事件は木曜日を選ばない
『時間は一次元である』
確かにどこかで、そんな言葉を聞いたことがある。
一方通行に流れていく時間、という概念は、確かに一次元だ。
けれど、それはあくまでも自分たちが生きている、今、この時間軸の話であり、自分が選ばなかった方の時間が、もし存在しているとしたらどうだろう?
人は、あらゆる場所で、瞬間的に選択をしながら生きている。同じ目的地に辿り着くための道は一つではないのだから。
そんな、選ばなかった未来の時間、選ばなかった世界線にも時間が流れているとしたら、実は時間というものは、一次元ではなく、二次元なのではないだろうか――。
*****
大学生活にも慣れ、手を抜くところも覚えてしまった冬の入り口。上路礼音は高校の同級生たちと集まる約束をしていた。仲間は全部で四人。夏に会って以来だから、四カ月ぶりといったところか。
年を取れば四カ月など、あっという間の時間なのかもしれない。しかし、去年まで同じ教室で毎日顔を合わせていた礼音にとって、四カ月という時間は結構長い。
大学でも友人は出来た。だが、高校時代の、あの親密な関係というのはなかなか超えられるものではなかった。
待ち合わせは、学校帰りによく行っていたファミレス。平日の昼前だからそこまで人はいないが、ランチタイムになれば近くの会社員で溢れかえることを知っている。
一体ここでどれだけ語り合ったことだろう。喧嘩もしたし、揉め事もあった。それでも四人は、離れることなくずっと近しい関係だった。
「よっ!」
先に着いていた明日海に手を挙げる。松井明日海は、礼音と同じ大学に通っている。学科が違うので大学での絡みは殆どない。それどころか、校内で顔を合わせることすら、ほぼ皆無だ。
「他の二人は?」
「まだみたい。麻央は遅れるって」
沢渡麻央は進学せず、今はアルバイトを掛け持ちしている。美容師を目指している彼女は、親に啖呵を切って大学進学を蹴ったため、美容師学校の学費を貯めているのだ。
「健斗は?」
三間健斗は、礼音の親友でもあり、専門学校に通っている。明日海とは恋人同士で、かつては礼音と三角関係にあった。とはいえ、礼音は自分の気持ちを健斗にも、明日海にも伝えてはいない。だから三角関係のようでいて、三角関係ではなかったのかもしれないが。
「健斗は連絡ないな。あいつ、またどっかで道草食ってるな、もぅ」
そう言って頬を膨らませる明日海からは、健斗との良好な関係が感じ取れる。礼音の胸が少しだけ、傷んだ。時間が経てば気持ちは楽になると思っていたが、実際はそうでもない。ここまで気持ちを引きずるのには、理由があった。
礼音には、ある特殊な力がある。
未来が見えるのだ。
しかしそれは予知とは違う。礼音が見る未来は「自分が選ばなかった未来」だけだ。
高校時代、自分の気持ちを素直に健斗に話していたら……明日海のことが好きだと告げていたら、結果は違っていた。明日海は礼音と付き合うことになり、恋に破れた健斗は麻央に慰められ、そのまま恋人同士に。結果的には今と同じ、四人でいられたのだ。
しかしあの時、礼音は自分の気持ちを隠してしまった。この、四人での関係を壊したくなくて、明日海への気持ちを、なかったことにしてしまったのだ。
いつだってそうだ。
良かれと思って選んだ選択。それなのに、見えてくる「選ばなかった未来」は、いつだって今の上を行く。ここぞという大切な選択の後に見える未来は、いつも礼音の気持ちを重くする。
「で、最近どう?」
席に座ると明日海がそんな風に聞いてきた。
「ああ、まぁ、楽しくやってるよ。明日海は同じキャンパスなのに全然会わないけど、どう?」
「うん、私もぼちぼちね」
「健斗とは? うまくいってるの?」
「……うん」
少し恥ずかしそうにそう言って俯く明日海を、複雑な思いで見つめる。
「ごめん、待った?」
言うほど急いだ様子もなくやってきたのは、沢渡麻央。美容師を目指してる麻央は派手な桃色である。しかしそのピンクがとても似合っていた。
「また随分派手な」
「あら、オジサンみたいなこと言わないでよ、礼音」
呆れた顔で麻央が言い、明日海の隣に座った。
「健斗はまた遅刻?」
