1.0.0 あのーおとどけものでーぇす、・・・
『もうどうにでもな~ぁれ!』
ラジオからふと、そんな言葉が聞こえた。社会への諦めから、自分の立場の遣り所に飢え我が非力さを感じたとき、人は何も出来ないから望みなどこれ一つとして抱くことができない。だったらもう何だっていい。自分の周りがどうなろうと知らない、自分には関係ないと思えてくるのだろうか。その気持ちを、まだ社会の薄汚い面を知らない子供のころ、よく夢物語に出てきた魔法使いが呪文のように唱えた語尾に倣って表した言葉・・・なのだろうか。
夏明けの秋の6時。というのは、午前も午後も同じような空の色に思われる。白がかった青にいささかなる灰色を感じる。今は日の入り寸前の方、午後6時だ。
からっとした空気になりつつある中、夜中から今朝にかけて雨が降っていて、気温がいつもより低く肌寒さを部屋の中だが少なからず感じる。ある市街の団地の3階に暮らしていたのは、薄っぺらい掛け布団1枚の広げられたベッドに浅く腰掛け、そんな魔法の言葉を共感の意から思わず鼻で笑ってしまう少年だった。実に狭い一室の中、電気として明かりは一切付けず、まだ残る外からの余光に頼っていた。だが灰色の斜光カーテンを窓に雑に垂らし掛けており、冥暗なのは当然、その上灰色で揃えた家具がより醸し出す静けさを纏う一室。
どうにでもなれ。この言葉がすがすがしく思えた少年は思う。どうにでも、なのだが、運に任せることすらも考えられないない自分の未来。物理的にも精神的にも、今の自分に持ち合わせたものはもう何もない。虚無感に襲われた日々。生きる、という言葉を少しでも脳裏に過らすのが辛く痛かった。しかしそんなことすらも思わなくなった今。
少年の父親は、昨日死んだのだった。父親は少年に対して大変暴力的で、精神が狂っていた。少年は父親の隠し子であり、最初は本当の母親のみに育てられていたが、その母親が病気になり入院せざるを得なくなったとき、母親は少年の子育てを、敢えて四年前に別れた父親に委ねたのだ。我が子を養護施設には入れたくなかったのである。そのころまだ父親は、暴力的ではなかったものの少年に対して笑顔の一つすら示さなかったので、幼かった少年はこれまでと一転した境遇に何とも言えない怖さの中に生きていた。
しかし少年が七歳になったころ、父親は恋人ができ、その女と結婚することにしたのだった。当然のように、少年のことはその女に言いたくはなかった。継母として育てさせるなど自分にとっても許せなかった。そして結婚後、父親は今まで少年と二人で一緒に住んでいたアパートから、今少年が住んでいる、家賃が他と比べて格安の団地に一人、まだ幼い少年を置いて匿った。しかし。父親は結婚のことを少年に言わなかった。何よりひどいことには、少年が父親のもとで暮らすことになった時、すでに海に遊びに行った際溺れて死んだことにされていたのだった。それも少年には当然秘密にである。海でいなくなったと警察に作った顔面崩壊たる形相で偽りの捜索願を出し、この国では3年がそのような件に関しては時効とされていたので7歳になったころに警察に認められ死亡届が出され、保険などから降りた手当金3000kゼルほどを得ることができ、それだけが自分の長きにわたる食糧費と団地の家賃代、光熱費に当てられていた。父親が少年のところに来ることは週一度ほどだった。一週間分の貧しい食糧を買って持ってやってきた。家の鍵を外から入ってくる父親のみが持っていて、内からは外に出られるのはその鍵を持った父親のみのような装置をドアに取り付けられ、家を一切出てはならなかった少年は、狭い部屋の中、息を殺して一人、暮らしていた。
9歳になったある日、毎週のように父親がご飯を買ってきたと少年のいる団地にやってきた。しかし幼いながらおのずと少年はわかっていた。いつまでもこんなことが続くわけがないと。どうかしている、おかしいと。そんな時、父親が部屋の片隅に置き忘れた小さなカバンの中に日記帳が入ってあり、少年は読んでしまった。そのすべてを。自分には戸籍がないこと、実の母親はもう病院で死んでしまったこと、この団地に来たころから、父親は再婚したために別の一軒家で暮らしていること、そして社会から自分が死んでしまっていることにされていて、手当金3000kゼルで自分の食料を賄わされていること。
