第12話 魔導コーヒーメーカーと、記憶の香り
作品ナンバー2
ほっと一息ついていただければ幸いです。
王都の喧騒から離れた西の果て、静かな山あいの村――ファーレン村。
石造りの家々が並び、豊かな自然に囲まれながら、村人たちは慎ましくも穏やかな日々を送っていた。
だが、この村にはひとつだけ、奇妙な噂があった。
「この村には、“記憶を失くした者”が住んでいるらしい」
達夫がその噂を耳にしたのは、王都の書庫に立ち寄ったときだった。
「正確には“自分が誰なのか”を思い出せない者がいる、とのこと。治療も祈祷も効かず、本人は普通に生活しているのに、何も語らない。いや、語れないのだそうです」
と、書庫の管理者は言った。
家電の知識で様々な問題を解決してきた達夫だったが、“記憶”という内面の問題に関しては、まだ取り組んだことがなかった。
だが、この話に、彼の心はなぜか強く惹かれた。
「記憶……か。香りと記憶は、意外と深く繋がっているんだよな」
日本にいたころ、達夫は接客のために店頭でコーヒーメーカーのデモンストレーションをよく行っていた。
香ばしい豆の香りが立ち込めると、お客たちの顔がほころび、「昔、喫茶店で飲んだな」「親父が毎朝淹れてくれてた」と、自然と懐かしい話が飛び出すのだった。
――もしかしたら。
その香りが、忘れた記憶を呼び覚ます“鍵”になるかもしれない。
ファーレン村に到着した達夫は、村の集会所で村長と面会した。
白髪混じりの優しい笑顔を浮かべた村長は、噂の人物について語り始めた。
「その者の名は“リーナ”といいます。見つかったのは2年前、村の西の森で倒れていたのを、村人が救いました。怪我はすぐに治りましたが……名前以外、すべての記憶を失っていたのです」
「それで、いまはどこに?」
「村の宿屋で働いていますよ。とても器用で、笑顔も絶やさずにね。まるで、記憶を失っているのが嘘みたいに思えるほどです」
宿屋――。
そこは村の中心にある、二階建ての木造の小さな建物だった。
中へ入ると、すぐに出迎えてくれたのは、まさにその“リーナ”だった。
「こんにちは、旅のお方。お部屋をお探しでしょうか?」
柔らかく微笑むその顔は、どこか儚げで、それでいて懐かしさを感じさせるような、不思議な魅力があった。
「いいえ。私は……あなたに“ある香り”を届けに来ました」
達夫は宿屋の一角を借り、早速“魔導コーヒーメーカー”の設置を始めた。
今回のモデルは、魔力で豆を挽き、蒸気の温度を細かく調整しながら抽出を行う多機能型。蒸らし工程を通じて、豆が持つ本来の香りと記憶の“魔素”を解き放つ構造になっていた。
その最初の一杯が完成したとき――。
部屋に広がったのは、焙煎された豆の芳醇な香り。
どこかほろ苦く、しかし心が落ち着く優しさを持ったその香りは、まるで時間を巻き戻すかのように、人の心にそっと触れてくる。
「……この匂い……」
リーナが立ち止まった。
彼女の瞳が、かすかに震え始める。
「……この香り、知ってる……知ってるはずなのに……!」
そう呟くと同時に、リーナは膝をつき、頭を抱えた。
達夫は慌てて駆け寄ろうとするが、彼女は首を振って制止した。
「大丈夫……でも、頭の奥に……何かが、何かがあるの……」
彼女の瞳に、ぽたりと涙が落ちた。
翌朝。
宿屋のカウンターにリーナが立っていた。
彼女の表情は晴れやかで、どこか、昨日までとは違う光を帯びている。
「達夫さん。ありがとう。全部じゃないけど……少しだけ、思い出したの」
「……どんなことを?」
リーナはそっと手を胸に当てた。
「“香り”で思い出したの。小さな喫茶店にいたこと……白いエプロンを着て、カウンターでコーヒーを淹れていたの……。私は――コーヒーを淹れるのが、好きだったんだって」
達夫は、目を細めて頷いた。
「きっと、もっと思い出せるさ。香りは記憶の扉を開ける鍵だ」
「この村で、私、もう一度コーヒーを淹れてみたい。いいですか?」
「もちろん。君が“淹れたい”と思ったその気持ちが、すでに大切な記憶なんだよ」
数日後、ファーレン村の宿屋の一角には、小さな喫茶スペースができていた。
村の人々が、興味津々で集まり、リーナの淹れる香り高い一杯を味わう。
「こんな飲み物、初めてだ……でも、すごく懐かしい気分になるな」
「体が温まるし、心までほぐれるようだ」
人々は笑顔を浮かべ、リーナもまた、その中心で微笑んでいた。
達夫は、その様子を静かに見守りながら、魔導コーヒーメーカーの一台にそっと触れた。
「ただの“香り”じゃない。心をつなぐ、記憶の魔法だよな……」
その夜、女神エリシアの元に報告が届いた。
「リーナさんの記憶の一部が戻ったのですね?」
「ああ。魔導コーヒーメーカーが、彼女の心を開いたんだ」
「香りが記憶と結びついているというのは、あなたの世界ならではの知恵です。素晴らしい発見ですね」
女神は満足げに微笑み、達夫に次なる依頼を手渡す。
「次は、“命の調合”にまつわる村です」
「……命の調合?」
「はい。どうやら、“混ぜ方”に問題があるようです」
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