支配者の秤と、奪われた時間
領主バルカスの謁見
ジーク、ライナス、そしてルイーダの三人は、鍛冶屋の街を支配する領主バルカスの城に招かれた。あるいは、強制されたという方が正しい。ライナスが放つ規格外の静寂のオーラが、街の衛兵たちの警戒心を引きつけたのだ。
バルカスは、豪奢な装飾に囲まれた謁見の間で、重々しい玉座に座っていた。その顔には、長年の支配によって培われた傲慢さと、微かな退屈が浮かんでいる。
「お前たちが、街で妙な価値観を振り撒いている小僧どもか」
バルカスは、ジークを鼻で笑った。
「老鍛冶師の道具の手入れ?たかがそんな無駄な労働で、私の定める交換レートを無視するつもりか」
バルカスにとって、ジークが作り出した「道具の寿命を延ばす」という価値は、支配の秤に乗らない、取るに足らないものだった。彼の支配の鎖は、生産性と交換レートというルールで編まれている。
ジークは恐怖を感じながらも、老鍛冶師にもらった小刀を握りしめた。
「俺が作ったのは、無駄な労働じゃない!誰にも支配されない、俺の価値だ!」
「価値だと?」バルカスは、大きく笑い飛ばした。「貴様の価値など、この鉄の門を動かす膨大な金の重さに比べれば、埃にも等しい。貴様の言う『価値』が私の支配を覆せるというなら、証明してみろ。さもなくば、その命を対価として、私の支配の鎖に組み込んでやる」
ライナスの「対価」の提示
その時、これまで静かに傍観していたライナスが、一歩前に進み出た。
「君の支配は、金と交換レートという有限なルールの上に成り立っている」
ライナスは、バルカスの玉座を見上げることもなく言った。
「だが、僕の持つ価値は、君のルールを完全に外れたところにある」
バルカスは、ライナスの瞳の静かな深さに、初めて微かな動揺を見せた。
「なんだ、貴様は。私に何を見せるつもりだ?」
ライナスは、自分の小さな手のひらを広げた。
「僕が君に提示する対価は、無限の時間だ」
その言葉と同時に、ライナスの体が、玉座の間に広がる豪奢な絨毯や、光の加減で色を変える壁の装飾と、まるで一体化するかのように、時間という概念から切り離された静寂を放ち始めた。
「この世界において、唯一、金でも力でも買えないもの。それが時間だ。君は、支配者として多くの富と命を奪った。だが、僕は君の存在そのものを、僕の持つ無限の時間と交換できる」
奪われた瞬間
ライナスは、ただ一瞬、目を閉じた。
次の瞬間、バルカスの顔が、信じられないほどの恐怖と苦痛に歪んだ。彼の体は動かない。バルカスの周りに張り巡らされていた、支配者としての傲慢な力が、まるで大穴に吸い込まれるかのように消えていくのを、ジークは肌で感じた。
「な……何をした!?」バルカスの声は、ひきつっていた。
ライナスは再び目を開け、静かに答えた。
「君の命を奪ったわけじゃない。ただ、君の『将来の時間』の、ほんの一部を、僕の『無限の時間』に対価として吸い上げただけだ。君が本来、明日得るはずだった、支配者としての傲慢さ、そしてその傲慢さを支える活力が、今、僕の呪いの器の中に収まった」
バルカスは、自分が数日、あるいは数週間分の生気と活力を根こそぎ奪われたことを本能的に悟った。金や力では決して立ち向かえない、世界の理の外にある力だ。
ルイーダは、この瞬間を待っていたかのように、前に出た。
「領主バルカスよ。貴方の定める交換レートは不当だ。今、貴方は、我々の『存在の価値』を、貴方の『将来の時間』という、最も高価な対価で買い取った。その対価が、貴方の支配の鎖に、亀裂を入れるだろう」
新しい鎖の始まり
バルカスは、ライナスへの恐怖と、活力を失った疲労から、玉座でうなだれた。
「出ていけ……。二度と私の前に姿を見せるな……!」
三人は、バルカスに背を向け、謁見の間を出た。鍛冶屋の街の交換レートは、一夜にして改善されるだろう。バルカスは、失った時間を回復するために、しばらく支配に集中できないはずだ。
街を出たところで、ジークはライナスを問い詰めた。
「お前は、この街を救ったのか?あの不当な交換を壊したのか?」
ライナスは、夕暮れに染まる空を見上げ、苦しそうに顔を歪ませた。
「僕は、彼らを救ったわけじゃない。支配の鎖を『恐怖という新しい鎖』に置き換えただけだ。君が老鍛冶師に『新しい価値』を与えたように、僕もバルカスに『新しい恐怖』という価値を与えた。僕は、この『無限の時間』の呪いを持つ限り、誰かを救おうとするたびに、新しい支配の鎖を生んでしまう」
ジークは、ルイーダの警告、そしてライナス自身の悲劇的な告白を悟った。善意も、力も、新しい支配の鎖になり得る。彼の旅の真の目的は、誰かを支配せずに、世界に存在する新しい価値を見つけることなのだと。