遅れてきた自分のことは棚に上げ、言い放つ。
「もうすぐ来ると思うんだけど」
明日海が時計を見た。
その時、全員の携帯がブブブ、と震える。グループメッセージだ。
「え? なにこれ?」
「どういうこと?」
明日海と麻央が同時に口を開く。礼音も画面を見つめ首を捻る。
『ヤバいことに巻き込まれたかもしれない』
そう、書かれていたのだ。
『どこにいるの? 大丈夫なの?』
すぐに明日海がメッセージを返す。と、
『あんま詳しく書いたる暇ねいんだkど』
『電わもできねいし』
『またあとで!』
それきり。メッセージは来ない。
かなり慌てて打っているようだった。
「なにやってんのよ、もう!」
怒ったように、そう絞り出す明日海。
「どうする?」
麻央が訊ねるも、
「どこで何してるかもわかんないんだから、待つしかないじゃない」
メニューを広げ、頬杖を突く。
「大丈夫なのか、あいつ……」
礼音が呟いた。
しかし、今何か出来ることがあるわけでもなく、三人はファミレスで話ながら健斗からの連絡を待つしかなかったのである。
◇
軽く食事を終え、お互いの近況などを話し尽くしてもなお、健斗からの連絡はない。
「……何があったんだと思う?」
携帯を見ながら、なんとはなしに麻央が言った。
「バイトって言ってたんだよな?」
礼音が確かめるように口にすると、明日海が、
「うん、今日はみんなと会うから、バイトは入れないでおいたんだけど、急に先輩から『人手が足りないから手伝ってほしい』って呼び出された、って」
人付き合いのいい健斗のことだ、頼まれて嫌とは言えなかったのだろうな、と想像する。
「何のバイトだって?」
麻央の質問に、明日海が答える。
「引っ越しって言ってたよ? 午前中には終わるから、遅れないで行けると思うって」
結果、遅れている上に、おかしなメッセージ。ヘマして荷物を壊したりしてしまったのだろうか、とも考えるが……電話を掛けられないほど切羽詰まった状況というのは考えにくい。
「もしかして……ヤバい引っ越しとか?」
急に声を潜めて、麻央。
「ヤバい引っ越しってなんだよ?」
礼音が半笑いで言うと、明日海まで声を潜め始める。
「夜逃げの手伝いとか?」
「いや、夜逃げなら引越しは夜だろ」
冷静に返す礼音。
「運ぶのは引っ越しの荷物じゃない、とか?」
麻央が眉を寄せ、言う。
「は? 死体でも運ぶって言い出すのか?」
「しっ!」
「声が大きい!」
女性二人に注意され、思わず口に手を当てる礼音。
「……って、そんなわけないだろうよ」
さすがに現実的ではない。二人の妄想話は面白いが、本当だったら笑えないし、さすがにそれはないだろう、と一蹴する礼音に対し、明日海と麻央は勝手に盛り上がっている。
「古い、大きなスーツケースを山奥まで運んで埋める、とか」
「中型の冷蔵庫を海まで運んで遺棄する、とか」
「……だから、そういうことなら夜中だろ。平日の午前中にやることじゃないって」
勝手に話を盛り始める二人に目を向ける。
「闇の組織を裏切った男の行く末かしら?」
「産業スパイって手もある」
「そんな手はない」
サラッと否定する礼音を、二人がキッと睨みつける。
「俺が二人の視線で射殺されそうだ……」
そうこうしているうち、店はランチ客で溢れ始める。食べ終わったならさっさと帰ってくれない? というウエイトレスの視線が冷たく刺さる。
「場所、変えるか?」
いたたまれなくなった礼音の提案で、三人は店を出た。
「今、健斗にはメッセージ送っておいた。カフェに移動するね、って」
グループメッセージに書かれた文字。しかし、既読はつかない。
「全然既読つかないね」
麻央が溜息を吐く。
今日は、本当なら四人で映画に行くはずだった。絶対に見たかったかと言われればそこまでではないのだが、せっかく集まるのにただ駄弁って終わるのはつまらないからと、無理矢理ねじ込んだのである。だから、映画に行けなくなることそれ自体は別に構わない。が、このまま待たされるだけで終わってしまうのは、なんだかつまらない。
「来れるといいな、健斗」
ポツリ、礼音が口にすると、図ったかのように携帯が震える。
「あ! 返事!」
