マワリ灯籠
「魂?」
「うん。あると思う?」
魂──不滅、永遠、久遠。それは老いず、それは死なない。
「……それは言葉だけが存在し、現状、誰も観測できていない」
「できてないね」
「これからもできない」
「断言しちゃうの?」
「断言する──そんなものは、無い。世にあるのは、魂と云う文字だけだ。魂から為る隠喩の抜け殻だけだ。〝魂〟などという枠組みだけが音の響きを伴い存在し、始終それは張りぼてだ……きみは、意思決定をまさか魂が行っているとは言い出さないだろう? ありもしない虚無が我々の意思を操っているなどとは。どのような神経相関を経たとしても、我々の視界に魂が映る日は来ない。魂云々などと、よくて子どもの戯言だ。歳月と知を重ねている筈のいい大人が口にするようなものではない」
「その言い方、ムッときたよ」
「自分達の理解と知能の及ばない出来事に神を当てはめていた頃と同じ、進歩のない考え方だ。解明されている部分を、なぜわざわざ再び曖昧にぼかそうとするのか」
「夢があるでしょ」
「夢もまた、魂が見せているとでも? どうやって? 神さまの不可思議な御業でもってか? 教理問答書にはそのように書かれているのか? 『夢とは何か?』『夢とは、魂が見せるあなたの過去現在未来の混合風景です』、と。心底くだらないな。夢を見せているのは電気信号と神経細胞の功労だよ。その過程に神は関わらない。ずっと前からお払い箱だ」
「決めた。きみの今日の夕飯、ブロッコリー」
ブロッコリー──定命、有限、必滅。それは腐り、それは滅びる。
「まさか……〝だけ〟なのか?」
「ふふふふ。私の〝魂〟がそうしろと、おっしゃったの。目の前の傲慢な化学者の今日の夕飯は山盛りのブロッコリーが相応しい、とね。お買い物のとき安くて、たくさん手に入ったのがあるの。もしかして、きみには豆類のほうが良かったかなぁ?」
「あるものでいい。実体のない不可思議なものとして神秘化されて煙に巻かれるよりも、魂とは豆だと断言されたほうがよほど現実的なものだと受け取れる」
「夢がないなあ、きみは」
「俺が見ているのは常に物質なんだ。神経細胞を未だに発見できずにいる二元論者の方々とは違う。精神、魂、心、夢……すべて、ニューロン発火の別称だよ」
実際、その日の夕食の卓上、その傲慢な化学者さんの分だけゆで上がったブロッコリーを山と積んでやった。ほんとにブロッコリーだけ。あと、グラスに注いだ水。
「え、エンジュ……? その緑色の山って……」
「ああ、お察しの通りブロッコリーだよ。ほしいかい?」
ミカちゃんが化学者さんの緑色まみれの夕飯に驚いていた。もちろん、ミカちゃんの分のご飯はきちんとしたものだ。
「い、いやそういうわけではっ……私、ハンバーグですが……いりますか……?」
「気持ちだけ受け取るよ。それはきみが食べなさい。好きだろう?」
「好きですけど、でも」
「ブロッコリーの気分だった。ちょうどいいものだ」
「ブロッコリーの気分とはなんですか……」
「健康的で将来性が溢れていて身体にとって有用な食事がしたい、のパラフレーズだろうな」
魂。永遠とも云える、衰退と消滅の枠外にある非存在物。
「ミカナ」
「は、はい」
「魂と聞いたとき、きみはそれをどう考える?」
「たましい、ですか」
「ああ。たましい、だよ」
ある化学者さんはそれを、徹底的に否定している。
その名を唾棄し、幾重もの否定で存在を磨り潰そうとしている。
「キレイなもの、かなって。虹色にきらきらって輝いてたり……」
「……」
「エンジュ……? へ、へんな答え、だった?」
「いいや、可愛らしい答えだ」
「む……それ、バカにしています?」
化学者さんは芸術的なまでに積み上がったブロッコリーを前にして、
「魂とは綺麗なもの、か」
そう繰り返すだけだった。
魂とは綺麗なもの。虹のように輝いているもの。
それはどんな人間でも、なのだろうか。汚濁した道を進んできたものの魂も、これから歩もうとしている者の魂もまた、綺麗に輝かしく在ってくれるのだろうか。
きらきらしていて綺麗なものであってくれると、なんだか嬉しい。
どんな人間も、その内側に宝石のような輝きを秘めているのだという確証は、それそのものが一つの救いとして機能するんじゃないかって、そう思うんだ。
でもそれ、誰が保証してくれるんだろ。やっぱり神さまなのかな。