それはもちろん、青ざめて驚愕のあまり心臓から脳みそ、胃や肺から体中の何から何までが委縮しぐちゃぐちゃになった気がしたのだった。まだ子供の少年には、それはもう今まで母親と病気で別離し父親と住んだりここに一人にならされたこと以上のショックであったといえる。何より秘密にされていたことだ。これらすべて。これらのおかげで、自分はここから一つも出ては行けない隠し子として匿われていることを知ったのだった。
次に父親が来る時までにこの日記を元あった場所に丁寧に戻しておかなければならないと思って日記や鞄を部屋の隅に戻したが、いざ会ったところ、あれからのショックの顔を隠せずちらちらそれに目がいってしまうたびに怖気づいた表情になったのに気づかれ、父親は悟った。「お前、見たのか?」
その時が、少年の人生の終わりだった。すでに社会からは終わっているとされていたが、自分は自分という認識があったのだ。
もう後に引き返せない。父親は日々のストレス解消か、自分のしたことの洗いざらいを知った罪滅ぼしのためなのか、絶対に外に出るなと戒めるようにするためなのか散々なる暴力を受け、3000kゼルから少しずつ使っていた食糧費、家賃代と光熱費がの残りわずかであることから、それ以降父親からスーパーの売れ残りの残飯物からとってきたものが少年の食事として、週一度叩き付けられるように投げ渡され、お風呂は無論毎日入れず電気も頻繁に点けられず今までよりも下劣極まりない暮らしの中、身も世もない気で過ごし、17になった今にまで至る。
そして昨日、父親が死んだ。それもラジオから流れるニュースで聞いた。巻き沿い交通事故で、他複数名同時に死んだらしい。部屋にテレビも何もなく、外からの情報源として与えられていたのは唯一コンセントにつないで稼働するラジオだけ。一人で寂しい少年は、そのラジオを四六時中付けていた。8歳の時に買ってもらって以来ずっとそうだった。だがラジオだけでなく、勤勉さを持っていた少年は、誰もいない夜中にこっそり、外に玄関からは出られないがベランダからなら出られたので、団地の一階のごみ処理所に捨てられている新聞や雑誌を拾って読むことはしていた。戸籍がないので学校というところには当然いっておらず、勉強という知識は普通の17歳より遥かに乏しいが、小さい頃実の母親に教えてもらっていた平仮名のお蔭と、時々捨ててあった小学生がやり終えて捨てられていたドリル、主に漢字・計算のそれが新聞雑誌等を読むのに随分と役に立っていた。
結構な大事故なので、いずれは新聞に乗った記事を少年は見ることだろう。ラジオで聞いただけでそれが自分の父親なのだと分かったのは、つい隣の市で起きた事件でありかつ父親の名字が留流場という全国でまだ2、3世帯しかいない名で自分も名字を頭の中だけで名乗っていたからだ。母親の名字は確か、せ、せい・・・何だったか。比較的珍しく長ったらしい名字だったと思う。四歳までの記憶が思い出せないのはなぜなのか。常に下の名前で呼ばれていた自分が上の名を覚えようなどと思わなかったのが原因だろうが。
なので、もう毎月父親の銀行口座から引き落とされていた家賃も団地の大家に支払われなくなるだろう。口座はおそらく父親の現妻のものになるだろうし、ここの家賃をそこから払っていることがわかり自分の存在がばれることもなくもない。
そもそも、なぜ社会的に戸籍のない我が子を野放しにしなかったのかが気になった。わずかながらの知識から少年が考えたその理由は、小さかった自分なら夜道を彷徨っているときっと警察に補導され、大きくなった今ならこのことを警察だけに限らずどこかに訴えることができると考え自分の身の危険からだったんだろうと思った。電話も無く、一切の現金すら持ち合わせていなかった少年は、外に出て誰とも会うことも話すことも出来ずずっと家にいた。
