地下二階〈塵捨て場〉ー新天地
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そして今日もまた地下迷宮に向かった。
いつものように黒猫亭で携帯食料と水筒と大嫌いなピクルスを持たされて、地獄の門で門番たちが始める前口上に付き合ってから、大階段を降りる。
「ねえねえ知ってる知ってる? 大ニュース。十年ぶりに地獄の門が開いたんだって」
長い長い階段を行き交う冒険者たちが噂話をしていた。
彼らの声に耳を傾ければ、新聞をとらなくても酒場に行かなくても最近の情報はここで仕入れることができるのだ。
どうやら先日、英雄サー・エドワード卿が引き摺っていた緑竜は、通用口を通れず、止む無く大門が解放されたらしい。
また開門には何十人という人員が必要になるのだが、誰が手配するかで揉めたそうだ。
威風堂々と迷宮管理組合とで一悶着があった後、結局、どうなったかと言えば、サー・エドワードがただひとりであの巨大な門を押し開けたという。
辺りはそんな話題で持ち切りになっていた。
「流石は迷宮都市の英雄様、やることが豪快だなあ」
「威風堂々のやつらがいよいよ地下二十階に挑戦するらしいぜ」
「緑竜の肉が中央市場で、三億gで落札されたんだと」
「誰だよ物好きなやつだな」
「そういや例の交響遠征旅団の事件の後、カチコミにあったらしいよ」
「壊滅寸前だってな」
「あいつらさあ試験だとかで最近幅効かせてたからいい気味だな」
他にもいろんな噂が耳に入ってくるが、それも束の間だ。
自分が階段を降りれるのは、小一時間程進んだ途中に接続された連絡路までだ。
その見上げるほど天井が高く、横にも広い廊下を進んで行けば、いつもの場所――塵の海原が待っている。
「あれナードじゃね?」
ふいに後ろからやってきた一団のひとりが声をかけてきた。
他の者たちも習うようにこちらに顔を向けてくる。
見知った顔だ。
あまり会いたくない連中と出会ってしまった。
「なあこの前、交響遠征旅団の入団試験でやらかしたって聞いたけどマジ?」
「ぼっちでいるとこ見ると、どっちにしろ落ちたんだな」
「ばーか交響遠征旅団って一流の団だぜ? ナードに受かるわけないじゃん」
「ていうか転移で死んだんじゃなかったの?」
「じゃああいつ幽霊?」
ぎゃはは、きゃははと、品のない声をあげながら人を指差すのは非常に宜しくないと思う。
「なあ、お前これから探索に行くわけ?」
「まあそうだけど」
「うちらってば凄くない? もうすぐ五階踏破。アンタこれから何階行くのさ? 三階? 四階?」
「二階だけど?」
「あー悪い悪い。お前、地下二階より下にはいけないもんなあ」
「あんな臭くて汚ねえ場所によく入れるよ。ある意味すげえと思う」
「ひっひっひ。それじゃあな塵拾い」
遠ざかっても彼らの笑い声が響いてくる。
嫌な連中と顔を合わせてしまったと思いながらできるだけ早く遠ざかる為に速足で階段を降りた。
「はあ……」
彼らは『愚連隊』だ。
冒険者のなかでも、非常に若い部類に入る団で、年齢が近いか、色々とちょっかいをかけられることが度々あった。
「よし、こうなったらいい加減、師匠から許可を貰おう」
許可を貰って、塵拾いをオサラバして、地下迷宮の踏破に乗り出すのだ。
だが師匠がいない。
彼女がいつも寝転がっている塵の山を上ってみたが影も形もないのだ。
「肝心な時にいないんだよなあ」
見渡せば周囲には塵の海原が広がっている。
「仕方ないから塵拾いしよ」
僕は瞼を閉じてゆっくりと呼吸を整える。
そして暫くして髪の毛が逆立つようなゾワっとする感覚が訪れたのを合図に、うっすらと左の瞼だけを開けてみた。
『れた腕輪』『有り触れた』『脛当て』『腐った』『皮の』『損なった瓶』
視界の端の方に入ってくる青白い光――中空に揺らぎ漂う無数の文字の群れ。
それらは次第に溢れかえり、ただの羅列ではなく、規則性を帯びたひとかたまり単語へと収束していく。
『壊れた首飾り』『穴だらけの長盾』『砕けた手鏡』『焼け残った書物』『呪われた兜』『破壊された錠前』『粉々になった水晶』『ずたずたに割かれた革鎧』『傷んだ鉄靴』『血の跡がついた壺』『刃が潰れた短剣』『底が擦り切れてしまったサンダル』『虫食いだらけの巻物』『黴だらけの携帯食』『水にぬれて読めない経典』『穴の開いたスプーン』『呪われた瑪瑙の指輪』
これらの文字群は情報だ。
目の前に広がった塵の山を構成するそのひとつひとつの道具が何であるのかを教えてくれている。
何となく、前回よりも格段に『視認』できる範囲が広くなっていた。左の《妖精眼》だけで視たのが良かったのかもしれない。
「さて目ぼしいものは……」
僕は視線をさ迷わせ、できるだけマシな名称がないかを探す。
大体、『壊れ』や『腐り』『錆び』などの粗悪さを表す修飾語が刻まれている物は正真正銘の塵――ハズレだ。
例えば『ずたずたに割かれた革鎧』。
この文字のすぐ下に目をやれば、何か茶色の塊のようんものが転がっている。
きっと近づいて確認すれば、それは革鎧で、魔物の鋭い爪を受けて使い物にならなくなった跡があるに違いない。
他に有象無象の塵のなかには、たまに粗悪さを表さない修飾語の入っていない文字も紛れている。
それらにはまだ使える装備品や、未使用のままの薬瓶等である可能性が高い。
つまりはアタリだ。
選別していると、文字は等しく黒色だったはずが、ふたつだけ例外を見つける。
『呪われた兜』と『呪われた瑪瑙の指輪』だけは何故か若干紫がかっていた。
そういえば師匠が持っていたカタナの時も同じだったかもしれない。
もしかしたら呪われている場合は、色が違って視えるのだろうか。
色で区別が付けられるというのは便利だ。
呪いのアイテムは触れるだけで災難が降りかかってくるようなロクデモナイ代物だと、師匠が言っていたが説得力がない気もする。
「それにしても碌なものがない」
目星をつけたものを拾い集め、また雑貨屋『藁をも掴む』に持っていこうかと思ったが昨日獲り尽くしたせいで一向に荷袋は膨らまなかった。
「ふーむ?」
脛に向かって体当たりしてきた水饅頭を踏んづけながら、腕組みをして考える。
これは新天地を開拓するべきかもしれない。
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