友人たち
安寺冬真と桐江汐音は、過日のダブルデートの終わり際、二人きりでの帰り道において『案内人』と遭遇した。運悪く。
『え────』
ソレに、先に気付いたのは汐音だった。
ソレは冬真と汐音が渡ろうとしている横断歩道の向こう側に、いつの間にか立っていた。さっきはいなかったはずなのに、確かにいなかったはずなのに。シークエンスに乱雑に押し込まれた一枚の異質として、急に出現した。
『あれは』
冬真も気付く。
真っ黒な、真っ黒なレインコートを着た────『案内人』。
『……なんで、ここで』
この場で『案内人』と出くわすことの意味。
出くわしてしまったことで想定されうる最悪の結末。
冬真はそれらを一瞬で理解し──(あああぁ……!)恐怖し、戦慄し、震え、
(運が悪いああ運が悪いまったくもって運が無えクソがド畜生がクソッタレが……!)
不運を嘆き悪罵を心中で発し、思い直して傍らの汐音を見た。
『っ……』
汐音の瞳は前方を凝視し揺れていた。
彼女もまた理解している。
あれが何たるかを当然分かっている。
怖がっている。
怯えている。
震えている。
『っ!』
ならば、どうすべきか──答えは既に在る。
『汐音!』
汐音の震える手を取り、冬真は駆け出した。
来ていた道を引き返し始めた。驚愕と恐怖が次々と際限なく込み上げてくる中、傍らの少女の逃げる速度に合わせて逃げ出した。
逃げられるのか、という不安を踏み潰しながら駆けた。
生きていられるのか、という恐怖を蹴り飛ばして駆けた。
そうせざるを得ず、そう決断するほかなかったのだ。
死ぬんじゃないのか、俺たちは、ここで、
『ッ……!?』
殺人鬼に、殺されて。
冬真の眼の前には、『案内人』。
背後に置き去りにしたはずの人殺し。
難なく、先回りされたのだ。明らかにサイズが大きく真っ黒なレインコート。そのフードの下に不自然なほどに隠れきっている何者かの──微笑、と冬真には映った。
「くそ……!」
出てくるのは、悪態だけ。
「くそがっ……!」
悔しさのあまりの涙も、数粒か。
くすりくすりと、殺人鬼は笑っている──ように、思えた。
『案内人』にとって、なんら労のない行いなのだ。逃げる自分たちに追いつくことも、追い抜くことも──殺す、ことすら。
今の自分の手は震えていることだろう。
その震えは握りしめている傍らの怯える少女にも伝わっているだろう。
なんて情けない、弱い、非力で、無力で、無様な……
「────」
冬真はふと、声を聞いた。
行ってらっしゃい、とそれは音を伴っていた。
気付けば『案内人』は目と鼻の先に肉薄していて、まるで自身を観察するかのように数秒を静止したあと、覚えたのは脇腹の膨大な熱だった。見れば、『案内人』の手に握られた得物の、その刃先が突き立っていた。終わった、と冬真は思った。もうこれで、なにもかもが、終わりなのだ。「冬真さん!?」叫びが聞こえた。もはや金切り声の、少女の叫びだった。
「────!?」
瞬間、『案内人』が飛び退いた。
何かを察知したのか、今まさに殺そうとした相手から離れたのだ。
冬真のすぐ傍には汐音がいて、憎悪がこもり涙の溜まった眼で『案内人』をただ睨みつけているだけで、それ以外に目立った何かはない。
周囲にはことの行く末をどうすることもできずに見守るだけの人々がいて、彼らの視線の先で、『案内人』は駆け去り、何処かへと消えた。
あとに残っているのは、衆人環視のただ中で、傷を負っている一人の少年。泣きじゃくりながら寄り添い、助けを呼ぼうと周囲に視線を巡らし、携帯電話を握りしめる一人の少女。操作がままならず、震える手は警察を、救急を呼ぶことすら困難となっていた。
『案内人』の気配が完全に消え去ったと判断した誰かが駆け寄ってきた──女性だった──倒れ伏す少年と依然パニック状態の少女の傍へと彼女は寄り、少女の代わりに救急へと電話をかけて、次いで警察にも、同様に。
女性──彼女は幸運にも看護師、慈しみ深い看護師で、そうして少女と顔見知りだった──は少女を落ち着かせようと言葉をかけ、少年の止血を行い……やがて、サイレンが近づいてきた。
ひとまずことは落ち着いた、そう汐音は判断したのだろう。強い精神性のショックを受けただろう彼女は今の今までただただ想い人を見守らんとする気力で持ち堪えて、危険は去り、警察と救急が来たと分かった今、身体がふらりと脱力し、目の前に帳が下りてくるのを実感した。気を失ったのだ。
あとには看護師の女性が一人、救急と警察へことの経緯を代わりに説明してくれた。
事の結末としては。
奇跡的にも、少年は助かることとなった。
そのような次第で、安寺冬真と桐江汐音は今もってなお生きている。
あえて補足すると、二人を世話した看護師は、名を神崎咲子という。月ヶ峰市内にある『月ヶ峰市立総合病院』に勤めている二十七歳である。