父親が死んで、自由になったのだろうし、心底嬉しいものなのだろうが、そのような気は一つもしなかった。そして思う。どうして父親は死んで、自分は死んでいないのだろう。社会的に死んだとされていても、こうして生物的に呼吸をし、肉体が存在し。豊かさのかけらもない精神を持って生きている人間が自分だ。そう、別に戸籍がないもう死んでいる自分なら、父親は殺してもよかったはずだ。何を思って、自分を殺さなかったのか。自分の骨のように細い体の死体なんて小さく小さく切り刻んで分からないように生ゴミと一緒に少しずつ捨てていくなり何なりしてしまえばよかったのではないか。なのにどうして、暴力をふるっただけでそれ以上のことをしなかったのだろうか。わからない。わからなかった。どうして自分はこんな下劣な中でさえ住む場所が、屋根が壁があり食料を与えられかろうじてでも生きてきたのだろう。父親は言っていた。この団地に住まわすのは成人するまでで、そのころには自分の死亡届の手当金も底を尽きるので必ず出て行け、ただし自分が今まで少年にしたことを誰かに訴えないことを約束し、そのために少年の居場所がわかるよう携帯電話なるものを買い与えるとのことだったが、戸籍もなく家もなくなり読み書きも並以下でろくにできないこんな自分でも稼げる仕事場があるのかと疑問で不安だった。まずそんなことは考えられなかった。そう、自分に何の未来はない。
そんなこんなで、こんな自分の生きている理由、父親が自分を殺さなかった理由がわからない、どうして自分を置いて、事故死などしたのかわからない。自分は結局自由になんてなれていないのだ。哀れな末路の父親が自分を生きさせてくれたことに感謝などできない自分がいる意味が分からないのである。生きていることが素晴らしいと思え、感謝もできないので生きている意味が分からないのである。今、外に出ても何ができるのか。父親が死んだお陰で暴力から解放されたがそれとと同時に家を失い1ゼルも持っていない、才能も力も何もない自分に、残された選択肢が一つある。
それは自死。そう、自殺だけだ。
よく新聞では、自殺の記事があり沢山の自殺理由、そして自殺法が載っていた。まあ、手っ取り早く死ねるのは何だろうと思ったが、昔見た少し衝撃的な雑誌の小説には絞首が一つあるとあった。手っ取り早くというのも身近さにあると思う。何せそこそこの太さの紐と天井からつるせる何か引っかけられるようなものと蹴って倒れる脚の低くて軽い椅子なんかがあれば丁度いいとのことだ。上を見上げると天井にしっかりと穴を開けてついている電灯があり、ズボンのウエスト調節のための紐があり、ぼろいが体重に耐えられる木の椅子もある。
準備をする間、怖さも何の感情も湧かなかった。おそらくこんなに平然と自死の準備の出来る者は自分くらいだろうと思った。
準備は出来た。いざ、椅子の上に乗りひもを首にかけようとする。椅子を蹴った瞬間が、自分の人生の終わり、だ。
何も、何も思わない。
と、その時。
ピンポーンとドアのベルが鳴った。
ピンポンピンポオオンピンポオオオオオンオオオンッ!と何度も鳴らされたのでとてもじゃないが気が散った。自殺の邪魔すんじゃねぇと思いながら、そっと首に紐を掛ける。
しかし、ドアの向こうから声が聞こえた。
「すみませーーぇん、留流場さんのおたくでしょーかー」
ちっ、何だようっせえ、と。一応表札に書いてあんだろ名字、と。若そうな女の声だった。新入りのバイトか何かか、と。少年の気は散るばかりだ。
「あのーおとどけものでーぇす、誰かいらっしゃいませんかーぁ?」
まあ気にせず自殺続行しようか。と考えていると、
何故かもう一生開くはずのない玄関のドアが開く音がした。
「すいま、あれ、ドア鍵開いてる、って開けっちゃったごめんなさい―――――ってぇ、
えっえええええっえっええ、ええええぇぇぇぇええぁあっ、あ、あっ、あぁぁああああああいいいいいやあああああああ!!」
見られた。暗い中、この最低最悪の状況を。後ろにドアを開けて、何か宅配物を片手に抱えているであろう女の顔を思うと後ろを振り向けなかった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。初投稿です。自分の中では一応処女作ではありませんが日々温めていたネタにより創り上げたものです。
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