プロローグ
人を救っても救っても、雨が晴れることはない。
大罪を犯した私の身に降りかかった呪いからは、いつまで経っても解放されることはない。
一体どのくらいの時間、こうしているのだろうか。
私が月の光を浴びれる日は来るのだろうか 。
——いっそ、逃げてしまえたら、———
私の住んでいる村は、きっとこの世の最下層である。奈落の底の底の掃き溜めみたいな場所で、私は図々しく生を貪っている。盗みや殺しは当たり前で、道端に餓死した老人の骸が置き去られているような村で、とても普通とは思えない、どす黒い空気が漂っている。そんな中でも私は特段酷い扱いを受けてきた。なんでも私が生まれてからというもの、毎晩毎晩雨が降るようになったそうで、やれ忌み子だ、鬼だと虐げられてきた。
「そんなの、私の知ったことじゃない!」
小さい頃、何度も何度もそう抗議したことを覚えているが、大人たちは聞く耳を持たずに、私を殴り、閉じ込め、口を聞かない。いよいよ私は、声をあげることを諦め、からっぽな人間になってしまった。
齢が15になったころ、村の中でもまだ親切な婆さんが亡くなった。婆さんは人目を盗んでは私に食べ物を与えてくれた。そんな、いわば生命線のような人が亡くなっても、私は泣けなかった。あったのは、漠然とした消失感と食にありつけないという焦燥だけだった。そうして2日が過ぎ、空腹も限界になってきたころ、
「この世に、救いなんてない——」
全てを諦めて、目を閉じた。
「お月様、見てみたかったなあ」
そう呟いたとき、しゃがれた声が聞こえた。
「おめえ、月、見たことねぇのか?」
妙に安心する声だった。齢は40程だろうか、綺麗な袴を着ており、脇には刀が携えてあった。男は続けて話す。
「満月の夜はすげえぞ、街全体がぱっと明るくなって、それでいて静かで、穏やかで。」
なんなのだこの男は、私が忌み子と知って、冷やかしにきたのだろうか。私は強い怒りに任せて吐き捨てた。
「そんなに月がすごいなら私を殺して見ればいいじゃない!私を殺せば、雨も止んで、みんな幸せなんでしょ!?私だって、こんなことになるなら、生まれて来なきゃよかった!父さんも母さんも私を嫌って捨てた!今まで必死に生きてきたけど、もう限界なの!」
ここまで感情を荒げたのはいつぶりだろう。冷静になれば、口ぶりや服装からこの男はこの村のものではないとわかる。それでも、このやり場のない怒りをどうしてもぶつけずにはいられなかった。私の呼吸が落ち着いた頃、やはり男は少し驚いたように私に問いを投げかけてきた。
「なんで俺がおまえさんを殺す必要があるんだ?それに雨も止むって...」
やはり男は何も知らないようで、突然激昂してしまったことに申し訳なくなった。私は、私の今までの人生と受けた仕打ちについてざっくりと男に説明した。男は神妙な面持ちで私の話を聞いたあと、身を乗り出して私に言った。
「じゃあ、逃げちまおうぜ!」
目が点になるとはこのことである。突然のことに頭が追いつかないまま、私は男に聞いた。
「逃げるって、この村からですか?でも私は閉じ込められてて———」
ザンッと鋭い音が鳴ると、私のすぐ横の格子が横一文字にぱっくりと割れて人1人通れるほどの穴が空いた。この男は、相当な剣の腕があるようだ。いろいろなことに混乱しながら、それでいて強く決心して尋ねる。
「行き先は、何処にしますか?」
斯くして、私の逃避行は始まったのである。