地下二階〈塵捨て場〉ー新天地4
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「げほっ……はあ……はあ……」
咳き込みながら鼻と喉の奥に入った液を吐き出す。
気がつくと、水饅頭空間は影も形もなくなり水浸しの通路に倒れていた。
どうやら助かったようだ。
少女が少し離れたところで倒れている。
死んでたりしないよなと心配しながら、駆け寄るがぐったりしたまま目を覚まさなかった。
耳を近づけるがよく分からない。呼吸をしていないようにも思える。
こうなったら人工呼吸が必要かもしれないと決意を込めてルーナの唇に、顔を近づけたところで、彼女はパチッと瞼を開いて噎せながら水を吐いた。
「げほ……げほ……死ぬかと思った」
「だだだ大丈夫?」
少女は青くなりながら、咳き込んでいるが無事なようだ。
危なかったと思いながら彼女の背中を撫でてやった。
「歩いてたらいきなり呼吸ができなくなって……こんな場所にデカ水饅頭が出て来るなんて変なの」
「僕もびっくりしたよ」
「あーびちょびょ。気持ち悪すぎる」と言いながら立ち上がり、ルーナがおもむろにワンピースに手をかけた。
「ちょっ」
僕は慌てて後ろを向いた。
ルーナはこちらなどお構いなしにワンピースを脱ぐと、丸めて水を絞り出しているようだ。
奔放なのか、無頓着なのか、分からないけれど少しは気を使って欲しい。
「きみ見た目によらず凄く強いんだね」
「運が良かったんだよ」
「軟弱なんて名前なのに勇敢だね」
強いなんて初めて言われたので嬉しくはあったが、それよりも別のことにドキドキしてしまう。
彼女はなんでこんなに無防備なんだ。
それにしても《妖精眼》が意外な貢献をしてくれた。
千年饅頭と遭遇した際には『索敵』をしてくれたし、更には隠れている核を僅かな間だが『看破』したの。できることが少しづつだが増えているのは確かだ。
少しは役立たずという認識を改めるべきかもしれない。
ルーナがワンピースを着なおしてから、また通路を歩きだした。
程なくして拓けた明るい到着する。
「おお!」
そこはこれまで訪れたどの広間より広く、何より明るく空気が淀んでいない。
上から降り注ぐのはヒカリゴケのぼんやりとした明るさではなく本物の太陽の光だ。
天井がなく、どうやらはるかはるか上の方が吹き抜けになっているらしい。
「ここが古い塵捨て場だよ」
「地下迷宮にもこんな場所があるんだ」
この塵捨て場こそまさに新天地に相応しいおもむき。
僕の塵拾い活動の新たな拠点にすべき場所だ。
「私のお気に入りの場所。誰にも秘密にしてたけど、ペンダントを見つけてくれたし、命の恩人だし特別に教えてあげる」
「ありがとうルーナ」
早速、足元の塵を観察してみることにした。
既に吹き抜けの真下にある金属類は大分錆びついているが かなり古いものだとわかる。
「どう?」
「これは十年ものだね。徴税時代にはまだ遠いけれど中々の塵だと思う」
「塵の良し悪しがわかるんだ。変なの」
水饅頭と戯れる、君に言われたくないな。
「それで何するの」
「塵拾い」
そう言って僕はできる限り見晴らしのいい場所へと移動すると、右目を覆い《妖精眼》を発動させた。
勿論、僕がここを訪れたのは使えるアイテムを見つけ出す為である。
『鎖の外れた鉄球』『不気味なブリキ人形』『軽く硬い金属で造られた腕輪』『割れたコップ』『空っぽ小瓶』『何の変哲もないドアノブ』『凹んだ兜』『悪臭の漂う外套』『黒い液体の入ったボトル』『キラキラ光る薬瓶』『汚水の入った小瓶』『泡立つ液体の試験官』『瓶詰の果実酒』『血塗れの皮手袋』『垢にまみれた手甲』『呪われた赤い靴』
「さすがは新天地。大漁大漁」
古ければ古いほど経年劣化が進むものだが、明らかに塵でしかない道具の割合が少ないのも良い。
今回も紫色――呪いのアイテムが落ちていたので、出来るだけ触らないように遠くに捨てておく事にした。
他にも変わり種がひとつ。『軽く硬い金属で造られた腕輪』だ。
何故かこれだけは色が青色だった。これはひょっとすると魔導具の類かもしれないと思ったが、あまり期待すると違った時のショックが大きいので、冷静さを務める。
それから中身入りの薬瓶が幾つか投棄されてた。
視界に入った分だけではなく更にその下にも埋もれているようだ。毒の類である可能性も十分に考えられたがもちろん拾う。
少し疲れたので『名称鑑定』は後日行うことにして、今はめぼしいものを整理しながら荷袋に詰めることに専念する事にした。
ルーナが退屈そうにこちらを見ながら「塵なんか集めてどうするの」と聞いてくるが、取り敢えず放っておくことにした。
◆
「じゃあ私はそろそろ帰るね」とルーナがそう言い出したのは、僕が荷造りを終えたくらいだ。
日差しは傾き、吹き抜けから差し込んでくる光の量は僅か。
代わりにヒカリゴケが仄かに光り始めており、時間はそろそろ夕方のようだ。
「なら僕も帰るから一緒に行こう」
どうせ大階段までは同じ道なのだ。
そう思って声をかけたがルーナは不可解そうに首を傾げた後、くすりと笑った。
「もしかしてナードは私のこと冒険者だと思ってるでしょう」
「え、違うの?」
地下迷宮には冒険者しかいない。
まれに組合の案内役に先導されて団体観光客が訪れるが大階段より先にはいかないはずだ。
じゃなければルーナは何者だろうか。まさか幽霊とか。
「私、泥棒市場の住人だよ」
「泥棒市場?」
「うん地下一階にある町だけど、聞いたことない?」
この地下迷宮に町があるなんて話は聞いたことがない。
そもそも地下迷宮に地下一階が存在したこと自体が驚きだ。
大階段には地下一階への連絡路はないし、組合の公式迷宮案内図も地下二階から始まっていたので、てっきり僕は地下一階は存在しないものだと思い込んでいた。
「泥棒市場は盗賊組合が統括している繁華街だよ」
「ふうん」
「盗品とか公にできないドロップアイテムが取引されてるから、冒険者はあんまり表立って話題にしないの」
成る程通りで聞かないわけだ。
それにしても彼女は見た目によらず物騒な場所に住んでいる。
泥棒市場の場所を尋ねると、今いる塵捨て場からさほど離れた場所ではないと言って、上り階段の位置と、町の入り方を教えてくれた。
「『常夜蝶』ってお店で女給さんしてるから、近くまで来たら寄ってね」
「分かった。近いうちに行く」
今日はありがとう。とても捗ったよ。こちらこそペンダント見つけたり助けてくれてありがとう。それじゃあまた。
そう言って手を振って、彼女とはその場で別れた。