平穏の先
卒業後、私は親戚に勧められて、病院で看護助手として働き始めた。
理由は単純だった。
「安定している」
「人の役に立つ」
その言葉に、逆らう力がなかった。
杏樹は、同じ病院の調理部門で働いていた。
白衣とエプロン。
職場では別々なのに、同じ場所にいるというだけで、心が少し軽くなった。
仕事終わり、私たちはほぼ毎日一緒にいた。
夜のドライブ。
意味もなく遠回りして、コンビニで何か買って、車の中で食べる。
誰かの家に行くわけでもなく、目的地もない。
それが、楽しかった。
私は、初めて一人暮らしを始めた。
家族と距離ができたことで、生活は驚くほど安定した。
誰かの機嫌を読む必要もない。
怒鳴り声も、急に名前を呼ばれることもない。
一人暮らしの家に、杏樹が泊まりに来ることも多かった。
杏樹だけじゃなく、杏樹の男友達も一緒に遊ぶようになった。
私の交友関係は、少しずつ広がっていった。
それでも、変わらず杏樹は私の隣にいた。
成人式も、一緒にお祝いした。
お酒が飲めるようになってからは、
宅飲みをしながら夜中まで喋るのがお決まりだった。
ある時、病院から準看護学校を勧められた。
試験を受け、合格した。
嬉しかったはずなのに、生活は一変した。
勉強と実習で毎日はハードになり、
一人暮らしを続ける余裕がなくなって、祖父母の家に戻った。
杏樹と夜に出かけることも、次第に減っていった。
⸻
九月二十六日。
杏樹からLINEが届いた。
「明日夜、友だちとカラオケ行くんだけど、一緒に行かない?」
私は少し迷ってから返した。
「ごめん、無理そう」
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九月二十七日。
私は携帯を落として、画面を割った。
修理に出すと、「傷だけなら明日には直ります」と言われ、代替機を渡された。
その日は雨だった。
夜には、土砂降りに変わっていた。
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九月二十八日。
修理の終わった携帯を受け取り、そのまま看護学校へ向かった。
授業は、いつも通り進んでいた。
LINEの通知音が鳴った。
休憩時間。
「ねえ、これって杏樹のことじゃない?」
友達が貼ったURLを開いた瞬間、膝から力が抜けた。
⸻
**九月二十八日未明、長崎県の国道で、
軽乗用車が中央線をはみだして住宅のブロック塀に衝突する事故があり、
運転していた女性が死亡しました。
亡くなったのは、長崎県長崎市の松田杏樹さん(21)です。
警察によりますと、
九月二十八日午前二時五十分すぎ、
国道200号線で松田さんが運転する軽乗用車が中央線をはみだし、
道路右側の住宅のブロック塀に衝突しました。
松田さんは当初意識がありましたが、
大量出血のため、およそ四時間後の午前六時五十分すぎに、
搬送先の病院で死亡が確認されました。
現場は片側一車線の直線道路で、
警察が事故の原因を調べています。**
⸻
文字の意味を、理解したくなかった。
涙が、嗚咽が、呼吸が、狂っていく。
誰かが声をかけていた気がする。
でも、何も聞こえなかった。
学校を早退して、外に出た。
私は、杏樹のおばあちゃんに電話をかけた。
嘘だと、否定してほしかった。
返ってきたのは、通夜と葬儀の場所だった。
「杏樹は、ここにいるよ」
バイクで向かった。
運転しながら、何度も思った。
嘘だ。
そんなわけない。
着いたとき、
バイクを乗り捨てるようにして建物に入った。
おばあちゃんがいて、
「一番に会いに来てくれたよ」と言った。
杏樹は、寝ているみたいだった。
あの日、誘いを断らなければ。
雨だから気をつけてって送っていたら。
学校にさえ行かなければ。
祖父母が、私を抱きしめて一緒に泣いてくれた。
父も母も、心配してくれた。
私は、葬儀で泣かなかった。
夢だと思っていた。
現実じゃない。
杏樹は、死んでなんかない。
でも、現実はそこにあった。
杏樹とのLINEを開く。
最後のメッセージは、事故の二時間前。
「めちゃくちゃ楽しいよー
今から来る?笑
明日話聞いてね!」
私は送った。
「はやく話をしにきてよ」
既読になることは、なかった。
⸻
杏樹は、本当は生きていた。
植物状態。
脳死。
今の医療では、治す術がなかった。
家族は、別れを選んだ。
それを知ったとき、私は耐えられなかった。
もう、医療には戻れないと思った。
火葬場へは、友だちの車で行った。
杏樹が骨になる姿を、私は見られなかった。
やめて、と叫びたかった。
その足で、学校へ行った。
その日はテストだった。
休めなかった。
解答用紙に、涙が落ちていく。
杏樹。
それしか、考えられなかった。




