41話:良男のサッカーでのスランプ
1998年の正月、久しぶりに犬山家全員で義理の父の家を訪問し新年
の挨拶に行くと義理の父、木下公彦さんがすっかり元気になり多少、左側
に麻痺が残ったが元気なり本を読んだりラジオを聞いたりして過ごしている
と教えてくれた。孫の幸子にアメリカに留学したんだってと話しかけて、
幸子がニューヨークのウオール街の牛の像を見たと言い感激したと話した。
また、西海岸をロザンゼルスからサンディエゴまで旅行した話をすると
すっかり大人になったと喜んでいた。
次に良男がサッカーのスポーツ推薦で國學院久我山高校に入った事と昨年
の高校新人戦で東京都2位になった報告すると喜んでくれた。それぞれの
選んだ道をしっかり歩んで行けと言い久しぶりに、お年玉だと10万円ずつ
包んでくれた。幸子も良男も、また遊びに来て良いですかと聞くと時間の
ある時には気軽に来てくれと言ってくれた。その後、春が来て良男はスタミナ
つけるために長距離を走っていた。春の練習試合に出場しセンター
フォーワードをしてバックスを抜こうと全速力で走ったがバックスに当たり
負けするようになり以前の様な迫力が無くなった。体重が5kg減ったと知り
、コーチが長距離よりも筋力トレーニングをするように言われて初めて見ると
、以前軽々と持ち上げられて重さのベンチプレスが持ち上がらない。
その後の練習でも昨年の様な迫力、切れ味がなくなっているのがわかった。
するとスタートメンバーから外されるようになった。そこで良男は母に
言って豚、牛の焼き肉を増やしてもらい体重増加と筋力トレーニングを開始
した。しかし急に以前の様に戻ることはなく夏が過ぎてもベンチメンバーの
ままで試合に出られない日々が続いた。良男が監督に呼ばれ、うちは実力主義
の学校で君が以前の様な迫力が無くなれば出場できなくなると伝えられた。
その後もサッカー練習よりもウエイトトレーニングの日々が続きベンチで
試合を見学する日が増えた。
それでも8月、9月になり体重が徐々に増えて筋肉もついてきて9月10日
の試合に久しぶりに最初からメンバー入りして走り出すと以前よりも当たりが
強くなりバックスを抜けるようになりゴールをあげた。このうれしさは半端
なかった。その後も活躍するようになり以前の、ただ足が早いだけでなく、
相手バックスを抜けるようになり得点を重ねていき以前の様にスタメン入りが
出来るようなった。
今年のインターハイ予選には間に合わないが来年に向けて練習漬けの毎日を
送った。一方、姉の幸子は大学4年生になって就職活動を始めてシティバンク
に就職したいと考えていた。何回か就職担当の方に会い英語でのテストを受け
、OKと言われたが株投資、債券投資の勉強が今ひとつと言われた。それでも
英語の力を見込まれて11月に採用の内定をもらった。ただし海外赴任が
あっても赴任できるという誓約書にサインしなければならなく両親に話すと
母は心配だと言ったが、父が大きくなるためには海外を経験すべきとの意見に
押され了解した。その後12月に正式採用となった。その頃、日本の株式市場が
インターネット株の強烈な上昇があり、日本株も上昇して景気が良くなった。




