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マグニファイ  作者: 浅木胡々
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3.旅立ち

「ん……」

 エリオットは、長い夢を見ていたような気分で目を覚ました。まず胸に手をあて、自分が比較的落ち着いていることを確認。それから辺りを観察する。

 エリオットは家の中にいた。目の前には父ホールスが横たわるベッド、自分の後ろには割れたカップがあり、スープのいい香りが鼻をくすぐっていた。食欲はわかなかったが。

 ホールスに近づいてひとこと声をかけるが、返事はない。恐る恐る胸に耳を当ててみると、もう命の鼓動は聞こえなかった。どうやら、今はホールスが息を引き取った直後らしい。物言わぬ父の胸に耳を当てたまま、エリオットはその胸の温もりにしばらく触れていた。

 と、いうことは。まもなくバージルや村人たちがやって来て大騒ぎになって―――

 そこまで考えたエリオットは、はっとしてホールスから離れた。

「夢、だったのかな……」

 手のひらを返したような村人たちの態度、そして泉での出来事……。思い出せば出すほど鮮明に脳裏によみがえる。

「……願い事、か」

 エリオットは、悪魔との最後のやり取りを思い出していた。

「なんだか結局、悪魔さんの願い事を叶える羽目になっちゃったなあ」

 悪魔との世間話は気をつけないといけないな。ひとつ勉強になった、とエリオットはひとまず記憶の整理をやめ、行動を開始する。とりあえず泣き叫ばなければ、すぐに騒ぎが村中に広がることはないだろう。だが、夕食のおこぼれに預かろうと家の近くにいたはずの大家の男が、いつ村人を引き連れてやって来るかわからない。手早く割れたカップを片付け、ついでにテーブルの上も片付ける。スープが入った鍋は、少しでも大家の男の気をそらすため、と思ってそのままにしておいた(本当は片付けるのが面倒だっただけ)。

 ものの数十秒後、エリオットは家にあったわずかなお金と保存食の干し芋をポケットに突っ込み、ホールスのベッドに駆け寄った。だいぶ冷たくなっている額に手をあて、短い別れの言葉を告げる。

「父さん……さようなら」

 ちゃんと弔いができなくてごめん。生まれてきてくれてありがとうって言われたの、すごくすごく嬉しかったよ。―――様々な思いが駆け巡る。しかし、それを言葉にすることはなかった。何人かの足音がこちらへ向かってくるのを聞き、エリオットは涙を飲み込んでそっと裏口へ向かう。

 運命から逃げるわけじゃない。悪魔は自身の願いと引き換えに命を助けてくれた。旅立つための猶予さえくれたのだ(ちょっと短かったけど)。悪魔の願いを叶えるためとはいえ、両親が命懸けでくれたこの命を守り、自分が生きている意味を見つけたかった。そのための旅立ちだ。

「うーん……。でもちょっと短すぎ……」

 悲しみを押し込め、自分の考えを必死に正当化させていたエリオットだったが、裏口の方からも足音が近づいてくるのを聞いて猶予時間の短さを少し恨めしく思う。こりゃ強行突破も考えなくちゃ……エリオットがそばにあった農具に手をかけようとしたとき、どこかなつかしいような耳触りのよい囁き声が聞こえてきた。

『―――』

 意味の分からない言葉だったが、なんとなくつられて同じ言葉を口に出してみる。

〔セトラ・ピールヘイル=ジャルス・トラートス〕

 直後、左手首にピリッとした痛みが走った。しかしエリオットが手首を確認する間もなく、裏口が乱暴に押し開けられる。

「エリオット! 話がある……」

 入ってきた大家の男は、目の前に当のエリオットがいるにも関わらず、大声を上げながら家の中にずかずかと入っていった。後ろから続いてやって来るほかの村人たちも同様に、エリオットに気づくそぶりも見せずに通り過ぎていく。しばらく呆然としていたが、エリオットは村人たちをすり抜けて外へ出た。

 後ろの方では、ホールスの遺体を発見したであろうバージルの泣き声、演説を始める大家の男の大声などがする。次第に村人たちがエリオットの家の周りに集まっていくが、やはり誰もそこにいるエリオットには気づかなかった。

 実体まで消えたわけではないらしい。何人かがすれ違いざまにぶつかり、何にぶつかったのか分からない村人は首を傾げて通り過ぎていくのだった。

 エリオットは、姿見えぬ囁き声の主に訊ねてみる。

「さっきのはどういう意味なの?」

 返事はない。口に出さずに心の中で言ってみても同じだった。姿なき声に驚いた村の子供が立ち止まり口をパクパクさせ始めたので、それ以上追求するのをやめてエリオットは歩き始めた。


「どうしよう」

 村を出てしばらく進んだ後、近くのちょうどいい切り株に腰を下ろしながらエリオットは呟いた。時刻は夜。暗いが、星明りは旅人の足元を不自由なく照らしてくれている。

 天気がよくてよかったな。エリオットはのんきにそんなことを思ったが、実際のんきではいられない。ほとんど着の身着のまま飛び出してきたので、今のエリオットはとても旅人には見えなかった。

「これじゃあ、ちょっと隣の村までおつかいに行く子供じゃないか」

 村に戻ることも一瞬考えたが、一瞬だった。

「……どうしよう」

 エリオットは再び呟く。もう先ほどの透明人間効果はまだ続いているようで、夜遅くに軽装の子供が一人で切り株に座っていても誰も声をかけてこず、旅人は急ぎ足で通り過ぎていくばかり。家出する子供は人さらいに遭う、と教えられていたのである程度は気にしていたのだが。この状態が永遠に続くとは限らないし(一生このままだと困るけど)、ここにも長いこといられないな。村からさほど離れていないので、透明人間とはいえ噂をききつけて村人が探しにくるのは時間の問題だと思った。

 行くあても頼れる人もいない。その事実は15歳になったばかりの少年にはいささか酷であった。しかしエリオットは泣かない。もう泣かないと決めた。それでも溢れてきそうな涙をこらえ、空を見上げる。

 美しい星空を見ながら、エリオットは以前見た地図というものを思い出していた。小規模な内紛や中規模程度の国家間紛争が絶えず、変動が激しいこの大陸では地図はとても珍しい。もう何百年も前に地図は作られなくなった。今はトレジャーハンターや冒険者たちが必要な部分だけを地図にしてそれを商売としている者もいるが、そうやって作られた地図は大抵子供が買える金額では売られていない。エリオットが見たという地図も、村に立ち寄ったトレジャーハンターに見せてもらったものだった。ピールヘイル村は描かれておらず、村を訪れたハンターは自分で村の名前を地図に書き込んでいた。その大陸の南側をおおまかに描かれた地図だったが、その地図を見て初めて自分がリーゼルという国にいることを知ることになる。

「地図がほしいなあ」

 いつまでもここにいても何も始まらない。とりあえず当面の目標はできた。地図を手に入れて、もう少し大きい国を目指す。自分でも驚くほど単純で、前途多難な目標に少し笑った。

「いってきます。さようなら」

エリオットは立ち上がり、生まれ育ったピールヘイル村の方を向いて言った。すでに。泣き虫の少年の顔ではなかった。

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