特別編 佐藤達夫という男 ~家電に捧げた60年~
作品ナンバー2
ほっと一息ついていただければ幸いです。
春の風が、駅のホームに吹き抜け、咲き始めた桜の花びらが、舞い散る中――
花束を手に、同僚たちのにこやかな笑顔に囲まれながらホームに立つ男の名は、佐藤 達夫。
今日、彼は長年勤めていた家電量販店『エレキワンダー』を定年退職したベテラン販売員だ。
彼の人生が、今日で一区切りを迎えた。
「……はあ。終わっちゃったな」
手に持った花束の重さが、心の奥底にまで響いてくる。
――静かな夕暮れの駅のホーム。
どこか懐かしい香りが、風に乗って流れてくる。
達夫は、東京下町の小さな電気店「サトウ電化」の一人息子として生まれた。
両親は町の人々に頼られる、働き者の夫婦だった。
特に父・誠一は、どんな壊れた家電でも修理してしまう腕前で、
母・幸子は接客の天才と呼ばれるほど人当たりの良さで評判だった。
そんな二人の背中を見て育った達夫にとって、家電はただの機械ではなかった。
暮らしを支え、人を笑顔にする"魔法の道具"だった。
「これが冷蔵庫だよ、タツ。お魚もお肉も、いつまでも新鮮さ」
「この掃除機を使えば、お母さんの腰も楽になるのよ」
家電が家庭を守る盾であり、家族の笑顔を支える柱なのだと、
幼い彼は自然に学んでいった。
だが、そんな穏やかな日常は、中学二年の夏、突如終わりを迎える。
旅行帰りの両親が乗った車が、大型トラックに追突されるという悲劇。
現実感のない電話の一報と、警察署で渡された遺品。
彼の人生は、突然音を立てて崩れ落ちた。
さらに追い打ちをかけたのは、電気店の経営難という現実だった。
設備投資や業者への未払い金が重なり、店はすでに赤字続き。
両親が亡くなった直後、銀行から差し押さえの通知が届き、実家も店も、すべて取り上げられた。
保険だけでは返済できなかったのだ。
孤独になった少年は、遠縁の親戚に引き取られるが、
その家庭は決して温かくはなかった。
「他人の子なんて迷惑なのよ」
「早く出て行けるよう、勉強でもしてな」
冷たい視線、冷たいご飯、そして冷たい言葉。
それでも、達夫は耐えた。
家電の本を読み漁り、古びたラジオを分解しては直す毎日。
それが、亡き両親と繋がっていられる唯一の時間だった。
高校卒業と同時に、彼は親戚の家を出た。
住み込みの仕事を探し、たどり着いたのが大手家電量販店『エレキワンダー』だった。
接客、品出し、修理、営業……
彼はどんな仕事も嫌な顔一つせず、黙々とこなした。
それは家電への愛と、両親の志を背負う覚悟からだった。
「家電は、人を幸せにする」
その信念は、上司や同僚の間でも知られるようになり、
やがて彼は売上トップの販売員として名を馳せるようになっていく。
そんな彼の30代――運命はふたたび、思わぬ形で彼を試す。
ある日、来店した一人の女性、原田沙耶。
エアコンの相談で訪れた彼女と、達夫は家電の話で意気投合した。
知識豊富で柔らかな物腰の彼女と会話を重ねるうちに、
達夫の心は、いつしか安らぎと温もりに満たされていった。
お互い独身で仕事熱心。
沙耶は医療機器メーカーで働き、世界中を飛び回っていたが、
達夫と過ごすひと時を何よりも大切にしていた。
やがて二人は交際を始め、結婚を約束するまでに至る。
達夫の人生に、久しぶりの春が訪れた。
だが、それは長くは続かなかった。
交際から2年後、沙耶が出張で向かったアメリカで、彼女の乗った旅客機が墜落事故に巻き込まれたのだ。
テレビのニュースに映った機体の残骸。
無言で表示された乗客名簿。
彼の世界は、ふたたび沈黙に包まれた。
その日から、達夫は誰とも深く関わらず、淡々と、誠実に、家電と共に生きていった。
恋はしない。結婚もしない。家族も、作らない。
だが、家電の前では、誰よりも饒舌になれた。
来店するお客の悩みに耳を傾け、最適な製品を提案し、生活を少しでも快適にする。
それが、彼の生きる意味となっていた。
そして、60歳の春。
彼は定年という区切りを迎えた。
同僚から贈られた花束の中に、一通の手紙があった。
そこには、かつて彼が家電を勧めた若い夫婦からの言葉があった。
『あなたのおかげで、僕たちの家庭は今も幸せです。ありがとう』
静かに、頬を一筋の涙が伝った。
彼の人生は、波乱に満ちていた。
だが、確かに誰かを救い、支えてきた。
その手には、何もない。けれど、心には確かな誇りがあった。
そしてその日、運命が再び彼の前に現れる。
「おじさん。私と一緒に、世界を救いませんか?」
静かな車内、突然声をかけてきた美しい女性。
「……は?」
すべては、この瞬間から始まった。
──これは、家電を愛した男の、もうひとつの人生の物語である。
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