7.バニック
「ありがとうございます」
バニックへ向かう途中、リーラが呼び止めてくれた行商人の荷馬車で念願のマントを手に入れた。優しそうなおじさん商人にお礼を言い、エリオットは早速マントを羽織ってみる。リーラのマントよりも丈が長く、エリオットのひざくらいまであった。少し赤みがかったリーラのよりももっと濃い茶色だったが、森や岩陰などで保護色になり身を隠すのには申し分ないだろう。
「気を付けていくんだよ」
おじさんは笑顔で手を振り立ち去った。
「リーラ、ありがとう」
近くで待っていたリーラと合流し、再び旅路を急ぐ。
「旅商人もピンキリだから気をつけなさいよ」
マントを披露していると、真面目な顔でリーラが言った。
エリオットは正直あまりお金を持っていなかったのでマントが買えるか心配だった。今回出会った商人のおじさんは、エリオットがこのお金で買えるマントをください、と言うとそれに見合うものを出してくれたのだ。しかも、パンのオマケつきで。
「うん」
久しぶりの主食でほっぺたをパンパンに膨らませたエリオットを見て、リーラは呆れたようにため息をついた。「スープばっかりで悪かったわね」
「ところでぼく、お金が……なくなっちゃったん……だけど」
パンを胃の中に押し込み、口が自由になったところでエリオットがリーラの顔色を伺いながら切り出す。
「でしょうね」
また噴火する……そう思って首を引っ込めていたエリオットだったが、リーラは予想に反してあっさりと返した。
「まあ、大丈夫でしょ。これから行くとこはリーゼルの通貨が使えないから」
「えっ」
どういうこと? エリオットが質問を返す前にリーラは声のトーンを下げて続けた。
「リーゼルがサトアビリアスの同盟国だってことは知ってるわよね―――」
ユービリアス大陸北の大国、サトアビリアス。リーゼルがその同盟国になったのはもうかなり昔のことで、国民はその事実を忘れつつあった。リーゼルは大陸の南端にあるので実際のところオスロンの方が近い。国内の治安の悪化もあってかリーゼルの国民の多くは国に対して不信感を抱くようになり、次第にオスロンを支持するようになっていったのだという。
「―――オスロン派が多くて、ついに街を挙げてオスロン支持を公言しちゃったのがバニックなの。バニックに着いたら下手なこと言っちゃダメよ」
呑気なエリオットに最後に念を押し、リーラは話を締めくくった。
そんな話をしながら歩いていたが、エリオットは段々と息苦しくなってきて歩くペースが落ちる。少し前を歩くリーラの様子ははっきりとわからなかったが、やはり足取りが先ほどより重い。
「少し休憩しましょ」
エリオットが提案するよりも早く、リーラが振り返って言った。そして道から一段低くなっている場所に腰を下ろす。
「この辺、標高が段々高くなっていくのよ。はあ。やっぱりお昼までには着かないわねー」
リュックから水筒を取り出して水を一口飲むと、リーラは水筒をエリオットに渡しながら言った。「ホワカ湖の水よ。まだ冷たくておいしい!」
山道を登っていたのか。なるほど息も切れるわけだ。
「街まではあとどれくらいなの?」
水筒を返しながらエリオットは尋ねた。
「もうすぐよ。距離的にはそんなに遠くないわ。けど、どんどんきつくなるからここでちょっと休憩」
そう言ってリーラが指す方向には、休憩中と思しき旅人や商人がたくさん集まっていた。広場とまではいかないが、手ごろな石や岩が転がっており、それが椅子にちょうどいい開けた場所がある。
「人が多いのも、街が近い証拠でしょ」
そこでエリオットは一つ疑問に思うことがあった。
「ねえ、バニックはオスロン派? なんだっけ。街に入るのに通行証とかいらないの?」
「そんなものいらないわ。別に独立国ってわけじゃないんだから。来る者も出る者も拒まないわよ。旅人に優しくして、リーゼルの中でオスロンを宣伝しようってんでしょ。知らないけど」
リーラが立ち上がったので、エリオットも遅れないように後に続いた。
リーラの言う通り、街にはすんなり入ることができた。エリオットたちと同じように多くの旅人が自由に出入りしている。エリオットは小さな村の周辺しか知らなかったので、初めて見る大きな街に大いに感動していた。人通りの邪魔にならないように狭い路地の方に入り、リーラがとある店の前で止まって言う。
「お腹すいたでしょ。ここで少し休みましょ」
表のにぎやかな通りとは裏腹に、静かな店だった。昼を少し過ぎた時間だったが二人のほかに客の姿はない。リーラは小ぢんまりとしたカウンター越しに店主と二言三言言葉を交わし、席に着いた。
