3話:職場に彼女ができた。
やがて1971年を迎えた。新年の挨拶に姉の吉田和子の所へ行き、その後
、鮫島和夫課長の所に立ち寄った。鮫島課長は、奥さんの仁美さんと2人暮らし
で子供はなく部下や知人の訪問を歓迎してくれた。
訪問したのが昼時だったので、お雑煮をいただいたが、丸餅だったのに、
驚いて、なんで丸いのですかと聞くと、鮫島さんも奥さんも関西出身で、
大阪では
「人はな、角が立たない様に、あんじょう生きたい、そやさかい、大阪では
、角のない丸餅なんや」と笑いながら言った。
その後も自転車での遠出が夢中になって休みの日には三鷹から新宿、
豊島園遊園地、向ヶ丘遊園地まで40分。西武園遊園地、多摩動物園
まで1時間。大井埠頭、晴海埠頭場まで2時間で到着する。そんな事で休み
の日は自転車で有名な所を回って12月までに東京の名所をほぼ全て回った。
やがて1971年が終わり1972年を迎えた。
1972年3月に都立の商業高校を卒業した木下淑子という女の子が経理部
に入社してきて経理の仕事を教え、ついでにソロバンも教えて仲良くなり昼食
も仲良く一緒に食べた。1972年4月には彼女を自転車の後ろに乗せて、
目黒川の桜を見に行き感動して帰って来た。その後も、休日には、秋葉原、
銀座、品川、上野と自転車にで半日かけて走り回った。夏の休日には電車で
豊島園のプールに行ったりする様になり、どんどん仲良くなっていった。
11月には高尾山に登り紅葉を楽しんだ。そして12月のクリスマスも2人
で食堂で、ささやかなパーティーを開いて祝った。犬山重臣は郵便局の
イトーヨーカ堂に入社以来、定額預金をして貯金総額が38万円になった。
1973年1月から経理部の係長になり他の経理の人の伝票のチェックを
するようになり給料が5万円に増えた。その後も質素な生活をして休日には
弁当を作り東京都内を彼女を自転車の後ろに乗せて走り回る日が続いた。
1973年7月22日に木下淑子さんが犬山重臣の20歳の誕生日も近く
の食堂で祝ってくれた。そうして1973年が終わり1974年を迎えた。
1974年になり新年の挨拶の回りの時に木下淑子さんと一緒に行く事を
決めた。最初に長女の吉田和子さんの所へ行き新年の挨拶をして子供達に
お年玉を渡し、犬山重臣の彼女、木下淑子さんを紹介すると吉田和子さんが、
そうーか彼女も昨年の誕生日で20歳になったのかと感慨深げにいった。
重臣にも彼女ができたのか、そりゃ、良かったと喜んでくれ、小さい頃の話
をしてくれ、とにかく可愛い、心の優しい子だから宜しくねと言ってくれた。
その後、鮫島課長の所に挨拶に行くと奥さんは驚いた様な顔をした。
鮫島課長は、にっこりして、
「そーか、彼女ができたのか、そりゃー、めでたい」と言ってくれ、
「犬山君は間違いなく、正直で、やさしく良い奴だ」と誉めてくれた。
少しして奥さんがお茶を持って来てくれ、とてもお似合いよと言ってくれた。
そして犬山重臣が木下淑子さんを紹介すると鮫島課長がニコニコしていた。