ黒な瞳が間近に現れ。

 声が、聞こえて「ッ!?」頬に衝撃が走り、浮遊感とともに身体が制しきれない勢いで吹き飛んだ。気付けば身体は濡れた路上に横たわり、頬がずきずきと痛み続け、口内に鉄の不快さが満ち、レインコートの殺人鬼がつまらなそうに見下ろしている。なにが起きたのか、全く分からなかった。


「よしまさ!?」


 悲痛な金切声をあげ、花蓮が近寄ってくる。

 殺人鬼が背後にいるというのに、幼馴染は泣きそうな表情で背を見せてこちらへと向かってくる。


 ただ、幸いにも殺人鬼はつまらなそうに目を細めただけだった。そのまま十字路をすたすたと歩き、繁華街の方へと向かって行った。去って行った。去って行った? なぜ?


 考えるも、延寿の緊張と痛みは未だ治まらない。

 硬直は続き、完全に真っ黒なレインコートの姿が見えなくなった後も、数分、いや十数分だろうか、延寿は固まり、動けずにいた。


「大丈夫? ねえ、大丈夫……!?」


 花蓮が屈み、泣きそうに表情を歪めて言う。

 口の中に鉄の味がしていた。袖で拭うと、赤色が染みていた。硬直は解けた。「平気だよ。なんとも、ない」花蓮へと言う。まずは彼女の心配を取り除くのが先決だと考えた。


「うああ……!」


 見る間見る間に涙が溜まり。


「うわあああああああああああん」


 花蓮が号泣していた。

 恐ろしさのあまりと延寿がぶん殴られた心配と危機が去って行った安堵からの涙だった。

 平気か、と声をかけて立ち上がろうとし、延寿は自身の力がへなへなと抜けているのを実感した。


「なん、だ……情け、ないな……ッ!」


 吐き捨てるように延寿は言う。

 自身へ向けた怒りと失望の言葉だった。

 規則を守り法律を遵守し、他者にもそうであるように強制する。正しきを正しきと伝えることが自身なのだと信じて敵を増やし、そんな彼らへ何ら恐怖感を覚えなかった。規則を守らない彼ら彼女らが歪なのだと確信していた。


 何も言えなかった。

 何も為せなかった。

 殴られて転がり、それだけだ。

 凄まじい敗北感だった。

 怖いから、だ。単純に怖かったから、何もできなかった。

 命を惜しく思った。死にたくないと生に執着している実感があった。そして今、生きていて安堵している自分を見ている。憎かった。正しさを捨て置き、生きていて良かった、と考える自身をだ。情けなく生に執着し、正しきに殉じようとする意志を擲ち無様に生きる己をだ!


「クソッ……!」


 正しくない、汚い言葉を吐き捨てた。

 正しくない、八つ当たりのように地面へ拳を打ち付け、それを軸にして意地で立ち上がった。


「大丈夫か、花蓮」

「だいじょうぶなわけないじゃんっ。よしまさが殴られたのにあたしがだいじょうぶなわけないじゃんかあっ!」


 幼馴染を心配し、当然の答えを吐かれた。

 花蓮は緑の傘を放り捨て、勢いのまま延寿へ抱き着いた。延寿の胸元に顔を当て、 


「こわがっだ、ごわがっだよおおお……!」


 そう、泣き喚いていた。

 延寿は幼馴染が泣き止むまでは自由にさせておこうと判断し、体中に雨粒を浴びながら、冷たい敗北感を噛み締めていた。頬の痛みはまだ続いている。きっと腫れるに違いないだろう。


 あれが、『案内人(ガイド)』。

 あれが連続殺人鬼。異常者。不正(ただしくない)、歪な存在。

 なぜ生かされたのかは分からない。見た者は等しく死んでいる筈のガイドに遭遇して尚死んでいない。憐れまれたか。あまりの怯えように殺す価値すらないのだと。そうとしか思えなかった。


「いったい……」


 けれども──()()、なのだ。

 あれは人間が、延寿と同類のヒトという種がそう振舞っている。


(いったい、きみは、誰だ)


 印象として残っているのは、()()、だった。

 そして、()()()で、()()()()()だ。

 連続殺人鬼の体躯はそう大きくない。

 少なくとも延寿よりは小さい。

 そして、花蓮ではないことはついさっきの邂逅で確定した。


「へぶちっ」


 泣いている花蓮にくしゃみが混じり始めた。

 ずっと雨に打たれていてすっかり身体が冷えてしまったからだった。


「花蓮……そろそろ、帰ろう」


 延寿はそっと花蓮の肩に手を乗せて自分から優しく引き離すと、落っことした傘を二人分拾い上げ、その一つを渡した。


「うん……」


 歩き出す延寿へ、大人しく花蓮はついてくる。

 その後の帰り道、延寿は雨音のみを聞いていた。恐怖して泣き、今は黙り込んでいる幼馴染へ何か気の利いた一言を軽く言えるほどには頭の柔らかな人間でいたかった、と初めて脳裏で悔やみつつ。


(柔軟剤でも、飲んでやろうか……)


 それで自分の頭が柔らかくなってくれるのなら。

 思考が、今隣にいる幼馴染を安堵させられる言葉を打ち出してくれるようになるのなら。

 そんな無意味で笑うに値しないジョークを脳裏に過らせた己を嘲るように、延寿は口角をわずかに歪め自嘲の笑みを含んだ。

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