6.魔法
朝。空は相変わらず快晴で、昨日とは違い心地よい風が湖面を撫でていった。目が覚めたエリオットが隣を見るとそこにリーラの姿はなく、空の寝袋だけが転がっている。早起きだな……そう思いながら、顔を洗いに湖の方へ歩いて行った。
「おはよー」
エリオットが寝床に戻ると、リーラが寝袋をたたんでいた。
「おはよう、リーラ」
朝食の準備をすると思ってエリオットは寝床に使っていた小枝を集め始めるが、リーラが申し訳なさそうに手を止めて言う。
「ごめんね。ランプの油が少なくて、火種を作れないの。だから軽く木の実でも食べて、あとは道すがら調達しましょ。スープの材料はあるのに残念だわ」
そういえば、最近は野宿続きだと言っていた。リーラ一人だったらこんなに火を使う必要はなかったのかもしれない。エリオットは申し訳なく思った。
「ごめん、ぼくのせいだよね……」
エリオットは一から火種を作ることも考えたが、それでは時間がかかりすぎる。水辺は湿度も高いし、何より時間がもったいなかった。
エリオットのせいじゃない、とリーラは言ってくれたが、さすがに主食抜きのスープ二連続はお腹にたまらない。ついでに言うと、エリオットは昨日朝ご飯を食べていなかった。案の定、お腹の虫が。
「うーん、頑張って火起こしてみる?」
苦笑しながら、リーラが提案する。
「大丈夫……。火がつくのを待ってる間に餓死しそう」
エリオットは強がって、余っていた木の実(火を通さないと固かったり草の味がするものばかりだった)をぼりぼり食べて見せた。不味かった。
すると、どこからともなく懐かしいあの声が聞こえてくる。―――まったく、見ていられないな―――からかうような、面白がるような、そんな楽しげな声だった。やはり意味の分からない言葉だったが、村を出るときに助けてくれた声だったので声の言う通り発音してみる。集めた小枝に向かって指を立てて―――
〔フエナ・フォール〕
途端に指先にくすぐったい感覚を覚え、見てみるとなんと。
「ちょっ! エリオット! 指、指ー!」
「うわあ!」
エリオットは驚いてしりもちをついた。腰が抜けた、と言った方が正しいのかもしれない。指先に“湧いて出た”小さな炎が小枝に飛んでいき、見事命中。小枝はぱちぱちと新鮮な音を立てながら燃え始めた。
かなり長い時間。大陸の地図を初めて見た時の感動よりも、ずっと長い時間。二人は固まっていた。風にあおられて火は燃え続け、次第に弱くなっていく。最初に動いたのはリーラだった。
「あ……え……あっ、火が消えちゃう」
リーラが小枝を追加するのを見て、ようやくエリオットも動くことができた。
「火だ……」
「火ね……」
お腹がすいていたこともすっかりどこかへ行き、二人は黙って火を見つめ続ける。エリオットはいい加減沈黙に耐えられなくなってきたが、沈黙を生み出した当の声はすでになりを潜めていた。こういう時こそ助けてほしいよ……
「エリオットって、魔法使いなの?」
沈黙を破り、リーラがいきなり核心をついた質問を投げかけてきたので、エリオットは少々面食らった。悪魔の声のことは、言ったらまずいかな。そう思ったので、慎重に言葉を選んで答える。
「えーと……。実は、ぼくにもよくわからないんだ。父さんが死んだときも、頭の中に不思議な声が聞こえて、よくわからない言葉だったんだけど、そのまましゃべってみたら、なんか透明人間になっちゃって……今も、おなかすいたなー火種があったらなあーって思って、声が聞こえてきて、しゃべって、火がついちゃった」
「……」
しゃべっていて自分でもよくわからなかった。リーラは疑うような目でじっとこちらを睨んでいたが、やがて思考が追い付いたのかまとまったのかその場に勢いよく立ち上がって言う。
「そ。とりあえず、そういうことにしておいてあげる。火がもったいないから、スープ作っちゃましょ」
やっぱり、リーラは強いなあ。エリオットは再び感心しながら、準備を手伝った。
「“フエナ”って、確か“火”って意味よね」
スープを飲みながら、ふとリーラが口を開いた。急な話だったのでエリオットは反応が遅れる。ボケッとしているところに、リーラが続けて言った。
「あなたがさっき火を出した時に言ってた言葉よ。古代の言葉で、“火”って意味なの」
「知らなかった。リーラは物知りだね」
ということは、悪魔が囁いていた言葉は古代語で、魔法の呪文か何かだったのだろうか。リーラはさらに続ける。
「旅先で聞いたことがあるだけよ。古代の言葉には不思議な力があって、今は占いとかおまじないとかによく使われてるわ。ずっと昔から人はいろんな願いを込めて、地名にも古代語を使っているところが多いの」
言われてみればこのホワカ湖も、古代語で「旅人よけ」だった。本当にその通りで、昨日から近くに人の気配を感じない。
「魔法の呪文として古代語を使える人は初めて見たけど」
「魔法……なのかな」
エリオットは弱くなってきた火に向かってもう一度先ほどと同じ言葉を言ってみるが、今度は指先に火が湧くことはなかった。
「魔法……だったのかしら」
とりあえず、無意識に古代語をしゃべったとしても火事にはならなそうだ。エリオットがそんな呑気なことを考えていると、リーラが顔を寄せてきて言った。
「とりあえず。地図よりもまず、魔法のことはもっと隠さなきゃ。どうせあなたのことだから、呑気に『火事にならなそうでよかったー』とか考えてるんでしょ」
リーラは心を読む魔法を使ったんだと思った。エリオットが目をぱちくりさせていると、火から少し離れてリーラが地図を開く。
「今日の目的地はここ。ちょっと遠いけど、今日は何が何でも街まで行くわよ」
リーラが地図上で走らせた指は、“バニック”と少々太い字で書かれた街を指していた。この街の名前にも、何か意味があるのかな? そう思ったものの、さっさと地図をしまって後片付けを始めるリーラに呑気に尋ねる勇気はなかった。エリオットも火の始末を手伝う。
「さあ出発!」
先陣を切って、リーラがずんずん森へ入っていく。エリオットはそれに着いて行きながら一度湖を振り返った。旅人よけの湖は太陽の光を受け、まるで笑顔で旅人を見送るかのように美しく輝いている。その光景を目に焼き付けながら、エリオットは心の中で静かに言った。行ってきます―――
「ちょっとエリオット! のんびりしてる時間ないのよはやく」
もう野宿は嫌! ちょっと立ち止まっている間にかなり遠くまで突き進んだリーラがこちらに向かって叫ぶ。エリオットはせっかくできた旅の仲間の機嫌をこれ以上損ねないように、急いで駆け寄るのであった。
やっっっっと、旅立ってくれました。
実はこのお話、本当はもっと後に出る予定だったんですが、魔法っぽい魔法がないファンタジーものは読んでいて自分も大変つまらないので……早めに出しました。
またしばらく魔法はなりを潜めてしまいますが、使えるときにじゃんじゃん使いたいと、思っておりますので
お待ちください……