第二夜
市民病院? なんだって市民病院なんかから電話が? そんな……、まさか……。角朗は混乱していた。そばに立っていた美千子が家の代表として、ドキドキと緊張した様子で受話器に手を伸ばす。角朗は、それが佐和が呪われたことで起きた何らかの出来事によるものなのではないかと、不安でいっぱいの様子だ。美千子は、受話器を手に取った。
「もしもし? はい、加藤ですが」
一体どんな用件なのだろうか、不安な角朗は、美千子の電話に聞き耳をたてる。
「こちらは市民病院です。柳沢佐和という女性をご存じですか?」
「は、はい、存じ上げておりますが。一体どうしたのですか? 」
「それが、交通事故に遭われましてね、危険な状態なのです。柳沢様の持っていた手帳を確認させていただきましたところ、こちらの連絡先が載っていたため、連絡させていただきました次第です」
「なんですって……」
美千子は哀しげな表情で、そう答えた。余程ショックであったのだろうか、少しの間黙ってしまった。
「あの、大丈夫ですか?」
不安に思った看護師は美千子に声をかけた。
「あっ……、すみません、問題ないです。あ、あの佐和さんの様子を見に行くことは可能ですか?」
「ええ、もちろん大丈夫ですよ。その為に電話したのですから。お待ちしております」
電話が切れた。やはり佐和も呪われてしまったのか……と角朗は落胆した。角朗も美千子と同様に佐和の容態が不安であったのだが、病院への足は自転車しかない。病院は角朗宅から見て、美千子の家の真逆方向にあるため、ここから自転車で行くにしても大変時間がかかる。そこで、美千子の車に乗せてもらえないかと提案することにした。美千子は実はクルマ好きであるため、車を二台保有しているのだ。車を二台保有していることを知っているのはごくわずかな友人のみらしいのだが。クルマに興味のない角朗から見れば、車を買う金があるなら玄関にインターフォンをつけた方がいいのではないか、などと感じてしまう。
とにかく、角朗は美千子に話しかけた。
「あの、僕も佐和の様子を見に行きたいんだけれど、車を貸してもらえないかな? 」
「えっ……、あっそうか、今自転車しか持っていないんだものね。じゃあ、一緒に行きましょ」
そう言うと、美千子は素早く車の鍵を取り出し、角朗に
「ついてきて」
とだけ言った。角朗がついていくと、外で一台の車が雨に打たれていた。美千子は角朗を補助席に乗せると、ギアをいれて駆け出した。
大粒の雨が車の窓に当たって弾けて行く。美千子の顔は青い。余程佐和のことが不安であるのだろうか……。
ともかく、美千子愛用の自動車は、スイスイと夜の闇を裂いていった。ショッピングモールの横を通過する。鈍い闇に包まれた看板は、不気味に光る。だが、二人は佐和のいる病院のことしか考えていない。周りなんて気にせずに、ひたすら車をとばすのだ。
そして……ようやく二人は病院に到着した。
美千子は、車から降りてしっかりと鍵をかけると、さっと病院の受付に向かった。角朗もそれについていく。
「あの、連絡を受けた加藤と申しますが」
「ああ、お待ちしておりました。ええと、連れの方は?」
看護師らしい受付の女性が尋ねた。隠すようなことではないので、角朗が返答した。
「本野角朗です。柳沢さんには仕事でお世話になっています」
「ああ、貴方が本野さんですか、貴方の連絡先も柳沢様の手帳に載っていまして自宅には連絡させていただいたのですが……そういうことだったんですか」
看護師がどういうことだったと思ったのかは知らないが、佐和との仲は証明されたわけだ。角朗は早く佐和の様子が見たいと考えていた。
「じゃあ早速佐和の様子を見に行ってもいいですか?」
「ええ、もう緊急オペは終わっているので、あとは回復を待つだけですから。部屋は501号室になります」
「ありがとうございます」
