はじまりは宿屋の馬小屋
朝はいつも鶏の鳴き声か馬のいななきに起こされる。
「うーん」
身体が痛い。
干し草を地面に敷いて寝るのはやはり無理があり過ぎる。固いし寒いし臭すぎた。
馬小屋から見える外の景色は晴れ。もうとっくにお日様が上がっていた。
少し寝過ごしたかもしれないけれど成長期なので多めにみて欲しい、と必要もない言い訳を自分にした。
◆
「やあ冒険者殿」
冒険者御用達の宿屋『城門前通りの黒猫亭』。その一階にある酒場兼食堂に顔を出す。
声をかけてきたのは主人のサムソンだ。
カウンターに頬杖をついて欠伸交じりのその姿からは、相変わらず客を敬う気持ちは微塵も感じられない。
「おはようサムソン」
「馬小屋はよく眠れましたかね?」
「毛布一枚じゃ寒いし、牧草はチクチクするし、馬はうるさいし臭いし、控えめに言って最悪の寝心地だね」
「はん、文無し坊主にゃお似合いの寝床しょうよ。悔しかったらうちのロイヤルスイートルームにお泊り下さいませ」
起き抜けに主人から直々に嫌味を聞かされるとは何て行き届いた宿屋だろうか。
気持ちの良い朝だ。勿論これは皮肉だ。
「もうナードったらまた馬小屋で寝てたの?」
「お金ないんだもん仕方ないじゃん」
「言ってくれれば空いてる客室使わせてあげるって言ったでしょ?」
卓を拭いていた給仕の少女が混じってきた。サムソンの一人娘でアーデルだ。
「あのな宿屋がタダで提供してどーすんだよ」
「お父さんてばうるさい。ナードはまだ子供なんだよ。いつも食堂利用してくれるし、少しくらい応援してもいいじゃない」
アーデルは気立てが良く、いつも親切にしてくれる。
ただ五歳年上のせいか、何かと子ども扱いしてくるのが困りものだ。
「えーと、もう出かけたいから、いつもの頂戴」
「はいはい。携帯食と水筒。黒猫亭特製の酢漬けも付けておいたからちゃんと食べなさいよね」
「ピクルスはいらないんだけど」
「だーめ。栄養満点で疲労回復にも効果があるんだから」
苦手なのである。
「そうやって好き嫌いしてると強い冒険者になれないよ?」
親切にしてくれるのは非常にありがたいが、ピクルスだけは本気で迷惑だ。あと子供を説得するようなものの言い方はやめて欲しい。
「今日はどこまで?」
「いつものところだけど」
「地下迷宮ならあんまり深い場所まで行かない事。魔物に出会ったらすぐに逃げること。いい?」
「分かってるって、もう行ってくるから、じゃあね?」
「ちゃんと夜までには帰ってくるのよー?」
「けっ、ガキの世話なんか焼いて何の見返りがあるってんだ」
悪態をついているサムソン。
それ以外に近くの卓で朝食をとっている冒険者たちがこちらを見てクスクス笑っていた。
「恥ずかしいなあもう」
アーデルには感謝はしているけど、僕は一人前の冒険者だ。
もう珈琲だってブラックで飲める年齢である。
だから子供扱いはしないで欲しいと何度も何度もお願いしているのに、いつになったら理解してもらえるのだろうか。
◆
大通りに入って、ひたすら真っ直ぐ路地を進む。
目的の場所は、この街のどこからでも見つけられる空を突くように聳える古城が目印だ。
城のすぐ近くに備え付けられた巨大な鉄門ーーそれこそが新しい冒険に通じる入り口なのである。
「ララーようこそ地獄の門へ♪」
「地獄の門へようこそーデューワー♪」
芝居がかった口調で喋り、楽器を奏でる賑やかな門番たちがいた。
撥弦楽器を手にしたちびの太っちょ男と、蛇腹鍵盤を持った痩せた猫背男だ。
「こちらは地下迷宮の入り口、またの名を地獄の門と申しますうううう♪」
「門の先には大階段があり、それを下れば大迷宮が待っておりますうううう♪」
「そう、そこはまさに地獄、吊り天井に、落とし穴、毒矢に、酸。うっかり踏めば即・死の罠が山ほどおおおお♪」
「群れなす小鬼や、大鬼、スライムにアンデッド、挙句の果ては火竜と、世にも恐ろしい魔物もわんさかあああああ♪」
「さあ少年、貴方ならどうするうう?」
「このまま危険を恐れ引き返すかああああ?」
「一攫千金を夢見る命知らずになるのかああああ?」
「あのさあ……毎回そのナレーションいらないんだけど」
ようやく口を挟めた。
門番はお道化た動きを止め、きょとんとした顔でこちらを見てくる。
「おやおや、誰かと思ったらナードじゃないか」
「どこのガキンチョ様かと思ったよ」
名前を憶えているくらい顔見知り相手に、毎回何故、余計な前口上をするのだろう。
もういい加減、暗唱できる程に聞かされている。
「それで今日はどうしたい? 観光かい? お土産買いにきた? それとももう一曲聞く?」
「探索に決まってるだろ。さっさと通してくれないかな」
「プークスクス。君みたいな坊やが探索だって?」
「おいおいその不釣り合いな剣じゃあ、小鬼一匹だって倒せねえぜ?」
本当に嫌な奴らだ。
毎回僕がここを通ろうとする度に絡んでくるのだ。
こういう相手は無視するのが一番だと、師匠も言っていたので、そうしよう。
「はいこれ組合の所属証明書。年間費費用は支払済みなんで入門料は要りませんよね?」
「くっくっく確かに拝見しました」
「どうぞお通り下さいませ冒険者殿」
二人組は馬鹿丁寧に恭しく道を空けると、先を促した。
肩をすくめる二人を押しのけるようにして、僕は門のわきに備え付けられた通用口を通り抜けた。
本当に面倒臭い門番たちである。
◆
ここは迷宮都市アヴァロン。
地下に広大な構造物が存在し、それによって繁栄が支えられているが故にそう呼ばれている。
誰が造り出しのかも、どういう意図で造られたのかも、はっきりと分かっていないが、遺失物や、各階層で産出される希少な素材が手に入る場所。
そしてその恵みによって都市経済は廻っていた。
宿屋の主人サムソンもその娘アーデルも門番の二人組だってその恩恵を受けている。
そしてその恩恵を地下迷宮深くから回収してくるのは僕ら冒険者の役目なのだ。
まあ僕の場合、半人前以下の最底辺冒険者ではあったけれども。