捜索する
探すためには、まずは探せる状態に、環境に自らを置かなければならない。
つまりは退院だ。今すぐにでも、病院から出たかった。退院を早めたかった。
「怪我そのものはさきほども言いました通り、治りかけです。もう一日様子を見てみましょう」
逸る気持ちは正論で押し留められた。
紙谷医師は苦笑でもって病院を出ていこうとする延寿をそっと抑えつけ、『お医者さんの言うことは聞いたほうが良いぜ』『お医者様の言葉には従った方が、あの、きっと良いですっ』『動きたきゃ動けよ。ただ、お医者サマはお前よりは確実に〝正しい〟だろうけどな』と友人たちの三者三様の窘めにより延寿は渋々ベッドの上に落ち着き、一夜を越した。窓の外の小鳥はいつの間にかいなくなっていた。
「しかし、由正。お前の回復力はすさまじいな」
そしての、今日だ。
納得いかない様子でベッドに上体を起している延寿の眼前で、椿姫が感心していた。午前中の面会時間に入るなりすぐ椿姫がやってきたのである。一人、手土産をさげて。
「首を深々と斬りつけられて、血を噴き出したわけだろう。内容を聞いただけでも致命的な傷だというのは想像に易い。最初に聞いたとき、私は足元のぐらつきを覚えたぞ。まさか、とまず思い、もしやと不安が生じた」
椿姫は手土産──藤籠に盛られた果物たち──のうちのリンゴを片手に、もう片方の手で果物ナイフを器用に動かし皮を剥いている。一連なりになったリンゴの皮が揺れ動いているのを、延寿は眺めていた。思考は彼女の居場所を探り続けている。
やがてくし形に切られたリンゴを持参した紙皿に乗せると、「ほら」と椿姫が差し出した。花蓮の行方を追い続けていた延寿の意識はすぐには目の前のリンゴへと動けず、リンゴを見つめて固まっている彼を見た椿姫は「ああ……」と納得したように表情を崩すと、
「これは失礼した。うさぎにしたほうがよかったな」
「いえ」
「うさぎ……」
うさぎの形を目の前の男は所望したのだなと察し、即座に否定され、悲しげに椿姫が「うさぎ」とこぼすという一連となった。
取りなすように椿姫は軽く咳ばらいをすると、
「鷲巣花蓮の話は、もう聞いたな」
改まった表情で椿姫は延寿の眼を見据えた。その瞳の奥に揺らめくのは同情のみだった。
「聞きました」
それ以降の言葉を、延寿は続けなかった。両者に共有している情報を、改めて口に出したところで無意味だと、そう考えたのだ────鷲巣花蓮が行方不明になった、という事実を。
「手伝うよ」
椿姫の言葉は、延寿にとって不意だった。
手伝うとはつまり、捜索を、に違いない。誰を捜すのかとなれば、それは花蓮に違いない。延寿は椿姫に手伝ってもらうつもりも、助力について話題に上げる気すらなかった。
「由正、お前、捜すつもりだろう?」
「……はい」
「お前が大切に思い、私にとってもまた大切な後輩だ。是非とも協力させていただきたく思う……小比井美衣──『模倣犯』は、殺されていた。手を斬り飛ばされ、首を突かれていたそうじゃないか」
記憶の途切れ目の直前に『案内人』の姿を見た。
俺たちを殺そうとした『模倣犯』を殺した、本物の姿をだ。
「殺人の現場には、首から夥しい出血をしているお前と首を半ば裂かれていた『模倣犯』の亡骸しかなかったようだ。『模倣犯』の斬り飛ばされた手が握りしめていたカッターナイフにはお前の血が付着しており、指紋は『模倣犯』のものしか付いていなかった。事態の起こった順序としては、まずお前が『模倣犯』に首を斬られ、次いで『模倣犯』が何者かに手を斬られ、首を裂かれて……死んだ。当然、それはお前ではあり得ない」
ならば、誰か。瞭然だ。
「殺人現場には、あと二人いた。鷲巣花蓮とそして『案内人』だ。本物のな。そうだろう?」
「はい」
「そのうちで殺傷性の高そうな方は、無論『案内人』だな。一人は気を失い、一人は死んだ。後の二人はまとめて消えた。鷲巣花蓮が消えた事態に『案内人』が関係している可能性は高い……お前の身に起きた〝奇跡〟にも、恐らくは」
出血量が致死だった、と医師は云った。
確実に死に至る筈なのに、どういうわけか生きている。
本来ならば、死体は二つで生きている人間が一人のはずだった。
なのに、死体は一つしかなく、一人が消える結果となった。
「私は今から、私の考えを述べる……気を悪くするかもしれないが」
椿姫はそう延寿を窺い、返る無言を肯定と受け取り、口を開いた。
「……誰かが」
判っている。
「誰かの為に」
判っているんだ。
「誰かへ」
俺は助かったのではなく、助けられたということは。
「〝奇跡〟を願ったんだ」
『案内人』の振る舞いは理外だ。人間の考える常識から外れている。そんな存在ならばともすれば、失血死する人間を死の淵から生へと引き戻す所業も可能なの、かもしれない。
だが、『案内人』は自発的にそのような慈善を行うような存在か? 人を殺して回る──異世界などというありもしない幻へ送り届けようという思考の狂人が、その対極にあたる、人間を生かすような行いをするのか? ……誰かが頼めばもしくは。誰かが取引を持ち掛ければ、あるいは……その誰かとは……ああ、判っている。俺は助けられた。俺にはその恩がある。俺は彼女に報いる必要がある──俺は、花蓮を、必ず、見つけ出す。……。
「涯渡から招待がかかっている。『案内人』の所在について話し合いがしたいそうだ」
ほんの一瞬揺らいだ延寿の視線を真っ向から見つめ、椿姫はそう伝え、
「なんと、涯渡家の所有する別荘にて、だそうだぞ」
そのように付け足し笑った。
「分かりました」
延寿もまた、椿姫の眼を真正面から、もはや睨みつけんばかりの鋭さで見つめ、そう答えた。
『案内人』について何か知れるのなら、何であろうと利用するべきだ。そう延寿は考えている。
「お前の大切な陽だまりを、必ず見つけ出そう」
椿姫はそう言うと、目を細めた。
それは純然たる、親愛の笑みと延寿には映った。