1.神の子
「ただいま、父さん」
オエア暦3999年12月20日。エリオットは今日15歳になったが、本人は忘れているようだ。エリオットは背負っていたかごを降ろすと、中から泥のついた葉をいくつか取り出して言った。
「父さん見て。今日はいいのが取れたよ。これで少しはよくなるかな……」
ホールスの返事はない。エリオットは気に留めることなく、葉っぱを持って質素なキッチンに立った。
できた夕食を並べていると戸をたたく音がしたので、エリオットは頭に巻いていたバンダナを取りながら戸口へ向かう。ボサボサのほとんど赤に近い茶色の髪の毛がエリオットの歩調にあわせて踊っていた。
「はーい、今行きますよー」
「おや。これから夕食かい? ちょうどよかった。これ、うちの旦那が久々にいい獲物を取ってきてね。今日あんたの誕生日だろ? それに世は感謝祭だ。よかったら食べておくれ。あんたの父さんにも食わせてやりな」
戸を開けると、外には大きな包みを抱えた農婦が立っていた。
「バンジーおばさん、いつもありがとう。たいしたお礼もできなくてごめんなさい。ガットおじさんによろしく」
エリオットが頭を下げながら包みを受け取ると、心地よい重みが腕に加わった。包みからは上等な鹿の肉が顔をのぞかせている。
「いいんだよ、うちには病人はいないからね。体力つけるのには鹿の肉が一番いいんだ。はやく食わせてやりな」
エリオットは何度もお礼を言いバンジーを見送った。バンジーはホールスの腹違いの姉。バンジーのところにはエリオットより一つ年上の子供と、その妹がいる。きっと、そのいとこ達にさんざん文句を言われたに違いない。エリオットは申し訳なく思いながらバンダナを頭に巻き直し、キッチンに戻った。
包みを開き、肉の端を少しだけ切ると、まだ温かいスープの残り汁に放り入れる。残りの肉には下処理を施し、翌日のために床下の保存庫を開けて収納した。そうしていると、スープの煮立つ音と食欲をそそる香りが広がってくる。
「父さん、夕食ができたよ。バンジーおばさんに鹿の肉をもらったんだ」
ホールスは、向こうを向いてベッドに横になったまま動かない。エリオットがまだ湯気の立つスープカップを手にホールスの顔を覗き込もうとした時、ホールスは突然こちらを振り返った。
「うわっ」
エリオットは驚いてスープを投げ出し、しりもちをついてしまった。後ろの方でカップが割れる音がする。
「もう……びっくりした。そんなに急に動いたら駄目だよ……あーあ、せっかくの……」
「エリオット」
エリオットがぶつぶつ言いながら割れたカップとスープの残骸を片づけていると、ホールスが口を開く。エリオットは返事をするものの、手は止めなかった。
「エリオット」
ホールスはもう一度息子の名前を呼ぶ。怒るでもなく、叱るでもなく、その言葉には力があった。病に蝕まれ日に日に弱っていく父親が呼ぶ自分の名前に引き付けられ、エリオットは手を止めて振り返る。そして、父の横たわるベッドに近づいた。ホールスは力強く語り始める。
「エリオット、わたしはもう長くはない。死ぬ前にお前にどうしても話しておきたいことがある。聞いてくれ」
死、という言葉を聞いてエリオットは驚いた。
「だめだ、父さん! 話ならこれからいくらでもできるじゃないか! それに、父さんはきっとよくなるんだ。きっと……」
エリオットの声は段々小さくなり、しまいには泣き声になる。
「泣くんじゃない。いいか、これは父さん最期の言葉だ。よく聞きなさい」
「父さんがいなくなったら……ぼくはどうやって生きていけばいいんだ……いやだ……いやだよ……」
エリオットはベッドに身を押し付けて泣いた。その頭を、ホールスはそっとなでてやる。
「エリオット、これから話すことはとても大事なことだ。聞きなさい。さあ、顔をあげて」
