壊れたのは誰
小学校五年生の終わり、
私たちは町を離れ、田舎の一軒家に引っ越した。
卒業までは、あと少しだった。
それでも、その「少し」を待つことはなかった。
祖父母や親戚の家には、
もう一人では行けない距離だった。
それだけで、何か大切なものが切り離された気がした。
周りには田んぼと畑しかなく、
夜になると外は真っ暗になった。
街灯も少なく、
音がないことが、逆に怖かった。
「静かでいいところでしょう」
義母はそう言った。
それは相談ではなく、決定事項だった。
私の気持ちは、最初から含まれていなかった。
家は広かった。
けれど、その広さは、
私の居場所があるという意味ではなかった。
部屋は与えられた。
でもそこは、「私の場所」ではなく、
ただ余っていた空間を埋めただけのように感じた。
義妹は相変わらず小さく、
義母の手を独占していた。
泣けば、すぐ抱き上げられる。
不安になれば、すぐ声をかけられる。
「大丈夫よ」
その声は、
私に向けられることはなかった。
私は、その様子を見ないようにしていた。
見てしまうと、
胸の奥がざらざらして、
自分がひどく汚いものに思えたから。
学校でも、
ますます「普通」がわからなくなった。
友達の家の話。
家族で過ごす休日。
母親に愚痴を言う声。
私は、うまく混ざれなかった。
田舎の学校は、人との距離が近かった。
だから、少しの違いも、すぐに目立った。
「お母さんは?」
そう聞かれるたび、
私は笑ってごまかした。
家に帰ると、
義母はいつも忙しそうだった。
夕飯の支度。
義妹の世話。
父との会話。
私は、その邪魔をしないように、
気配を消して過ごした。
「いい子」でいれば、
ここにいていい。
そう思うことでしか、
自分を保てなかった。
けれど、義母は少しずつ変わっていった。
洗濯物を畳み忘れたとき。
宿題をし忘れたとき。
義妹と喧嘩してしまったとき。
お箸の持ち方。
そんな些細なことで、
義母は別人のようになった。
感情のままに怒り、
手が出た。
叩かれた。
殴られた。
蹴られた。
最初は、ただ怖かった。
身体がすくみ、
息がうまくできなかった。
義母は手で叩くのは痛いからなのか
箒なんかで叩くようになった
あざになる事もあったが
ほとんどは服に隠れて見えなかった
もしかしたら怒りの中でも義母なりに手加減をしていたのかも知れない
でも、いつの頃からか、
痛みは遠い存在になった。
感じているはずなのに、
どこか別の場所から
自分を見ているような感覚。
そうなってからは、
耐えられた。
それでも、
どうしても、
耐えられなかったものがある。
――言葉だった。
「お前がいるせいで、父親と離婚する」
そう言われるたびに、
私は怯えた。
自分が、父の幸せを壊してしまう存在なのだと。
「お前にみんなが優しかったのは、同情してたから」
その言葉は、
私には味方が一人もいないのだと
突きつけられているようだった。
「お前のせいで、叔母の赤ちゃんは死んだ。
私のお腹の赤ちゃんも、お前のせいで死にそう」
怖かった。
私の存在が、
大切な人の、大切な命を奪ってしまった。
そして、これからも
奪ってしまうかもしれない。
だから、
消えなければいけない。
死ななければいけない。
そう思った。
浴びせられた言葉で、
私は、世界ごと汚れてしまった気がした。
愛されていると、信じていた。
守ってくれると、思っていた親戚すら、
怖くなった。
両親に敬語を使うのは、
もう当たり前だった。
けれど、いつの間にか、
親戚の大人たちに対しても、
普通の言葉が使えなくなっていた。
気づけば、
私は誰に対しても敬語で話していた。
でも、
誰も、そこから救い出してはくれなかった。
「お手伝いするようになって偉いね」
「敬語で喋れてすごいね」
そうやって褒められて、
私は笑った。
――そのとき、
家族だと思っていた人たちは、
もう、他人になっていた。
何度も死のうとした。
でも、うまくいかなかった。
死ねなかった。
神様にお願いした。
どうか、私を殺してください。
私が死ねば、
みんなが幸せになると思った。
家族はうまくいく。
父も、私がいない方が、
きっと完璧になれる。
それでも、
捨てられたくないとも思っていた。
義母が、
時々、優しいときがあったから。
優しくされると嬉しくて、
でも怖くて、
もっと愛されたいと、思ってしまう。
私が悪い。
私が、全部――。
私にとって、
安らげるのは、
一人で暗闇に紛れているときだけだった。
死だけが、
私の味方だった。




