魔眼《妖精眼》
「お姉さんもちょろーっと口を挟ませてもらるかい?」
師匠がにやにやしながらカウンターまでやってきて、店主に話しかける。
一体どうしたというのか。
「蒼髪で着物……あんた蒼鬼のナギサメかにゃ!?」
ダヴィンチがぎょっとしていた。
「おや御存知かい?」
「うちみたいな店に、アンタみたいな有名な踏破者が何の用にゃ?」
「いやね査定とはいえ鑑定料を取るのであれば、鑑別証を貰った方がいいのではないかなーと、我が弟子にアドバイスしたくてね」
「しょ、商談は纏まったのにゃあ。関係ないやつは口を出さんで貰いたいのにゃあ」
「鑑別証……って何ですか?」
聞きなれない言葉に、僕は首をかしげた。
「このアイテムは、どういう名前で、どういった効果を持ってますよーって説明書きさ。言わば鑑定結果の証明書だね」
「へえそんなの貰えるんだ」
ダヴィンチの方を見ると、彼は「ぎく」と顔を逸らした。
「あれあれあれー有料で鑑定するなら当然の対応ですよねえ。やだーもー店主さんたら、まさかそんな初歩的な説明もしてなかったんですかあ?」とはしゃぐナギサメ。
「しっ、失敬にゃ。ちゃ、ちゃんとばっちし説明したのにゃ」
「されてないけど?」
この店は何度かアイテムを引き取って貰う為に利用している。
だが査定の度に、鑑定代を差し引かれていただけで鑑別証なるものを貰ってはいない。そもそもどういうアイテムで、幾らで売れるかという説明は受けたことがなかった。
「そ、そーいやあうっかり忘れていたかもしれないにゃあ。にゃはははは」
「ていうか、さっきから何おどおどしてるんですかあ? はっ、まさかひょっとして嘘ついて安く買い叩こうとしてたとかあ……?」
「ぎく、ぎくう」
ダヴィンチは後ずさるように身を引き、耳を後ろに伏せている。
これはもう確信犯だ。
「わっわしの店は親切丁寧な接客がモットーにゃ、そ、そんな阿漕な商売するがわけないのにゃ」
「だよねえ。だよねえ。だったら今の鑑別証頂戴」
「鑑別証ちょうだい」
この機を逃す手はないとばかりに、僕は師匠と一緒にカウンターに詰め寄った。
何となく怪しい気はしていたが、これまでに何度か買い叩かれていたのかもしれない。
「えっと……その……」
ダヴィンチがもじもじしながら、言いづらそうに、何かを強請るようにちらちらと視線を送ってきた。
「も、もう一度査定してもいいかにゃあ……?」
「「うん、駄目」」
僕と師匠の声がハモった。
◆
「スイマセーンこっちに麦酒十杯追加で下さ?い。あとおつまみにぃ野菜の酢漬けね」
「もぐもぐピクルスは嫌いだ」
僕はかなり久し振りの肉料理を堪能していた。
何という幸せ。育ち盛りには栄養が必要なのだ。
「ナードの師匠さん今日も飲み過ぎ……」
アーデルが呆れ顔で卓に視線を向ける。
すでに師匠が空けたジョッキが山のように積みあがっており、また樽が空っぽになりそうな気配が漂っていた。
「いーのいーの今日はたくさん稼いだんだもーん」
「ナードが、でしょ?」
「奢って貰うんだもーん」
アーデルが蝋版に印を入れている。
あの底の抜けた盃こと師匠に注意はしても、注文は受け付けるようだ。
仕方がない。また樽を開けられたら堪らないので、今晩は最後まで僕が見張っている事としよう。
「はあ困ったお師匠様ね……ナードは何か飲み物いる?」
「珈琲頂戴」
「眠れなくなるから夜は駄目」
「じゃあ麦酒」
「子供は子供らしいものを頼む。ホットミルクひとつ、注文頂きましたあ」
何という理不尽。
師匠の注文は受け付ける癖に、何故、僕のはことごとく却下するのか理解に苦しむ。
「ひっひっひムクれてやんのお子様め」
師匠が楽しそうに頬をついてくるので、ますます腹が立った。
「子供じゃないですけど」
「子供扱いされてムクれてる奴は子供だよ。……でもまあ今日の稼ぎは大したもんだ」
師匠はそう言って褒めてくれる。
このままいけば黒猫亭のツケはあっさり返済できるだろうし、暫くは食べるものにも困らないし、ふかふかの寝台で眠れそうだ。
結局、ダヴィンチにはあの後で再鑑定をさせた。
案の定、引き取り総額が千五百g近くまで跳ね上がったので、念の為、鑑別証を書かせた上で他店舗で幾つかを売却してやった。
最後まで白状はしなかったが『鑑定間違いをしたお詫び』という名目で今後、鑑定料を半額にするという約束をしてくれたので良しとした。
幾ら僕の鑑定が正しくとも結果、売却時には店側の鑑定必要になるので、これは儲けものだ。
「まあ師匠がいたから稼げたようなもんですけどね」
「店との駆け引きってのは経験と知識でどうにかなるもんさ。これから先、冒険者を続けてりゃあ嫌でも身につく。だが手に入れたアイテムがどんな名称で、どんな効果をもたらす品なのか。そもそも壊れてるのか、呪われてないか。そんなものは経験を積んでも中々分かるもんじゃない」
「まあその程度には役立ちましたね鑑定」
「その程度なんて、とんでもない。そいつは生半可な経験や知識だけじゃあ得られない上に、とんでもなく有益な技能だ」
「そうなのかなあ」
「君は自覚していないけど、冒険者なら誰もが羨む天賦を手に入れたんだよ」とジョッキを傾けながら言った。
正直、あまりピンとこなかった。
何故なら僕が欲しいのはこういう力ではない。
本当に求めているのはいつでも圧倒的な力だ。
どんな魔物を斬り倒し、罠を踏み砕き、ただただまっすぐに地下迷宮の遥か底まで潜っていける推進力。
あの迷宮都市最強のように、英雄のようになれる力なのだ。
返す返すも『英雄の心臓』をもらい損なったショックは大きい。
「……」
荷袋から地下迷宮から拾ってきた道具を取り出してみた。
亀裂の入ったただの手鏡だ。
そこに僕の顔が映った。
黒かったはずの瞳はいつの間にか左が蒼くて左右非対称になっている。
『妖精眼』
いつの間にかじんわりと浮かび上がってきたのはそんな文字だ。
どうやら自然に『名称鑑定』していたらしく、それが手に入れた力の名前のようだった。
老婆が言っていた名前と若干、違う気もするがどうでも良かった
妖精――見たことはないけれどきらきらと光る花に込められた魔力を蝶のように吸う、儚い生き物で、地下迷宮にも存在するそうだ。
塵捨て場から売れそうな塵を見つけ出すことにしか利用価値のないハズレ能力にはぴったりの名称かもしれない。
「ただただ後悔しかないんだけどなあ」
師匠に気付かれないように、僕はそっと溜息を吐いた。
後になって思い返せば、この時の僕は子供だった。
まだ自分の持ち物よりも他人の手のなかで輝く玩具を羨み、ないものを強請って、駄々をこねていただけだった。
確かにあの魔女は言っていた。
「可能性を与える」のだと。
僕はまだ自覚していなかったのだ。
この≪妖精眼≫がまだ未成熟な魔眼であり、ろくに本来の能力を発現できていない≪妖精王の眼球≫であることを。
◆