しかし、エリオットは泣き続けた。ホールスはエリオットをなだめながら、静かに、だが力強く語りだす。
「お前の母さん、ニラとわたしには長い間子供ができなかった。村人も心配したよ。そんなときだ。わたしとニラは夢の中で創始者アリネウスに逢ったんだ。それ自体もありがたい話だが、朝起きてニラにその話をすると、ニラもまた、夢で創始者に逢ったと言う。これはきっと神のお告げだと思ってね」
「アリネウスは……何て?」
エリオットは涙をぬぐい顔をあげ、ホールスの話に聞き入っていた。
「神の泉に来ればほしいものを授ける、と。神の泉がどこにあるかは知らなかったが、わたし達はわらにもすがる思いで神の泉を探したよ。裏山、村の池、隣の村……はは、今思えば馬鹿なことをしたものだ」
ホールスは、ここで懐かしむように間をおいた。
「どこにあったの?」
エリオットはその間に尋ねる。
「ここ、さ」
ホールスは自分の頭をつついて言った。
「あれは単なる夢だったのだとあきらめかけたその時、ニラはわたしの知らない言葉を呟いた。その時は何かのまじないかと思ってさほど気にもとめなかったが。ニラはまじないが好きだったからね。わたしが鎌で怪我をしたときも、まじないをかけてくれた。すると不思議なことに痛みがなくなったものだ。その時のも、悲しみを紛らすためや、泉が見つかるようにとのまじないだったと思った。その夜はいつもよりすぐ眠りについてな。……夢を見た。わたしとニラ、同じ夢を。そう、神の泉を見たんだ。またニラのまじないが効いたんだ、そう思った。それからわたし達は泉に向かって言った。子供がほしい、と。だがなにも起こらなかった」
ホールスの声は次第に重く、低くなっていった。
「希望を捨てかけたその時、ニラがまたまじないを始めたんだ。そのときの言葉を今でも覚えているよ」
「母さんは、何て言ったの?」
「〔セトラ・オエ・イルス・チャー〕と。どんな意味かはわからない。どこの国の言葉かもわからない。だが、その言葉には非常に力があるように思えた。するとやはり、創始者アリネウスが現れて、創始者が言葉を呟くと、わたしは気が遠くなってね。気が付くと朝、目覚めていた。それからしばらくしてお前が生まれたんだ」
エリオットは、自分は神に授けられたのだと悟った。ホールスはエリオットの反応を窺っているようだったので、エリオットは先を促す。
「お前は、神に授けられた子だ。お前の名エリオットは、古代の言葉で“神の子”と言う意味だそうだ。だが神に授かるということは、多かれ少なかれ代償があるということだ。ニラが死んでから気がついたよ」
「じゃあ、母さんは……?」
エリオットの言葉を遮るようにホールスはベッドから起き上がり、エリオットをひたと見据えながら言った。
「いいか、エリオット。お前の母さんは、その命と引き換えにお前を産み落とした。例え赤ん坊でも、人の命をつくるということは、それなりの代償を払わなくてはならない。ニラの命だけでは足りず、わたしもこの体に病をうけた。お前が一人でも生きていける年になるまでは見守っていけるようにと願い続けたが、お前は立派に育ってくれたな。もうわたしがおらずとも生きてゆける。くれぐれも忘れるな。夢で創始者に出会っても、何かを求めてはいけない。創始者は願いをかなえてくれるだろうが、お前は別の何かを失うだろう。それだけは覚えておきなさい」
ホールスは、そこまでいうとベッドにくずれるように倒れこんだ。苦しげに息をしている。
「父さん! 父さん! ぼくを一人にしないで!」
「くれぐれも……忘れるな……くれぐれも……」
ホールスの声は次第に小さく、弱くなっていく。エリオットは、先程まで自分の頭の上にあった、節くれだった大きな手をにぎりしめる。
「……誕生日、おめでとう……お前を……お前が生まれてきて……本当に…………よかっ……た」
「父さぁぁぁぁぁん!!!」