徒花無双ファン小説【うたかたの夜に】
優しい微睡みに、彩められている。
そんな、らしくもないフレーズさえ浮かぶ、溶けてしまいそうな実感に不思議さを覚えて薄く目を開けたなら、ますます不思議は拍車をかけた。
(……あらぁ?)
見渡せば、既視感と初面識が手を繋いでやって来る。
ついさっきまで上半身を預けていた、ヒヤリとした材質のカウンター。
マッチの火みたく仄暗さを演出する店内の照明。
正面の酒棚に並んだ、背丈は違えど姿勢の良いボトルの列。腰かけているチェア。
いわゆるBARの様相をしている空間は、自分の職場のアネモネに似ている……けれどどこか細部が異なるような。
そこにただ、ひとりきり。ポツンという効果音すら余計な世話な、ひとりきり。
(……そういえばアタシ、なんで此処に……?)
違和感のままに小首を傾げ、ひとまずこの『ただいま』なのか『初めまして』なのか判別つかない場所へと至った経緯へと思いを巡らせてみる。
しかしどうにも酒精が回って覚束ない思考では、肝心の経緯の糸を掴めず、一人あやとりを繰り返すだけ。
(ん……って、アタシ。酔ってるの?)
自分の身体のことは自分が一番良く知ってるものだとは自明の理ではあるけれど、この時ばかりは例外だった。
吐息の熱と考えの絡まり具合に己の酒精を嗅ぎつけた途端、テーブルにしなだれさせた右腕の先に気付く。
波打つ琥珀色の夜と、掌以下の氷の満月。
細いアンダーから百合花みたく上へ上へと広がるモダンなグラスの中で、閉じ込められたそれらが『正解』だと答えるようにカランと鳴った。
「……大丈夫か、レイ?」
「へ? って、鍛治神様? い、いつの間に此処に」
鼓膜をくすぐるテナーの響き。
音源に顎を掬われれば、いつの間にか隣の席に腰を落ろしてる精悍な顔付きが、気遣うように此方を覗き込んでいた。
それが誰かなど、例え酒精が回った頭でも苦もなく正解が浮かぶ。彼は、己が心を否応なしに弾ませる存在であるのだから。
「む……酔っているのか? 飲むのも良いが、程度を弁えねばな」
「え、ええと……はい」
しかし、至極当然の疑問は、訝しげな眼差しの中に、あっさりと溶かされてしまって。
まぁいいか、で流して良いものではないだろうに、何故だか抵抗に力は入らず、そのまま身を任せてしまう。
「……」
「……」
そしてそのまま彼の手にあるグラスを傾けているのを見つめれば、取り置かれる感覚に背を押されて、自分もまた隣に倣う。
麦芽の甘さと、1拍遅れてささやかなバニラの香りが舌先を緩く痺れさせた。
どこかで飲んだウィスキーの味。懐かしさをつつかれる。けれども浮かばない銘柄を、記憶の本棚に向きあってまで探そうとはしない。
程々の適当さが、不思議と心地良い。
酒精を下唇で遊ぶリップノイズ、グラスを転がる月の音、軋む椅子の囁き。
何故だか言葉を紡ぐことを野暮と捉えてしまうような、奇妙な静寂が、不思議と心地良い。
何かしらの区切りが付く事を拒む悠長な時間は、けれど、重く開かれたテナーの一言でピリオドが置かれる。
「悔いているのか」
「え?」
「……シュライルンから戻って来た時、言っていただろう。『傷心』と」
「……あぁ」
曖昧だった思考は、こういう時ばかり気を利かせてすんなりと心当たりを運んで来る。
悔いているの一言で連れ添う記憶は、やはりランディ達との別れの時と、そして。
──自分が裁いたクソッタレの、末路。
「……後悔、か」
「……」
「……していない、つもりよ。でも、どうなのかしらねぇ……許すつもりなんてなかったし、躊躇もしなかった。やる時はやるって。衝動に流されるんじゃなくて、頭から最後まであたしの意思で決めたのよぉ」
「……あぁ」
「──でも」
するすると、解れることなく滑り落ちていく言葉は止まらず、止めれず。
今この時ばかりはとでも言うように、らしいようでらしくない真摯な頷きを槌つ隣のおかげで、心にささったままの刺の形を、音にする。
「本当に、あれで良かったのかしらって、ね……後を汚さず、濁さずなやり方にしてみたけれど。やっぱり、そう思っちゃうの」
「……優しいのだな、レイは」
「違うわよぉ……──」
"臆病"なだけなんだと。
それを口にしてしまう前にもう一度傾けたグラスからは、先程とは別の苦味が口の端に漂う。
例え許し難い相手であろうと、これ以上とない裁きを単なる人の身で与えてしまった。
罰を与える、そこに爽快などなく。
後悔はなくても、どうしても溶けきらない小さな小さな氷の刺みたく、罪悪感と名札を付けて心に残っていた。
「……」
「……」
酒精に流した弱い音色を皮切りに、再び静寂が滑り込んだ。
けれども今度は、致し方ないとはいえ、どうしようもない居心地の悪さを伴う。
ハァ、と情感と鬱屈をない交ぜにすれば、自然と視線が下を向いた。
ちょっとした卑屈ささえ心に巣を張ろうとするのだから、やっぱり優しさではないと。
得意ではない酒の飲み方をもう一口重ねようとすれば、シャン、と耳覚えのある金音が傍で鳴る。
フリント式ライターの、蓋が外れた音。
自分が隣と出逢うきっかけが、彼と自分との中間にそっと蓋を外して置かれて。
いつの間にやらフリントが回されて、頼りなく細い火柱がゆらりと揺らめていた。
(……鍛治神様?)
