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2話:兄弟の住む町のスーパーに就職

たまに長女の吉田和子の家に、お土産を持って出かけるようになった。わからない事は長女の吉田和子に相談し姉は犬山重臣を気にかけてくれる様になり安心して東京での生活ができた。月2万5千円で寮費抜いて実質2万円でも当時、普通に1人で生活するには問題なかった。貧しい農家で育ったために万が一のために少しずつではあるが貯金もはじめた。1969年4月に経理の仕事をしっかりして間違いもなく経理の仲間の困った時には助けてやるようになり給料を3万5千円に上げてもらった。その頃、経理の鮫島和夫課長が犬山重臣の誠実でやさしい性格を気に入り目をかけてくれた。


 鮫島は犬山重臣が経理担当の女性の計算がなかなか合わなくて困っている時に、すぐに助けているのをしっかり見ていた。たまに夕飯食べに来いと鮫島課長が呼んでくれる様になった。鮫島さんは

東京の大学の経済学部を出て大型コンピューターを見た時から、やがてコンピューターが計算をはじめ多くの分野で活躍すると考えるようになった。 その話を犬山重臣にしてくれ、犬山重臣は、その夢のような話を聞いていると、何故かワクワクするのだった。


 そして1969年9月に三鷹店に経理課の責任者だった鮫島和夫課長が突然、四谷の本社・経理部に栄転していった。別れる時に住まいは変わらないから、また遊びに来いよと犬山重臣に耳打ちしてイトーヨーカ堂・三鷹店を去って行った。1969年12月に近くで仲良くなった自転車屋の店主の木谷勝一が、いつも、けなげに働く犬山重臣を微笑ましく思ってくれた。と言うのも犬山重臣は小さい頃から家のお姉さん達から周りの人に必ず、とびっきりの笑顔で挨拶しなさいと躾けられた。


 そうする事により必ず得する時が来るからと教えられて実践していた。やがて1970年があけた。そのためスーパーの従業員や通勤する通りの人達に可愛がられ、たまに、ご褒美をもらった。そして約2年が過ぎた1970年12月に犬山重臣がいつもの様に朝の通勤の時、通勤途中の自転車屋の店主の木谷勝一に元気な笑顔でおはようございますと挨拶すると重臣「ボーナス出たのか」と聞かれ、はいと答えると修理したばかりの27インチの自転車を、お前に特別、千円で売ってやるが買わないかと言った。え、千円で良いのと言い買うと答えた。


 今度の休みの日、金を用意して引き取りに来ると喜んで答えた。自転車なら立川、新宿、渋谷、東京中どこへでも行けるぞと笑いながら言った。おじさん、ありがとうございますと言いスーパーへ出勤していった。その週の日曜日に犬山重臣は、うれしそうに自転車屋へ来て木谷勝一さんに千円を払い自転車を買った。しっかりした鍵も着けておいたからと大きな声で言った。この値段は他の人には決して言うなと言うので了解した。そして、その脇の数台の中古自転車に3千円から5千円の値札がついていた。

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