明日海が携帯を手に、読み上げる。
『いま車の中。雰囲気最悪。どこに向かってるか不明』
『降ろしてほしいんだけど、無理そう』
『ごめん』
立て続けに、三つのメッセージ。
その内容に、三人は顔を見合わせる。
「ちょっとこれ……」
「本当に、ヤバいんじゃ?」
「マジかよ」
しかし、この文面だけでは健斗がどこにいるかは全くわからない。助けに行こうにも、動けないのだ。
「……どうする?」
麻央が明日海に言った。
「どうする、って……」
「だってこれ、放っておいても大丈夫なのかな?」
さすがに心配になってきたのだ。
「なぁ、明日海。健斗の携帯の位置情報とかわかんねぇの?」
礼音が聞くと、明日海はきょとんとした顔で
「どうやって?」
と聞いてくる。
「いや、今ってそういうアプリあるじゃん? 恋人同士で使ったりするって聞いたことあるからさ」
お互いの位置情報がわかる、というアプリ。浮気防止にもなるとかいうやつだ。
「そんなの使ってないよ! 私、そんな激しい束縛女じゃないもんっ」
怒らせてしまった。
「いや、まぁ、そうだよな……」
三人は同時にふぅ、と息を吐き出す。
「とりあえず、移動しよっか」
通い慣れた道。高校時代はこの道をよく四人で歩いた。特に高三の夏以降は、部活もなくなり毎日この道を一緒に帰ったものだ。
「懐かしいね」
多分全員が思っていただろう言葉を、明日海が発する。
「ほんと、まだ一年も経ってないのにさ。妙に懐かしく感じるよね」
感傷に浸るほど歳を重ねたわけではない。だが、高校時代と今では何もかもが違って見える。子供のままでいたかった自分を、無理やり大人へと近付けているのは自分自身なのか、それとも世間なのか。制服を脱いだあの時から、確かに何かが変わったのだ。
◇
カフェに着いて三十分。健斗から新しいメッセージが届いたは届いたのだが……
『今日、やっぱり行けそうもない。ごめん』
『また連絡する!』
健斗の身に何が起きたのか。これではまったくわからない。しかし、こちらからメッセージを送っても、既読にはなるものの一切返答がないままだった。
「あのバカ、なにやってるのよ」
さすがに不安になったのだろう。明日海の声は真剣そのものだった。
「探した方がいいのかな?」
麻央もそう口にするが、
「手掛かりがなさすぎるだろ」
礼音が溜息を吐く。
しかし、このまま何もしないでいいものなのか、それもわからない。
失踪したわけではないのだ。連絡は来ているのだし。ただ、どこで何をしているのかが分からないだけ。試しに電話もかけてみたが、どうやら電源を切ってしまっているらしく、繋がらなかった。
「切羽詰まってる感じでもないしさ、様子見るしかなくない?」
現状を打破する、確固たる何かが見つからない。それとも、健斗の友人だという「先輩」を何とかして調べ上げるべきなのか。ここは分岐点かもしれない、と礼音は感じていた。
「明日海はどうしたい?」
卑怯かもしれないが、大事な分岐点を一人で決めることなど出来なかった。恋人でもある明日海の意見を尊重して、先を決めたい。
「気にはなるけど……ちょっとしたトラブルを大袈裟に言ってる可能性もあるしね。今、なにかをしようとしても、礼音の言うように手掛かりがなさすぎるもん」
答えは、なにもしない、だ。
「だね」
「わかった」
真央と礼音が頷く。
次の瞬間、礼音が眩暈に襲われた。いつものやつだ。重大な分岐点の後の、礼音が「選ばなかった未来」の映像。
──暗闇の中、椅子に腰掛け項垂れる男……健斗だ。よく見れば後ろ手に縛られて固定されているようにも見える。小さく肩が上下して、椅子の下には……血溜り。
「うわっ!」
思わず大声を出す。
「えっ?」
「なにっ?」
明日海と真央が驚いて礼音を見る。
「……あ、ご、ごめん。今、ちょっと……眩暈」
心臓がバクバクと鳴る。見えた未来で、健斗は血を流していたように見えた。今までは、選ばなかった未来こそが最善であるケースが多かったはずなのに、何故? という不安が礼音の頭を駆け巡る。いや、もしあれが最善の答えであるとするなら、今、行動を起こさなければもっと悪い結果が待っているというのか?
