〈大階段ー踊り場〉帰還
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……。
………………。
「ひっく……え……?」
しゃっくりで眼が覚めると、硬く冷たく滑らかな床の上に倒れていた。
見回すと見覚えのある広場で、見上げても見下ろしてもこれまた見覚えのある巨大な階段が続いている。
「ここ……大階段の踊り場だ……」
交響遠征旅団の入団試験で爆発した宝箱の焦げ跡が有った。
何より放置していた自分の荷袋と剣が残っていた。
だがもう試験官も、参加者も見当たらない。
人気はまるでなく、夜でも昼でもそれなりに賑わっているはずの踊り場は珍しくガランとして静まり返っていた。
「夢……だったのかな?」
老婆も奇妙な部屋も影も形もなくなっている。
ものすごくシュールでものすごくリアルな体験だった。
というか一体どこからどこまでが夢だったのだろう。
「ナー……ド……?」
「え……? 師匠?」
大階段の上方から駆け降りてくる人物――ナギサメがいた。
何故か背中には巨大な風呂敷包みを背負っており、長いパンやら一升瓶やら野菜やらがはみ出ている。
夜逃げか泥棒でもして逃げている最中なのだろうか。
「どうしたんですかその大荷物?」
「どうしたんですか……って、君は転移の罠にかかったんじゃないのか? だから私は大慌てで……」
「自分でもイマイチ状況が……」
「いやそれより怪我はどうした? 毒を受けて、腕も折れてるって話じゃなかったか?」
襟をつかんでがくがく揺さぶるのは止めて下さい。
怪我をしていると思っているのなら、乱暴に扱わないで下さい。
「何で、色々知ってるんですか?」
「たまたま見物していた知人がいて教えてくれたんだ。一体どうやって戻ってきた?」
「いや、それが覚えてなくて……」
やはり入団試験は実際に起きたことのようだ。
ならばあの老婆がいた部屋は現実なのか夢だったのか。果たして僕はどこに転移して、どうやって戻ってこれたのだろう。
僕が首をひねり何とか思い出そうとしていると、師匠はがっくりと肩を落として「はー」と俯いてしまった。
「……師匠?」
「この大馬鹿者っ!」
「ぐはっ⁉」
いきなり強烈なデコピンが降ってきた。
「全く……君は何て人騒がせな弟子だろうかっ」
「いだっ!!」
「見物人から色々聞いたが」
「うがっ!!」
「どうかしてるぞ君はっ」
「ちょっ、いたいですって、オデコが、オデコが……」
容赦ない連続デコピンを受けて、額がじんじんと痛んだ。
どこの誰だよ、余計な告げ口したの、と心のなかで見知らぬ知り合いを恨んだ。
「あのメトロノームという女はとんでもない奴で有名なんだぞっ。これまでに何人も有能な若手を再起不能にしてるんだ。あんな欲求不満のサディスト女に目をつけられたら冒険者人生終わりだからな」
一見優しそうなお姉さんだったけど、そんなに怖い人だったのか。
「ぐす……次にあんな無茶をしたら破門にしてやる」
「師匠……」
普段は飄々として冗談しか口にしないナギサメが、珍しく本気で怒っているた。
目元が薄っすらと赤くなって潤んでいるような気もする。
彼女に限って泣いたりするような事はないので、多分お酒のせいだろうが、心配してくれたのは確かだった。
「ごめんなさい……」
「まあ分かればいいけど」
「……」
「……どうしたんだ? 手加減したつもりだが痛かったか?」
確かにデコピンは痛かった。
多分タンコブが三段ぐらいできるはずだ。
だがそれよりも何故か目の辺りの違和感のようなものが気になってしまっていた。何だろう眼が異様に痒くて仕方なかった。
「とりあえず君の拠点である黒猫亭に戻ったら、夕食にしよう」
「そうですね、お腹すいちゃいました」
朝起きて出かけたばかりと思っていたが、いつの間にか時間が過ぎていた。
そしてもう何日も食事をしていないみたいに俄然、食欲がある。
「いや君は夕食抜きだ」
「は?」
「これから私が馬鹿みたいに酒を飲みながら、垂れるであろう長いお説教と愚痴を正座しながら大人しく聞くんだ。そしてこれは全部君のおごりである」
「サディスト女……」
「ギロ、何か言ったかい?」
「いえ何も言ってません」
師匠がくるりと振り向いて、デコピンの構えをしてきた。
僕は慌てて首を左右に振った。
「ふん泣き言は一切受け付けないぞ。大いに泣いて、大いに教訓とするがいい」
師匠はどすんと背負っていたものを下ろすと、スタスタと階段を上がって行ってしまった。
「ちょっ、この大荷物どうするんですか」
「荷物持ちは弟子の仕事!」
「がーん」
相変わらず人使いの荒い師匠だ。
師匠は軽々と背負っていたが、大風呂敷はずっしりと重かった。
風呂敷には大量の食料が無造作に詰め込まれ、その他にも照明具を始めとした探索道具が入っているようだ。
僕はよろめきふらつきながらも何とかそれを背負って歩く。
――師匠は、本気で僕を探そうとしてくれた。
――こんな大荷物を背負って、広大な地下迷宮に入り、無謀にも見つけ出そうとしてくれたのだ。
その事が嬉しくて、大階段を駆け上った。
見上げれば遥か上の方には、腕組みをして踏ん反り返り悪態をつきながら、それでも僕がやってくるのをちゃんと待ってくれている師匠がいる。
「何をやっているんだね。麦酒が逃げてしまうじゃないか。早くするんだ」
「もー……すぐ行きますから待ってて下さい」
次第に痛みを増してくる目の痒みが気にならないでもなかったけれど、今はその姿を一生懸命に追いかけることにした。
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