55話:義理の父の死1
その後、暖かくなり5月、6月の梅雨が過ぎて暑い夏、今年もマイレージを
使って7月20日に千歳空港へ飛び、涼しい夏を過ごすために出かけ、函館
、小樽、札幌、釧路へまで行き涼しい釧路の夏を満喫した。釧路の有名ホテル
を長期割引価格で宿泊して釧路周辺の摩周湖、屈斜路湖、網走、斜里、中標津
、別海をドライブして8月22日に羽田に着き中野の自宅へ戻った。
その後、秋、10月末に一足早い八ヶ岳の紅葉を楽しんで、やがて12月
になり、2006年を迎えた。2006年2月11日、朝早く義理の母、
木下貴子さんから電話が入り、今朝、義理の父、木下公彦さんが胸が痛いと
言い救急車でKR大学病院に運ばれたの連絡があり犬山重臣の運転する車で
KR大学病院へ駆けつけると担当医師が心不全の可能性が高く厳しい状態だと、
奥さんの木下貴子さんに告げた。2時間程して血圧、脈、などが少し安定した
のでCCUに入院して24時間管理体制で様子を見るしかないと言われた。
そして木下貴子さんが3人で交代で看病しましょうと言ったので最初に
犬山重臣が、私と淑子の2人で交代で見ますから高齢の、お母さんは自宅
で待機していて下さいと言うと、それでは今日夕方までいて家に帰ります
と言った。その後、夕方家に帰った。すると看護婦さんが出て来て電話番号
を教えていただければ少しでも異常が起きたら、お知らせしますので、
帰っていただいても構いませんと言った。そこで、翌日、家に帰った。
2日後、犬山重臣の所に電話が入り木下公彦さんが肺炎を併発して厳しい
状態だと連絡が入った。犬山重臣と奥さんが急いでKR大学病院へ行くと
先生が出て来て手は尽くしました血圧が上がってこないと言い厳しいかも
知れないと教えてくれた。1時間後、自律呼吸が止まり、ご臨終ですと
告げられてた。2006年2月13日、享年79歳だった。義理の母の
木下貴子さんに連絡を入れると、しばらくして憔悴しきった感じで病室
に来て木下公彦さんの亡骸に、すがりつき、さめざめと泣き、死を
惜しんだ。少しして我に返ったかのように落ち着いて犬山重臣さん、
ありがとうと言い娘の淑子を抱きしめた。その後、死亡診断書や書類
に書き込んでいた。
提出書類を書き終え犬山重臣の運転で木下家へ木下貴子さんと淑子さん
を送った。木下家に着くと葬儀の手はずを取りますかと木下貴子さんに、
たずねると、お願いしますと言うので葬儀社の調べて電話をして2月17日
に立川葬儀所で午後14時から葬儀を行えることがわかり予約してもらった。
そして20分後、葬儀社の担当者が来て葬儀の種類を相談し一番豪華な
コースでお願いした。親戚には木下淑子さんが電話をして父の死を知らせた。
翌日には葬儀の手紙を作成して持ってくると葬儀社の担当者が言ったので
お願いした。犬山重臣の方では、もう既に両親が亡くなっており東京近郊
に住む、姉2人しか参加できないと話した。