「強く、優しいのだと思う」
「……?」
「激しく燃え盛る事もあれば、闇に沈み行く者を照らす篝火にもなれる。誰かの為に勢いを増し、支えとなる剣を作る為の力にもなれる」
「……」
「だが……」
「ぁ……」
朗々と口ずさむ告白が区切られれば、太く厚ましく、寛大な掌に手首を掴まれて、ライターの袂へと引かれる。
紅いマニキュアに映った短命の蛍火が、些細な風圧に揺らいで消えかけた。
「強く、優しいからこそ脆くなる時もあるのだ。小さな風ひとつで、空へと隠れてしまう時もあるだろう」
「……鍛治神様」
儚く、頼りない灯り。
そのまま抵抗もなく手を添えながら見下ろす火が、どこか他人事とは思えない。
小さな小さな刺が痛みを呼んで、反射的に引き結ばれる唇。小さな灯りにさえ浮き彫りにされる臆病さの輪郭が、いよいよ形になりそうになる。
だから。
「だから」
守るように、支えるように。
もう片方の掌を、ライターに添える。
引き寄せられた左手と比べれば、あまりに力強い掌が優しく添えられる。爪の先がぶつかるほどの距離。
揺らぐことを止めた篝火が照らされて、赤らみ寄り添い合う二つの手が、紅い徒花のように染められた。
「お主の手ひとつで足りぬ時は、素直に頼れば良い。違うか?」
「────」
投げ掛けられた微笑みと、甘く緩む目元。
口説かれるなら、ロマンチックな感じがいいわよねぇと。
そう何度か描き口にした理想絵図を、これ以上となく理想の相手になぞられているのに。
逸らされることのない瞳に映る自分の姿は、まるで突然抱き締められた子供のように、無垢な顔をしていて。
顔が、熱くなる。
慕情ではなく、羞恥に。
「ら、ライターくらい、一人でつけれるわよぉ! 鍛治神様ったら、人のこと子供扱いしてぇ……」
「……む」
「さ、それ以上はオイルが勿体ないから。蓋して、ふーたっ!」
「……わ、分かった」
ヘタレた。
やる時はやる、という前言を撤回したい。
それはもう、目も当てられないくらいのヘタレ具合だった。勢いだけはあるのが、より救えない。
圧されるままライターを回収している鍛治神に申し訳がなさ過ぎて、隣に顔が向けられなかった。
「……ハァ」
先程とは違う趣きの溜め息は、重さはさておき、みっともなさは俄然こちら。
嗚呼、もう分かったからと。
始まり方からして、不可思議過ぎたこの安穏とした時間の"正体"に、もうとっくに気付いている。
この夜が明けて朝になれば、きっと色んな意味で悶えるだろう。ベッドの上で。
(こんな時でもヘタレるってどうなのよぉ……)
仮初めの時ぐらい二の足を踏まず、すんなりと良い想いをさせてくれと。
肝心な時に顔を出した『意気地なし』に、音にならない泣き言をぶつけても、意味はない。
励まされた上でショボくれる自分の姿は、隣にどう映っているのか。
確かめる気すら沸かなかった。
──でも。
『お主の手ひとつで足りぬ時は、素直に頼れば良い。違うか?』
励まされたのは、事実だから。
仮初めであっても、貰った事は確かだから。
(夢の中でまで、励ましてくれて……ありがとう、鍛治神様)
それでも、御礼をそのまま声にするのは気恥ずかしさが勝って。
ありがとう、の五文字とは似ても似つかないけれど。
琥珀色の夜に漂う氷の満月を、紅い爪先でクルリと撫
でて。
カランと甘く、グラスが鳴った。
__fin.




