抜くな、伝家の宝刀
よしっ、そこだ、もらった!
食らえ、超必殺……って、え、外された。
うげっ! 痛い! タイム、タイム! ぐぼぇ……。
くそ〜、これで二十二連敗……。
こーちゃん、最後の勝負、わざと俺に期待を持たせたな! 絶対、入っていた超必殺技に、あんなかわし方があるなんて!
しかも、体力ゲージ1ミクロンも削らせねえ、ハメコンボ……やり込み過ぎィ! 大人ってずるい!
あー、もう格ゲーとかやめやめ! ボードゲームしようぜ!
――最初に言い出したのはお前だろ? わー、わー、聞こえませんよー。
ちくしょう、あそこは超必殺技のフィニッシュを狙わず、ちまちま行った方が良かったのかなあ……でもさ、ロマン砲に憧れなくて、なんで生きているんだよ!
――え? こーちゃんも賛成? やった、さすがこーちゃん、分かる大人だぜ!
切り札はやたらと抜かないものだって、最近、話で聞いたばかりだってのに……反省。
ん? どんな話かって?
切り札のことを「伝家の宝刀」と呼ぶことは、こーちゃんも知っているよな。
長年伝わってきた、秘奥。あらゆる逆境を覆す力を宿す、ロマン武器。くう〜、想像しただけで、わくわくしてくるじゃん。
だけどさ、相手が恐れてこそ、切り札になるんだってよ。
恐れってさ、正体が分かっている時より、分からない時の方が大きいって、聞くよな。
たとえ、防ぎようのない火力でも、実態が分かっていれば、覚悟を決めるくらいのことはできる。でも、知らないってことは、心の準備もできないってこと。
気づく間もなく、さようなら。自分は幸運かもしれないけど、背負っているものがあったら……ねえ。
知らないなら知らないで、勝手な想像をめぐらし、思考のどんづまりに入り込む。
情報を隠すことで、相手の自滅の芽を増やす。
これが大人の戦い……汚ねえ。
切り札って、案外、汚い物なのか。きちんとお手入れしないとね。
とある武士の家に、一振りの宝刀が伝わっていたんだ。
代々の当主とその跡継ぎにのみ、触れることが許されている刀なんだって。
ただ、その刀は、決して抜いてはいけない、と戒められていた。
この刀。ひとたび鞘から抜いたのならば、必ず、血の雨降り注ぐ。
肉を喰らって、魂貪る、妖刀の中の妖刀。
だったら、そんなの始末しちまえよ、と思うだろうけど、これもしきたり。
大将の腰には帯びても、抜きはせず、吸うのは戦の空気だけ。
何代も何代も、そのような時間が過ぎていった。
そして、戦国時代も末期に差し掛かる。
先代の病気を理由に、家督を継いだその息子。血の気の多さが目立っていた。
その上、誇りも人一倍。侮辱に対して、全力を持ってねじ伏せる。
短慮をのぞけば、勤倹尚武を地でいく若武者。周りの厳しい指摘はあれど、将来を嘱望しょくぼうされていた。
そんな彼に絡んできたのが、仕える主の近侍の一人。
これが毒舌極まる男で、かの若武者もその餌食。顔を合わせりゃ、悪口雑言。おまけに物まで盗み、困った顔を見てから返す、という厄介な性分の持ち主だった。
気が短い若武者だったが、近侍の所業によく耐える。
いちいち癇に障る言葉たちも、「自分のためを思った忠告なのだ」と言い聞かせ、荒ぶる心の憎悪の炎、どうにか奥へと追い込んだ。
しかし、それを見て面白くなかったのか。城内の庭を歩いていた時に、近侍はとうとう禁忌に触れてしまう。
「抜けぬ刀に、意味があるのか。腰抜け侍」
若武者の中で、何かが切れた。
抜くは恥。抜かぬは大恥。その単純な計算が、理性を大きく上回る。
彼は柄へと手を伸ばす。その途端、抜けることがないようにと、鍔へと巻いた鉄鎖。ひとりでに砕け、屑になる。
若武者が握るその前に、刀は自分で飛び込んだ。
手のひらに吸い付く、いや噛みつかんばかりの、熱い鉄。
近侍が目を見開いた、その時は。
振り下ろされた妖刀が、身体を二枚におろしてた。
我に返った武者の目に、映る近侍だったもの。
かつてない高揚と恐怖に襲われ、彼は震えが止まらなかったんだって。
そして、それは刀も同じ。手の中で揺れていた刀は、勝手に握りを抜け出して、吊ったかのように空へと浮かぶ。
やがてその刀身が、土玉をこねるように、音を立てつつ、丸く、激しく回り出す。
玉から手が生え、足が生え、首がのぞいて、まなこが開く。
灰色の毛に身体を染めた、醜い猿が降り立った。
「血を吸わせてくれ、感謝する」
はっきりとした声で、奴は言う。
おのれ物の怪、と若武者は脇差を抜いて、斬りかかったけど、猿はひらりと身をかわす。
「物が化けたのではない。俺が物に化けていたんだよ」
追い打つ武者の斬撃もかわし、そう言い捨てた灰の猿。塀に飛び乗り、あっという間に消え去った。
出仕を止められた若武者は、隠居した父から事情を聞く。
あの刀は厳密には刀ではなく、先祖が滅しきれなかった魔が、刀の形に身をやつしたものなのだという。
血と戦を好む異形。どうやっても壊すことは叶わずに、誰かに盗られたりしては、必ず害を成すと、代々守ってきたものらしい。
戒めを破ってしまい、魔を解き放ってしまったことを悔いる、若武者。
その罪滅ぼしのため、殿の危機に無断で出陣し、大将首を引っ提げて、出仕の許可を取り戻したんだ。
彼は、流れ弾に当たって死ぬまで、灰の猿を探したけれども、とうとう見つけられなかったらしい。
ただ、人のいさかいあるところ。稀に灰色の猿の姿が、見受けられることが増えたとか。