とある一家の出来事
さぶから逃げきった翔は、周囲に細心の注意を払いつつ、住宅地へと足を運んだ。
建て売りの一軒屋が翔の自宅で、家族三人が仲良く暮らしていた。
「ただいま」
帰宅の言葉を口にするも、家のどこからも返事がこない。
「……ああ、そういえば」
翔は呟きながら、3日前の事を思い出す。
__3日前。
春休みを満喫していた翔は、夜遅くまでネットやら漫画やらで遊び、昼過ぎに起きるという学生らしい自堕落な生活を送っていた。
その日も昼過ぎまでぐっすりと惰眠を貪っていたのだが、枕元に置かれていた携帯電話の着信音がその惰眠を打ち破った。
「……もしもし?」
気持ちの良い睡眠を邪魔されて、若干苛ついた声で応対すると、電話の先から疲れきった男の声が聞こえてきた。
『ああ、翔君かい?僕だよ……』
「……父さん?」
電話の声は翔の父親で、阿蘇川 武夫という。
武夫はとある大学の教授を勤めており、専攻は考古学で、最近もどこかの国に調査として渡航しているはずである。
「どうしたの?父さんが俺に電話してくるなんて珍しいじゃん」
家に母親がおり、用件がある時は家の電話にかけてくる事がほとんどで、息子に直接かけてくるのは年に一回あるか無いかであった。
『その事なんだけどね……って、ちょっと真理亜!?」
少し歯切れの悪い武夫の声が遠ざかると、力強い女性の声が翔の耳に入る。
『もしもし翔!?おはよう!』
「……おはようお袋」
女性の声は翔の母親で、阿蘇川 真理亜という。
とても高校生の息子がいるとは思えない程若々しい見た目をしていて、近所で美人若奥様と評判の主婦兼考古学助手をしている。
高校生の息子がいて若奥様もへったくれも無いだろうとツッコミを入れたら、笑顔でテンプルを打ち込んでくる程のアグレッシブな女性である。実際に翔は打ち込まれた。
翔はこめかみ辺りを擦っていると、ちょっとした違和感を感じた。
寝起きのぼやけた頭がスッキリしていくにつれて、それが鮮明になっていく。何故なら__。
「……ちょっと待て……何でお袋が父さんの所にいるんだ?」
そう、母親の真理亜は昨日まで家にいたのだ。父親がどこの国にいるのかはわからないが、朝から家を出て着ける距離ではない筈である。
『それはね翔?……愛の力よ!』
愛の力であるらしい。
『英語で言うとラブパワーね!武夫さんからのラブパワーを感じた妻である私が、武夫さんの所にいるのは至極当然の事であると同時に必然なわけよ』
お前は受信機か何かか!?というツッコミを押さえつける。
「どこを中継して受信したのかは知らないし、知りたくもないから聞かないけど、俺の生活費とかどうするんだ?」
『ああそれなら、居間のテーブルにお金と朝御飯を置いといてあるからね』
頻繁ではないが、時折こういう事があるので、翔も馴れたものである。それに__。
『あ、神代!?あんた武夫さんから離れなさいよ!』
こういう時は大体、武夫の所に女性がいたりするのである。もしかしたら、本当にラブパワーを受信しているのかもしれない。
『武夫さんに顔を近付けるな泥棒猫!って、こういう訳だから、しばらく留守番しててね!愛してるわ翔!』
一方的に捲し立てられ、通話が切れた。
しばらく携帯電話の画面を見つめていたが、翔は取り敢えず考えるのをやめた。
「……飯にするか……」
重要なのは栄養補給。考えても仕方ないし、そのうちケロッとした顔で帰って来るだろう。
それが3日前の顛末である。