第50話 魔導電動歯ブラシと、囚人の微笑み
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作品ナンバー2。
ほっと一息ついていただければ幸いです。
ルメリア王国南方、カロン山脈を越えた先に、「黒獅子の牙」と呼ばれる堅牢な監獄があった。
王国でも重罪人を収容する最も厳しい監獄であり、外界から完全に隔離されたその地に、佐藤達夫の姿があった。
「……ここまで来て、歯ブラシか」
達夫が手にしていたのは、小さな魔導具だった。
見た目は異世界の者には理解されづらいが、達夫の世界ではおなじみの電動歯ブラシ。
もちろん、ここルメリアでは“魔導電動歯ブラシ”と呼ばれ、魔力によって振動し、口内の汚れを効率的に落とす設計となっていた。
だが、今回この歯ブラシが使われるのは、単なる衛生管理のためではなかった。
王国直属の諜報機関「影の剣」より依頼が届いたのは、数日前のことだった。
「黒獅子の牙に収監された重罪人の中に、和平交渉の鍵を握る人物がいる。彼の心を開かせるために、貴殿の魔導具の力を借りたい。」
心を開かせる――それが、歯ブラシで?
その依頼内容に首をかしげながらも、達夫は引き受けた。
到着してすぐ、達夫は案内人の軍人と共に、最深部の監房へと向かった。
「囚人番号468。名前はケリアン・ハルト。かつては敵国グラン=オルドの高名な魔導軍師でした」
軍人が語る声は冷たかった。
「戦後、王国に反逆を企てた罪で収監。尋問にも黙秘を続け、いまだ一言も言葉を発しておりません」
「ふむ……」
達夫は扉の小窓から中を覗く。
鉄格子の向こうにいたのは、痩せこけた壮年の男。
髭は伸び放題、服も汚れ、目は鋭くこちらを睨んでいた。
「まずは、話す理由を与えるところからか」
達夫は荷物を開け、魔導電動歯ブラシと、彼自身が調合した魔力歯磨き粉を取り出した。
「失礼するぞ」
扉が開けられ、達夫は一人で監房の中に入る。
「……敵か」
かすかに囚人が唸った。
初めて発した言葉に、軍人たちはわずかに目を見開く。
「いや、私は技師だ。君の敵でも味方でもない」
達夫は静かに歯ブラシを手渡す。
「これは、“魔導電動歯ブラシ”という代物だ。魔力で細かく振動して、歯の汚れを落としてくれる。口内を清潔にすることで、健康はもちろん、気分まで変わるぞ」
ケリアンは目を細め、訝しげにその道具を見つめた。
「……何のつもりだ?」
「交渉を始めるには、まず口を開いてもらわんと」
皮肉に笑って、達夫は自らの歯を見せてみせた。
「それとも、戦地でも歯磨きの習慣はなかったか?」
沈黙の中、ケリアンはついに歯ブラシを受け取り、恐る恐る口に当てる。
そしてスイッチを入れると、歯ブラシは微かに震え、独特の感触が彼の歯茎を刺激した。
数十秒後、彼は思わず――笑った。
「……これは……不思議な感触だな」
笑った。
頑なだった男の表情に、初めて柔らかな光が差した。
それが始まりだった。
数日間に渡り、達夫は魔導電動歯ブラシの使い方を教えながら、雑談を交わした。
最初は短く、ぎこちなかった会話も、やがて自然と続くようになる。
ケリアンは語った。
かつての戦争、部下を失った痛み、和平を願いながらも国に裏切られたこと。
そして、王国に捕らえられてからの孤独と絶望――。
「……だから、口を開かなかった。ただ、全てが終わるのを待っていた」
「だが、終わらせるかどうかは、君次第だ」
達夫は言った。
「君の知識と経験があれば、和平の道を拓けるかもしれない。戦を止め、無駄な犠牲を減らすことができる。だがそのためには、君の口から言葉が必要なんだ」
ケリアンはしばらく目を閉じ、考えた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……君の“歯ブラシ”に、まさか心まで磨かれるとはな」
彼は囁くように言った。
「協力しよう。だが、条件がある」
「聞こう」
「監獄の全員に、この魔導歯ブラシを配ってほしい。何年もまともに歯も磨けず、希望を失った連中ばかりだ。もし口を清めることで、心まで癒されるなら……再出発のきっかけになるかもしれない」
「もちろんだ」
達夫は笑った。
それから数週間後。
王国の監獄に、異変が起こる。
囚人たちが互いに笑い合い、礼儀正しく看守に接し、再教育プログラムにも積極的に参加するようになったのだ。
原因はただ一つ――
“魔導電動歯ブラシ”の導入だった。
囚人たちにとってそれは、口の中を清めるだけの道具ではなかった。
自分自身の過去を洗い流し、明日への一歩を踏み出すための小さな魔法。
その笑顔の裏にある希望こそ、達夫が届けた“家電”の本当の力だった。
──そしてケリアンの協力により、王国とグラン=オルドとの間に、和平交渉が再び動き出すこととなる。
人を変えるのは、強さや力だけではない。
時には、歯ブラシ一本でも――未来を変える希望になり得るのだ。
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