礼音が頭を抱えたまま思考を巡らせていると、
「ねぇ、顔真っ青だけど、大丈夫?」
と明日海が顔を覗き込んでくる。
「あ、うん。大丈夫だ」
人生は選択だ。
常に自分が選んだ先の道を進む。その選択の先にも、時間は流れている。
ここで改めて二人に「やっぱり健斗を探そう」と提案するのはどうだろう、と考える。しかし、それは最初の選択時に戻ることになるのだろうか? それは「探さないと決めたが、選ばなかった方の未来に不安を抱いたためやはり探すことにした未来」になるのだ。元に戻すことにはならない。言うならば、最初の選択は「探さない」だが、今動けば「探す」ことになる。それを見越して、未来が見えたのだとしたら、探さない方が正しいのか、探す方が正しいのか……と考え出せばキリがなかった。
それにしても、と思う。引っ越しのバイトからあの状態になるものなのか。一体、誰の引っ越しを手伝ったのか。
「明日海、先輩の代わりに行くことになった、って話だけどさ、その、頼んできた先輩ってのは、誰か知ってるの?」
「ううん、知らない。健斗、顔広いし、学校の先輩なのか、バイト先の先輩なのか……」
確かに、健斗は人懐こいがゆえに知り合いが多いのだった。バイト先の先輩、と一概に言っても、今のバイト先の話か、前にバイトしていたところの先輩か、それもわからない。
「俺、メッセージ入れておくわ」
携帯を出し、打ち込む。
『至急の用事あり。手が空いたら連絡よこせ』
いつもなら書かないようなメッセージを、グループではなく個人宛に残しておく。
これを読めば、きっと連絡をしてくるだろう。
なんだか嫌な予感がする。とにかく、どこで何をしているのか、無事なのかだけでも知りたいと思っていた。
仮に、見えた未来が最善だとするなら……あれで最善ということは、健斗の命が掛かっている可能性がある。引越しの手伝いがどうして監禁に繋がるのかはわからないが、少なくとも見えた光景の中で健斗は息をしていた。なんとかして助け出さなければならない……のかもしれない。すべてが憶測ではあるのだが。
「なんだか、変なことになっちゃったね」
麻央が呟く。皆同じ気持ちだろう。
「今日はもう……解散しよっか」
明日海の一言で、三人は別れることとなった。このまま悶々とした気持ちのままでは楽しく遊ぶことも出来ないだろうという判断だ。
礼音は携帯を片手に考える。まだ陽は高い。このまま家に帰っても構わないが、なにか動きがあるかもしれないのだ。そう考え、特に用もないまま町をうろつくことにした。
◇
通りに面したカフェで道行く人たちを眺める。
小さな子を連れた家族連れは皆無でサラリーマンが多いのは、平日だからだろう。
いつだったか健斗と
『平日の中で一番影が薄いのは何曜日か』
という話をして盛り上がったことを思い出す。
「そっか、今日……木曜じゃん」
ボソッと呟く。
礼音は火曜日を推していたが、健斗が木曜ゴリ押しだったのを思い出した。影が薄い曜日にはきっと事件も少ない、と言い出した健斗と、妙に盛り上がって犯罪の起こりにくい曜日を調べたりした。結果、空き巣なら月曜、事故なら金曜が起きやすい、など種類によって答えはさまざまだったが、逆に、この曜日は事件が起きづらい、ということもなく、悪いことはいつ起きても不思議ではない、という結論に達した。
「いや。今日は木曜だ。きっと大丈夫」
ざわざわする心を落ち着かせるように、呟く。
携帯を取り出すと、メッセージに既読が付いているのに気付く。時間は……二分前! 返信がくるかもしれない、と画面を凝視する。
『至急って、なに? どうかした?』
来た!