「ここの二階が宿になってるから、今日はここに泊まるわよ。あと、今日のこれからの予定だけど―――」
リーラは野宿グッズの補充や情報収集をするらしい。ホワカ湖で見せてくれた大きな地図ではなく、おそらくこの街のことだけが書かれた地図をテーブルに広げて場所などを確認していた。エリオットは特に用事もないので宿で待っていることも考えたが、初めての大都市を少し見て回りたい気もする。
「エリオットはどうする? 一緒にくる?」
「ぼく……街を少し見て回ってもいい?」
勝手にウロチョロしないでよ! と、リーラに怒られるのも覚悟したが、意外とあっさり許してもらえた。
「いいけど、一人で大丈夫? 下手なことしないでよね」
「ありがとう。どうせお金持ってないし、下手なことも上手いこともできないよ」
しばらく話をしていると、無口な店主が料理を運んできた。リーラは地図をたたんで脇によける。
「さあ。久しぶりのちゃんとした食事ね! 食べましょ」
エリオットはお金を持っていないので、必然的にリーラにごちそうになることになってしまう。それに、食事だけではない。
「お食事代とか宿代とか……ぼく払えないんだけど」
「そんなの百も承知よ。大丈夫、いきなり蹴飛ばしたり追い出したりしないから!」
蹴飛ばす。リーラならあり得そう……と思ったが、口には出さず素直にお礼を言った。
「リーラ、ありがとう」
「どういたしまして」
食事を終えると、リーラは店を出て行った。エリオットも店主にひとこと言い、店を出る。街で迷子にならないようにあまり遠くまで行くつもりはなかったが、やはり大通りに出ると、にぎやかさや活気に吸い寄せられてしまった。ついつい好奇心が先走ってしまう。
人通りがようやく落ち着く場所に出たと思ったら、そこは広場のようなところだった。円形の開けた場所に、大小いくつもの通りがつながっている。広場の中央にはよくわからないオブジェがあり、それを囲むように石造りのベンチがあった。
ベンチに腰を下ろし、よくわからないオブジェを見上げてみる。なるほど、やっぱり良くわからないオブジェだった。あえて表現するとしたら、人間が3人くらいツイストゲームでもしているような……。ツイストオブジェの土台はちょっとした掲示板のようになっており、そこに大きな地図が掲げられている。地図の上部には“バニック・アイランド”と書かれており、横には大きく赤で×が塗られたリーゼルの国旗があった。さすがにオスロンの国旗は近くになかったが、リーゼルを良く思っていないのは確かなようだ。
店ではリーラの地図をあまりよく覗き込めなかったので、改めてツイストオブジェの地図をよく見ている。エリオットたちが歩いてきた道の反対側はどうやら海に面しているようだ。海上には小さな島がいくつかあり、その島を含めて全体をバニックの街というらしい。
「“バニック”は、数字の10って意味よ。小さい島が全部で10あるから、そこから街の名前をつけたのね」
地図に集中していると、リーラがいつの間にか後ろに立っていた。リーラはいくつかの荷物をおろし、エリオットの隣に座る。
「用事はすんだの?」
「うん。あなたはずっとここにいたの?」
ふと周りを見渡せば、いつの間にか夕方の空気になっている。通りからはちらほらと明かりも見えた。
「えーと……通りを歩いてたらいつの間にかここに来ちゃって、あとはずっとこれ見てた」
「ふーん……」
リーラの「ふーん」がツイストオブジェの方向を向いていたので、エリオットは国旗の方を指して尋ねた。
「国旗にあんなことしちゃって、リーゼルは何にも言わないのかな?」
エリオットの問いに、リーラは声のトーンを低くして答える。
「これはバニックに限った話じゃないんだけど……。リーゼルはここ何年も不況が続いてて情勢が不安定だから、あんまり信用されなくなっちゃったのよ。あんなにわかりやすく国家否定してるのに、政府もなーんにもしてこないし。何がどうなってるかわかんないけど、戦争だけは勘弁してほしいわ」
そこまで話したものの、近くに人が座ったので二人はその場を後にすることにした。「店に戻りましょ」
エリオットは小さな村出身だったので国のことはほとんど何もわからなかった。リーゼルは国王中心の君主政体ではない。それなりに選ばれた人がそれなりの政治を行っているはずだが、バニックのこの状態を見ればそれがうまくいっていないことがわかる。自分はいったいどれだけ狭くて平和な世界で生きてきたのだろう。生まれ育った国のことすら良く知らない。リーラに着いて行きながら(やはり道を覚えていなかったので一安心)、エリオットはもっといろいろなことが知りたい、と思うのだった。
すみません、またしばらく停滞します