こうして角朗たちは501号室に向かった。ここの市民病院は、8階建であった。角朗は佐和の病室に向かうエレベーターの中で、佐和の病室(501号室)を忘れないように何か語呂をつけようとし、自分でつけたその語呂に震えてしまった。501……コワイ? そんなことを考えていたうちに、角朗らを載せたエレベーターは5階に着いていた。
"ポーン!五階でございます"
エレベーターにアナウンスが響き、自動的にドアが開く。501号室は何処だろうかと探すまでもなく、それはエレベーターの目の前にあった。
「コンコン!角朗です、失礼します」
角朗は佐和の容態への不安や焦りが隠しきれない様子で佐和の病室へ駆け込んだ。
ドアを開けると角朗のすぐ目の前、今にもぶつかりそうな距離に気の強そうな男が驚いた表情をして立っていた。角朗は焦って挨拶をしながら、男の顔を確認する。……誰だろうか。角朗が考えているうちに男は立ち去ってしまった。
「やあ、良くきたね」
ベッドの方から声がする。佐和だ。角朗は佐和が思いのほか元気そうだったため、少しほっとした。――しかしだ。角朗が佐和に呪いをうつしたりしなければそもそもこんなことにはならなかったはずだ。角朗は佐和に謝らなくてはいけない、と思った。
「佐和さん、あの、僕のせいで、僕があなたに呪いをうつしたせいでこんなことになってしまって……」
「なぁに言ってるの? 呪いなんて無いんだって。今回のはただの私の不注意よ」
「し、しかし……」
角朗は謝ろうと思ったのだが佐和に止められてしまった。角朗はなんだかスッキリしない気持ちであったが、こんなことが起ころうとも呪いなんて恐れない佐和を凄いと思っていた。
「それで、怪我の具合はどうなの、かしら?」
角朗の背後から美千子の声が聞こえてくる。佐和はすかさず答えた。
「平ちゃらよ。このくらいなら、すぐに、治るわ。その気になれば、今すぐにだって走れそうだもの」
「いや、無理をしない方がいいよ。そのほうが治りも早いし」
「わかってるって」
佐和は明るく明るい表情で答える。角朗は本当の意味で安心安堵した。よかった、と。そして、佐和を見ていると、本当に呪いなんて無いのではないかと思えてくるのだ。
こうして、佐和の様子に励まされた角朗と、美千子は、
「もう、夜遅いから、そろそろ帰った方がいいよ」
という佐和の一言をきっかけに、病室をあとにした。
角朗と美千子は、すぐにエレベーターに乗り、1階のボタンを押した。佐和の様子に安堵していた角朗は、気が軽くなった様子で美千子に話しかける。
「佐和さん、元気そうで良かったね」
「えっ、あれ気づいていなかったの? 彼女、呪いなんて気にしていないというように装っていたけど、あれは何かを我慢しているような表情だったわ」
「え、そうなのか? 僕は気付くことが出来なかった……僕のせいで呪われてしまっているというのに」
エレベーター内には何だか重い雰囲気が立ち込める。エレベーターは静かに1階に到着し、電子音声と共にドアは開いた。
二人は静かにエレベーターから出て、静かに車へ向かった。角朗の自転車は美千子の家に置きっぱなしであったが、この日はもう夜遅いので、自転車を持ち帰るのは明日にして、角朗は美千子の車でこのまま自宅まで送ってもらうことになった。
先程よりもさらに酷くなった雨の中、美千子の車はゆっくりと夜の街を抜けて、無事に角朗の家へ到着した。角朗は美千子に別れを告げると、独りで自宅のドアを開ける。中はシーンと静まり返り、真っ黒な闇に埋もれていた。角朗は電気を点け、ひんやりと冷えた床に横になる。そして、今日のことを振り返り、自分を責めた。
……自分のせいで、自分のせいで、美千子にも、佐和にも呪いを移してしまった。自分は、ここにいて良いのだろうか? もしも、自分が今日佐和に出会っていなければ佐和は……。
そんな考えが、角朗の頭の中をぐるぐると回る。角朗は目を瞑りながらぼんやりと考え続ける。目を瞑ってはいるのだが、なかなか寝付けない。
そうこうしているうちに、角朗はその命題に結論をつけられぬまま、一晩を明かしてしまったのだった。