5.大陸の地図
立ち上がった―――はいいものの……
「疲れた……」
スープを食べた後の片づけ、夜の分の薪や落ち葉集め、寝床の準備、食材の調達……予想以上にこき使われ、数時間後にはへとへとになって座り込むエリオット。
「何よ。情けないわね」
リーラはまだ忙しく動き回っていた。いろいろと聞きたいことがあったのだが、とても聞けそうな状況ではない。リーラがやっと腰を下ろしたのは、空がオレンジ色に染まる日暮れ間近だった。
「まったく、そんなんじゃこれから先不安しかないわよ」
「ごめん」
「まあ、私も旅に出たばっかりのときは一日に数キロ歩くのがやっとだったわ」
そのうち慣れるわよ、と夜に向けて起こした火を突っつきながら、リーラはエリオットを励ましてくれた。今なら話せるかな?
「一日にどれくらい進むのが理想なの?」
当たり障りないところから切り出す。
「うーん、地形とか天気によっても変わってくるし、大きな街に着いたら長居することもあるから様々よ。私は当てがない旅―ってわけじゃないから少しずつ目的地は決めてるけど、それもその日のテンションとか気分とかで寄り道もするわよ。今は絶賛寄り道中」
その日の気分で旅か。うんと小さい頃は隣のおばさんの家に行くのでさえ冒険だった。代わり映えしない同じ景色なはずなのに、日によって時間によって気分によって家の前の景色も毎日違って見えたものだ。いつから、日常が退屈に感じるようになってしまったんだろう。エリオットはリーラがうらやましかった。
「寄り道させちゃってごめんね」
「旅って、そういうものよ」
二人とも不本意な形で旅に出ることになったのだが、リーラはそんな辛い状況を楽しむ方法を最初から知っていたのだろうか。
「リーラは強いんだね」
「あなたは弱っちいのね」
鼻で笑われてしまった。エリオットはすぐそこまで出かかっていた涙を引っ込めて、核心に触れる。
「旅って、やっぱり地図があった方がいい?」
予想はしていたが、やはり返ってきたのは沈黙だった。いきなりすぎたかな、と反省モードに入ろうとしていた時、予想よりも早く沈黙が破られる。
「はあ。それが聞きたかったんでしょ? いいわ。どうせ話すつもりだったし」
最初のため息に一瞬ドキッとしたエリオットだったが、目の前に広げられた大きな地図を見てさらに鼓動が早まる。
「いつもは折りたたんで一部しか見えないようにしてるけど。こうして広げたのは久しぶりだわ」
そこにあったのは、“地図”というよりは“絵画”と言った方がしっくりくる地図だった。紙は両手を大きく広げるほどの大きさだが書き込まれている文字はとても小さく、土地の凹凸までもがはっきり分かるように色付けもなされている。エリオットが今までに見たどんな絵画よりも、その地図は美しかった。
「感動、するでしょ」
たっぷりと感動する間を取った後、リーラは話し始めた。
「この地図、私のお父さんが描いたの。トレジャーハンターだって話したでしょ? お父さんね、世界地図を作るんだ! って言って家を飛び出していったのよ。これは、今私たちがいる大陸の地図で、これでも世界のほんの一部なんですって」
一部……。エリオットはさらに言葉を失った。世界は広い、そう思ったことは何度もあるが、実際物理的に提示されると気が遠くなるような広さを実感できる。地図の上で視線を泳がせていると、リーラが地図の下の方を指しながら尋ねてきた。
「私たちが今いるのは、ちょっと見にくいけどここ。エリオットの村はこのあたりなの?」
荷馬車に揺られていた時間が長かったので正確にどの位置かはわからないが、大体の方向に道を辿っていくと……
「ここだよ」
やや粗雑な字ではあったが、確かにそこにはピールヘイル村の名前があった。そこで改めて地図をよく見る。手書きの地名はどれも小さな文字だが、線の太さやインクの色、滲み具合などが微妙に異なっていた。
「これって……」
エリオットはその文字に見覚えがあった。そう、これは確か……
「アラン……さん?」