礼音はそのまま画面をタッチし、電話を掛ける。しかし、ワンコール終わる前に切られてしまった。すぐさま、メッセージが届く。
『電話は無理! ごめんけど、書いといて! 後で読む』
このメッセージを読み、少し安堵する。命の危険があるような文章ではないからだ。
とするなら、やはりさっき見えた「選ばなかった未来」より、現状の方がいいということになる。
そもそも礼音に見えるのは、選択を外れた未来であり、それがどんな未来であれ、自分には関係のないものである。関係のない未来に縛られるなど、意味がない。
「アホらしい。帰ろう」
礼音はさっきまでの緊張感を解き放ち、念のために、と明日海と真央にも健斗から連絡があったことを報告し、家路につく。
玄関で靴を脱いでいると、不意にやってくる眩暈。
「なんでだよ……」
もう、この件に関してはカタが付いたのではなかったのか? 分岐点になるようなことが何かあったか? と考えるが、よくわからない。
──薄汚い小屋のような場所に、健斗がいる。手には携帯を持っていた。誰かと電話をしているようだが、ひどく揉めていた。
「だから、あいつとは別れたんだって」
ムッとした言い方でそう口にした健斗の言葉に、礼音の心臓が大きく跳ねる。
(別れた?)
「どうやって、って……確かにしつこかったからな。でも、もう大丈夫だ。明日からは平和に暮らせる。約束するよ」
そう言って、携帯を持っていない方の手をじっと見つめる。その手は赤く染まっているのだ。
(なん……だ、あれは?)
「……ああ、愛してるよ、カナエ」
プツリ、とそこで映像が途切れる。壁に手をつき、礼音は大きく肩で息をする。今、見えたものは一体なんだ? 健斗は、彼女である明日海とは違う名を口にしていた。手には赤い……多分誰かの血。それはつまり……
「ちょっと……待てよおい」
口元を抑える。
礼音は急いで携帯を取り出すと、明日海に電話を掛けた。呼び出し音が二回鳴り、繋がる。
「もしもし、明日海? 今どこっ?」
切羽詰まった物言いに、電話の向こうで明日海が不思議そうな声を出す。
『礼音? なによ、どうしたの?』
「今どこだよっ」
『今? 健斗から呼び出されたから、向かってるとこだけど?』
やはり健斗からの呼び出しを受けている。ではさっきの未来は……いや、あれは選んでいない方の未来だ。ということはこのまま明日海を行かせても問題はないのか。しかしカナエという人物は多分健斗の浮気相手。ならば、
「どこに呼び出されたんだっ? 俺も向かうよ!」
『へ? なんで?』
「なんでって……ちょっと健斗に用事あるしっ」
焦る礼音に疑問を持つ明日海。
『じゃ、地図送るけど……。ほんと、どうしたの? 大丈夫?』
心配されてしまう。
だが、心配されるべきは明日海の方なのだ。……多分。
「すぐ向かうから!」
そう言い放ち、電話を切る。
程なく届いた地図を見ると、街外れの方角。こんなところに呼び出して、一体どうする気なのか。
礼音は大きく息を吐き出すと、両手で両頬をパンッ、と叩く。脱いだばかりの靴を再び履き、外へと飛び出した。
ぐらり、と空が回る。また、眩暈だ。一日のうちにここまで何度も未来が見えたことなどない。礼音は門の前で頭を押さえた。
──舞台の上に、健斗が立っている。やがてスポットライトが健斗を照らし、ガッツポーズ。
「カナエのおかげでここまで来られました!」
マイクでそう言うと、会場から大きな拍手が上がった。
ふと、自分の隣を見ると、今にも泣き出しそうな顔の明日海が、壇上の健斗を見て呟く。
「……礼音、私、こんな未来望んでなかった」
礼音はそんな明日海を、そっと抱き寄せた。
プツリ、と映像が途切れる。
「……なんだ、今のは?」
明日海は、生きている。
しかし、謎は深まるばかりだった……。
◇
電車とバスを乗り継ぐ。
本当ならタクシーを飛ばして向かいたいところであるが、学生の身分でそれは現実的ではない。多分、明日海も同じようにして向かっているはずだった。
町外れ、のどかな光景が流れるその地域に、健斗はいるらしい。
しかし、こんな場所で一体何を?
