新しい家族
父が再婚することを聞いたのは、小学五年生の春だった。
その頃の私は、
もう「普通じゃない家庭」に気づいていた。
だから、いつか何かが変わることは、
どこかで覚悟していたのだと思う。
それでも、
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がぎゅっと縮んだ。
祖父母と私と父、4人で食卓を囲んでいたときだった。
祖母が食後のお茶を淹れ、祖父がテレビの音量を下げた、その静かな間。
「話がある」
父は、そう言って私を見た。
その声は、いつもより少し硬かった。
「今度、一緒に暮らす人ができた」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
一緒に暮らす人。
それが誰なのか、考えるより先に、胸の奥がざわついた。
「再婚する」
父はそれだけ言った。
祖父母は、もう知っていたようだった。
祖母は小さく頷き、祖父は何も言わずに湯呑みを置いた。
私だけが、その場に取り残された。
再婚。
その言葉は、どこか遠い世界の話のようで、でも確実に私の居場所を揺らした。
「一緒に、来るか?」
父は私に聞いた。
その問いに、選択肢があるようには思えなかった。
——捨てられる。
小学三年生のあの夜から、
その言葉は、私の中でいつも一番近くにあった。
行かない、と言ったら、
私はまた「置いていかれる」。
母に捨てられたという自覚を持ってから、
その恐怖は、私の中でずっと息をしていた。
「行く」
声は思ったよりも早く出た。
父は少しだけ安堵したように頷いた。
祖母は、何も言わなかった。
ただ、私をじっと見ていた。
その目が、
「それでいいの?」と問いかけているようで、
私は視線を逸らした。
義母になる人に初めて会ったのは、
駅から少し離れた集合住宅の一室だった。
鉄の階段を上り、
同じ形の玄関ドアが並ぶ廊下を歩く。
新しい家族の「はじまり」にしては、
少し無機質な場所だった。
ドアを開けると、
小さな女の子が、義母の後ろに隠れた。
「この子が、すずちゃん」
義母はそう言って、
その子の頭を撫でた。
義妹は、まだ保育園に通っている年齢だった。
五歳も下で、
私よりずっと小さく、
守られる存在だった。
義母になる人は、きれいな人だった。
化粧が上手で、服装も整っていて、
私の知っている「お母さん像」とは少し違っていた。
「急に妹やママができて、戸惑うわよね」
そう言って笑った。
その笑顔は、大人の余裕があって、
どこか距離を感じさせた。
「学校は楽しい?」
「好きなものは何?」
私は、正解を探すように答えた。
嫌われないように。
邪魔にならないように。
義妹は、時々こちらを見て、
またすぐ義母の服を掴んだ。
それが、当たり前の動きであることが、
なぜか胸に引っかかった。
祖父母の家では、
ただそこにいるだけでよかった。
でもここでは、
「間違えない私」でいなければならない気がした。
引っ越しの日、祖父母の家を出る朝。
私は、自分の部屋を何度も振り返った。
床のきしむ音。
祖母の足音。
祖父の咳払い。
それらすべてが、
もう「日常」ではなくなる。
祖母は、何も言わずに私を抱きしめた。
「無理しなくていいからね」
その言葉が、
なぜか胸に重くのしかかった。
新しい家は、
狭い集合住宅の一室だった。
義妹は、よく泣いた。
夜中でも、昼間でも関係なく。
義母は、そのたびにすぐに抱き上げた。
「大丈夫よ」
その声は、
とても優しくて愛しさに溢れていた。
食卓では、
義妹が中心だった。
「まだ小さいから」
「保育園で疲れてるの」
そう言われるたび、
私は自然と後回しになった。
怒られることはなかった。
責められることもなかった。
ただ、
私はそこに「馴染んでいない」存在だった。
義母は、「家族になろう」と言った。
でも、その言葉の意味を、私は掴めなかった。
食卓では、義母と父が話し、
義妹が甘える。
私は、空いた隙間に、静かに座っていた。
祖父母の家では、
そこにいるだけで許されていた。
でもここでは、
ちゃんとしていなければならない気がした。
義母の前では、身体が強張った。
声のトーン。
表情。
立ち振る舞い。
全部、間違えないように気をつけた。
それでも、時々、
義母の視線が私の上で止まる。
その視線に、
理由のわからない不安を感じた。
夜、布団に入ると、
祖母の匂いを思い出した。
あのぬくもりは、
もうここにはない。
私は、布団の中で小さく丸まり、
何度も自分に言い聞かせた。
大丈夫。
ちゃんといい子でいれば。
ここにいていい。
そうやって、
私はまた一つ、
自分の気持ちをしまい込んだ。
このときの私は、まだ知らなかった。
この「いい子」が、
私を守るための仮面になり、
同時に、私を壊していくことを。
そしてこの家族が、
私にとって一番「帰りたい場所」ではなく、
一番「逃げたい場所」になっていくことを。




