表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/18

第18話:もう一度、わたしを抱きしめて

ユイとして歌っていた時間は、わたしにとって夢だった。

──音のない夢。

だけど今は違う。わたしは、花音という名前を胸に、音のある世界で生きている。


「カノンさん、お疲れさまです! ラストのあの高音、マジで鳥肌でした!」


スタッフの声が遠くから届く。

スタジオの照明が落ち、あたたかなスポットだけがわたしを照らしていた。

汗ばんだ手でマイクを握ったまま、わたしはそっと目を閉じる。


「……ユイ、聞いてた?」


誰に向けた問いか、自分でもわからない。

でも、どこかでユイが見ていてくれる気がした。


わたしは、もう一人じゃない。

歌う理由を、もう見失ってなんかいない。


リハーサルのあと、控室で携帯を開く。

新しい動画のコメント欄には、あの頃のような「ユイ」への声がいくつもあった。


《ユイの再来かと思った》

《花音さんの声、懐かしい気持ちになる》

《また、あの奇跡が始まったんだね》


「……奇跡、かぁ」


あの時、声を失い、絶望のなかでバーチャルにすがったわたし。

でも今は、ちゃんと自分の足で立っている。

──それでも、わたしのなかのユイは消えない。


いや、きっと、ユイはわたしだったんだ。


現実の痛みも、虚構の孤独も、全部背負って、わたしは今ここにいる。


本番前の楽屋、誰かがそっとドアをノックした。


「……失礼します」


入ってきたのは、白いマスクをした青年。

その目だけが、強くてやさしくて、どこか懐かしかった。


「……あの、失礼ですが……お名前は?」


「律です」


息が止まった。

わたしの胸の奥に、ずっと刺さっていた名前。


ユイが最後に呼んだ、たった一人の名前だった。


「……律、くん?」


彼はマスクをゆっくり外す。

少し大人びた横顔、でも変わらない瞳の奥のまっすぐな光。


「やっと……会えたね」


言葉よりも先に、涙がこぼれていた。


律は静かに語ってくれた。

あの日、ユイの配信が終わったあと、声が出なくなったこと。

花音として生きていく決意をしたこと。

何度も、自分を責めていたこと。


──そして、また歌うことを選んだわたしを、誰よりも応援していたこと。


「ごめんね、ずっと黙ってて……」


「ううん。カノンが、いや……ユイが戻ってきてくれて、嬉しいんだ」


彼の声が、やさしく胸に染みた。

その声だけで、過去の痛みが少しずつ、少しずつほどけていく気がした。


「……でも、わたしはもうユイじゃない。声も出るし、みんなの前に立てる」


「そうだね。でも――カノンの中に、ちゃんとユイがいるよ」


「……うん」


そのとき、初めて自分の声で、ユイに「ありがとう」と言えた気がした。


ステージに立つ直前、袖で律が小さく手を握った。


「今日の歌、誰に届ける?」


「──あの頃のわたしに。そして、いまのわたしを見つけてくれた人に」


照明が落ちる。

観客のざわめきが、静寂に変わる。

スポットが当たる先、わたしはそっとマイクを持った。


「こんばんは、花音です」


静かな第一声。

会場中が息をのむ。


「今日は、大切な歌を届けます。過去のわたしにも、ここにいるあなたにも――わたしは、ここにいますって」


前奏が流れる。

あの頃、ユイとして歌っていたメロディ。

でも今は、花音として。


その一音一音に、わたしの全部を乗せて。


声をなくして、名前も偽って、それでも歌い続けてきた。

あの痛みがあったからこそ、今、ここで、歌える。


──わたしの声で、わたしの歌で、

もう一度、わたしを抱きしめる。


花音として、ユイとして、生きてきたすべてが、音になって溶けていく。


それは、わたしにしか歌えない、たったひとつの歌だった。

構想を練るので、少しの間お休みします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