さっき見えた光景は、最初に見た緊迫したそれとはだいぶ違っている。が、明日海が泣いていたのは間違いない。明日海が涙ぐむ未来など、なくていい。
現場近くまで到着する。ここからは歩きだ。地図を見ると、この先にある工場のような場所が健斗の指定してきた場所のようなのだが……。
建物が見えてくる。今は使われていないであろう廃工場。しかし、工場の前には数台の車が停まっている。誰かがいる、ということは間違いなさそうだった。
入り口をそっと開ける。と、
「マジか! 礼音も来たっ」
驚きと喜びが入り混じったような顔で、健斗が迎えてくれた。隣には明日海の姿もある。
「……なんだ、これ?」
廃工場の中は、大掛かりなスタジオだった。何台かのカメラが置かれ、スタッフらしき人間が十数人。グリーンバックと呼ばれる緑色のスクリーンが壁際に置かれていたり、部屋のようなセットが置かれていたり、本格的だ。
「礼音、まず携帯の電源切れ。話はそこからだ」
礼音は言われるがまま携帯を出し、電源を切る。
「二人とも来ちゃうとはな。出来れば秘密にしておきたかったぜ」
残念そうに言う健斗に、明日海が肘鉄を喰らわせる。
「なにが秘密よ! みんなとの約束すっぽかしておいてっ」
「いや、悪かったって」
頭を掻く健斗に、イラっとしながら礼音が訊ねる。
「で、何がどうなってるわけ?」
「ああ、実はさ……」
健斗の話によると、引っ越しを手伝った相手が、駆け出しの映画監督で、今日の撮影に欠員が出たのを知り健斗に声を掛けてきたとのこと。元々演じるはずだった役者が、もっといい仕事が入ってこっちを蹴った形だ。少しでも目立つ、いい仕事が欲しいという役者は多いだろう。皆、必死なのだ。
「車の中で、電話で口論始まってさ、めちゃくちゃ雰囲気ヤバくなって」
その後、ここに連れて来られたという話らしい。
「……なんだ、じゃ、あれって映画の」
礼音は、後ろ手に縛られた健斗の映像や、血で染められた手などの光景がリアルではなかったと知り、安堵した。しかし……
「お前、カナエって子と浮気してないだろうなっ!?」
思わず詰め寄る。健斗が心底驚いた顔で、口を開けた。
「おま、なんでそれをっ、」
「え? 浮気?」
明日海が健斗を睨み付ける。
「へぇぇ、候補が二人も来てくれたんだぁ~」
緊迫した雰囲気をぶち壊すように現れたのは、ひとりの少女。礼音は、その女性を見た途端、時が止まったかのような感覚に陥った。心臓を鷲掴みにされる、とはこのことか。
「オーディション、始めるってさ」
彼女の名は浦野睦美といい、この映画のヒロイン『カナエ』を演じる、駆け出しの役者だという。礼音は、今までにない衝動に心を動かされていた。簡単に言えば、《《一目惚れ》》をしたのだ。
「……健斗には負けねぇ」
「へ?」
急に現れた上に、オーディションを受ける気満々になっている礼音に、健斗は首を傾げる。演技経験などないし、役者を目指したことなどないのは健斗も礼音も同じだ。それなのに、礼音は急にやる気になった。チラ、と浦野睦美を見る。
(……ああ、そういうことか)
こんなにも感情むき出しの礼音を見るのは、初めてで、それが、なんだか無性に嬉しかった。いつもどこか遠慮がちな礼音を見てきたからだろう。仲の良い友人同士なのに、どこか一歩引いていた礼音が、初めて、熱を持って向かって来てくれたのだ。
*****
自分の見てきた「選ばなかった方の未来」は、いつだって今の上を行く。
礼音は、ずっとそう思っていた。自分の選択は間違っているのではないか、と。
しかしそうではない。
どんな未来も、その先には新たな選択が待っている。視えた部分がたまたま現状より良く見える、というだけで、実際には、その先がどうなるかなどわからない。
選ぶのだ。今、最善だと思える道を。
二次元の時間に振り回される必要はない。
時間はいつだって、一次元だ。
*****
名もなき監督の映画で、ちょい役を演じた。
後にそれが、人生を大きく変えることとなる──。
──壇上に立ち、礼音はフラッシュを浴びる。マイクを渡され、挨拶をする。
「『カナエ』のおかげでここまで来られました!」
会場から大きな拍手が上がる。
大きな映画祭で、念願だった主演男優賞を受賞した。
きっかけは小さな自主製作映画。
そこから、一歩ずつ努力を重ねここまで来た。
ふと、見渡せば、笑顔で手を叩いている浦野睦美の熱い視線がある。
礼音は花束を手に壇上を降りると、睦美と抱き合い、キスを交わした。
了