以前、エリオットは村を訪れたトレジャーハンターに地図を見せてもらった。そのハンターは、確か“アラン”と名乗っていた覚えがある。そしてその時、確かにピールヘイル村の名前を地図に書き込んでいたのだ。
「父を知っているの!?」
驚くリーラに、エリオットはピールヘイル村を訪れたトレジャーハンターの話をした。
「そう……」
エリオットがまだ小さい頃の話だったのでたいして長くはなかったが、リーラは話を聞くと寂しそうに目を伏せた。エリオットがどう声をかけていいか迷っていると、再びパッと明るい表情をつくる。
「お父さん、今はどこにいるんだろ」
はやくとっつかまえなて殴らなきゃ! リーラは暗くなり始めた空にこぶしを突き上げる。やはりちょっと怖い。エリオットは自然と距離をとっていた。
「さあ、お話はおしまい! 暗くなってきたし、地図はここまでね。目に悪いわ」
エリオットは正直もうちょっと見ていたかったが、リーラはさっさとたたんでしまう。そんな名残惜しそうな視線に気付いたリーラが、「あなたにこれ以上地図を火に近づけられたら、燃えちゃうわ」と言った。なるほど、自分でも無意識のうちに明かりを求めて火に近づいていたのか。顔の半分が熱くなっていたことに気付き頬をさすりながら、自分が燃えることより地図を心配しているリーラを、エリオットはやっぱり怖いと思った。
地図を片づけ、リーラは再びてきぱきと晩ご飯の準備を始める。昼間こき使われながら集めた木の実や野草を、リーラがリュックから出したおなじみのスープの素を溶かした水(ちなみに、泥みたいな色)に入れていった。今回はそこに、湖で獲った小魚や貝も入る。
「特製、ホワカスープね!」
「うわあ、おいしそう」
今回も見た目はおいしそうではなかったが、立ち込める湯気からは食欲をそそる匂いが漂ってくる。たっぷり匂いを堪能してから、リーラが取り分けてくれた特製ホワカスープを口に運んだ。うむ。予想通り本当においしい。今回は材料集めを手伝った分、達成感のオマケつきでさらにおいしく感じた。
「どう? 自分で獲った魚の味は?」
小物しか獲れなかったことをからかわれているのだろうか。若干皮肉めいた問いだったが、素直に「すっごくおいしい」と思った。
すっかり夜になり、湖は昼間とは違う景色を見せてくれる。頭上には満天の星空、湖面にも夜空が映り、キラキラと静かに輝いていた。森の方からは虫の鳴き声も聞こえてくる。旅人よけ、と言うだけあって人の気配は少しも感じなかった。
「明日はどこに行くの?」
木の枝や葉っぱを並べて作った簡易的な寝床に横になり、エリオットは隣で寝袋を広げるリーラに尋ねた。
「そうねー。どこに行くにもまず、あなたの装備を整えないと。せめてマントくらい必要でしょ?」
この辺りは温暖な気候とはいえ、夜は予想以上に冷える。防寒具としてだけでなく、まだ子供のエリオットにとっては身を隠したり身を守ったりするためにもマントは必要だ。エリオットはリーラに貸してもらったマントにくるまりながらうなずいた。
「マントはその辺の旅商人から買った方が安いわね。どうせあなた、お金そんなに持ってないでしょ? あとはちょっと大きい街に行って、長旅の準備をしましょう」
朝になったらまた地図を見れるかな? エリオットがそんな考えを読んだのか、リーラが言う。
「あ、言っておくけど、他の人の前で地図のこと話しちゃだめよ。理由は、わかるわね? 朝になったらまた出すけど、森を出たら地図のことはいったん忘れて」
「うん」
地図はとても高価なものだ。しかもリーラが持っている地図は、リーラのお父さんが作った世界に一つしかない大陸の地図。のはず。リーラが旅慣れしているとはいえ所詮子供なので、やましい考えを起こす大人がいないとも限らない。
エリオットはこれから先の冒険に不安を覚えながらも、わくわくする気持ちを抑えられなかった。初めて村から遠く離れ、見知らぬ土地で心強い仲間と出会ったり、意外な接点も見つかったり。寝床の葉っぱの心地よい感触を楽しみながら、エリオットはいつの間にか夢の中へと旅立っていった。
なかなか旅立たず申し訳ございません
次回も……短めにするつもりですがまだ湖です
私も早く旅に出たい……