恐怖の支配と、共鳴する心
英雄の慟哭の地
三人は、ライナスの過去の記憶が深く刻まれた場所、かつて彼が「英雄」として最初の偉業を成し遂げた古い要塞跡へと向かった。そこは、常に濃い霧に包まれ、「英雄の慟哭の地」と呼ばれていた。
「この霧は、僕が人間的な感情を失った瞬間の『恐怖』が、残留思念として形を成したものだ」
ライナスは淡々と言った。
「僕の呪いは、無限の時間と引き換えに、生きていることの有限な実感を奪った。その中で、最も激しく失われたのが、死への恐怖だ」
ジークは要塞の入り口を見つめた。霧の中から、時折、人が呻くような低い音が響いてくる。
「支配者が、人々に最も効果的に鎖をかける手段の一つが、恐怖だ」
ルイーダが言った。
「貧困の恐怖、死の恐怖、異端とされる恐怖。ここは、最も純粋な支配の源泉よ」
ジークの胸に、路地裏でスリを働いていた頃の見つかることへの恐怖が蘇った。それは彼を卑しくさせた鎖だったが、同時に彼を生かしてきた「警告システム」でもあった。
失われた恐怖の欠片
要塞跡の内部は、視界が悪く、湿った空気が漂っていた。進むにつれて、霧がジークの心の中に入り込むかのように、強烈な不安感が彼を襲った。
その時、霧の中から、一人の老いた兵士の亡霊が現れた。それは、ライナスが英雄となる過程で犠牲となった、無数の兵士の一人だった。亡霊は、ライナスに指を差し、絶叫した。
「なぜだ!我々を見捨てて、お前だけが永遠の生を選んだ!お前の英雄という名の価値は、我々の死の恐怖を対価としたものだ!」
ライナスは、亡霊の叫びに対し、心臓が一拍も速まることなく、何の反応も示さない。亡霊の言葉が、存在しないはずの感情に語りかけているからだ。
「この亡霊の叫びは、ライナスが失った『自己の死への恐怖』の欠片だ。彼が永遠の生を選んだ代償に、彼は他者の死の痛みにも共鳴する心を失った」
ルイーダが静かに説明した。
ライナスは、恐怖という支配から完全に解放された代わりに、恐怖を理解する能力という、人間的な価値を失ったのだ。
「恐怖」の推進力という価値
ジークは、亡霊の兵士の前に進み出た。彼は、老鍛冶師にもらった小刀を、亡霊に突きつけた。
「俺は、お前が喚き続けるライナスとは違う。俺は、おこぼれに縋る人生を恐れた。そして、支配の鎖に繋がれることを恐れている」
ジークは、自分の心の奥底にある支配への恐怖を、隠さずに亡霊にぶつけた。
「だが、俺の恐怖は、お前たちのように死の痛みを求めるものじゃない!俺は他人に価値を決められるのが怖い。だから、この恐怖は、俺の人生を俺自身が支配するための、俺唯一の『自己防衛マニュアル』なんだ!」
ジークは、自分の心の叫びを続けた。彼は、恐怖というネガティブな感情を、支配の鎖ではなく、自立のための価値として再定義したのだ。
「お前たちが恐れたのは、支配者の存在。俺が恐れるのは、他人にコントロールされること。この強烈な不安は、誰の施しにも頼らない、俺だけの自由な生き方を探すための、絶対的な『自己ルール』だ!!」
その瞬間、亡霊の顔が、安堵と理解の表情に変わった。兵士は、最後に「恐れを力に変えろ」という言葉を残し、静かに霧の中に消えていった。
4. 呪いへの共鳴
亡霊が消えた後、ライナスの口から、微かなため息が漏れた。
「…今の、は、何だ。胸の奥が、ほんのわずかだが、苦痛を感じた。それは、亡霊が抱えていた、他者に理解された時の安堵に似た感覚だ」
ライナスの顔に、戸惑いという名の何十年ぶりかの感情の片鱗が浮かんだ。それは、彼が失って久しい、人間的な反応だった。
ルイーダはライナスを見つめ、低い声で言った。
「ジークの新しい価値が、貴方の呪いの核に触れたわね。貴方が失った『恐怖』という感情を、彼は支配に対抗する力として、貴方に示してみせた。これは、金や力とは違う、予測不能な対価よ」
ジークは、自分が生み出した「恐怖の推進力」という価値が、ライナスの「無限の時間」という呪いに、初めて具体的な影響を与えたことを悟った。




