08|偽装 θ
【 機密文書 H.A.3061 - 極秘】
計画名称:対摂理・ジェミニ計画
編纂責任者:OZ
機密指定:最上級機密
【計画目的】
本計画の最終目的は、カルディア:タイプ・ジェミニの創造と、その完全稼働である。 これを実現するため、計画は聖書『枝典神歌』太陽の王国編に記された儀式の規則に基づき遂行される。
【対象条件】
・本計画には、特定の条件を満たす双子の存在が不可欠である。
・双子は親に愛されていないことが必須条件とされる。
・また、無知であること、外部の情報や世界の構造を理解していないことが求められる。
・年齢は5歳から7歳が望ましいとする。
【計画区域と環境】
・計画実施区域として、南ビアンポルト地方に2500平方キロメートルの専用区域を確保。
・当該区域に、計画のための都市「フラトレス」を建設する。
・フラトレスに集められた双子は、12歳になるまで外部の世界および戦争についての知識を一切与えられないものとする。
・双子には、計画の成功を前提とし、あらゆる不安要素を排除した環境を提供する。
・愛情を与え、幸福な環境で育てることが、本計画の最重要事項の一つである。
【計画遂行のための資源】
・本計画の成立には膨大な量のリンネホープが必要となる。
・収集、管理、精製に関する作業は、別途指定された機関によって行われる。
【計画の真の目的】
本計画は、単なる双子の育成計画ではない。最終的には、カルディア:タイプ・ジェミニを駆動するための根源的エネルギーの確保を目的としている。そのためには、大量のリンネホープを供給する必要がある。
【リンネホープ供給計画】
・リンネホープは、人体の死後に生成される鉱石である。
・供給源として、適切な数の奴隷を確保する必要がある。
・奴隷の条件として、家族や恋人、親しい者がいない個体が望ましい。
・各都市の指導者と交渉し、適切な供給ルートを確立する。
・双子たちを収容する「箱庭」の隣接施設として、「檻庭」を設置する。
・檻庭には奴隷を収容し、適切なタイミングでリンネホープへと変換する。
【カルディア:タイプ・ジェミニの本質】
・本機体は、通常の魔導技術ではなく、リンネホープに宿る「意志」の力を利用して駆動される。
・これには、星の掟により禁止されている「対摂理魔法」の活用が必要となる。
・本計画の成功は、アークステラおよび他のコミュニオンに発覚しないことが前提である。
【責任者の任命】
・本計画の真の責任者として、プホラ・フラスコ博士を任命する。
・表向きの計画責任者として、ファウスト博士を配置する。
・ファウスト博士には計画の本質を知らせず、単なる管理者としての役割を与える。
【計画進行上の注意点】
・計画が他機関に露見するリスクを最小限に抑えるため、通信は最低限にとどめる。
・双子および奴隷たちの精神状態を適宜監視し、異常が認められた場合は速やかに処理を行うこと。
・いかなる状況でも、計画の情報が外部に漏洩することは許されない。
計画者:OZ
成功を祈る。
―― 偽装 θ ――
私は、月涙|ツキナ。
この牢獄の庭に閉じ込められた、幽霊のような存在。
狭く閉ざされた「檻庭」。
薄暗く、湿った空気が壁の隙間を這うように流れる。
粗末なベッドと、簡易なトイレ。
それが、私の世界のすべてだった。
鉄格子の窓から漏れる冷たい風が、頬を撫でる。
ゆっくりと指先を伸ばし、錆びついた鉄格子に触れる。
ザラついた金属の感触が、現実の冷たさを突きつけた。
私は、この牢屋の中にいる。
ここが、私の世界。
でも、窓の向こうには、
まったく違う世界が広がっていた。
フラトレス地下都市、『劇場の箱庭』――。
そこは、眩い光に満ちた場所。
天井に吊るされた無数のシャンデリアがゆらめき、
舞台では華やかなショーが繰り広げられている。
照明が回転し、光の波が客席をゆるやかに撫でていく。
その中央――。
赤い絨毯の座席に、一人の少女が静かに座っていた。
エル。
彼女は、夢見るような瞳で舞台を見つめている。
その横顔は穏やかで、
まるでこの世界の悲しみを知らないかのようだった。
――違う。
エル、本当は知っているはずだ。
この世界の痛みも、苦しみも。
君は知っているはずだ。
それでも彼女は、光の中で生きている。
私は、鉄格子の隙間から彼女の姿を見つめた。
まるで、遠い星に手を伸ばすように。
私は、誰?
……そうだ、私は――。
プホラ・フラスコという
錬金術師によって生み出された。
ホムンクルス。
戦争で妻と娘――ドロシーを亡くしてから、
プホラは彼女たちを蘇らせる研究に没頭した。
しかし、彼が創るホムンクルスはどれも失敗作だった。
私もその一人。
……でも。
私は「特に完成度が高かった」らしい。
だからこそ、プホラは私をこの牢獄に閉じ込めた。
彼が本当に創りたかったのは、
彼の記憶にある『理想のドロシー』。
だが――。
私のような/リアルな偽物/は、
彼のトラウマを刺激する、
ただの邪魔者でしかなかった。
この世界に生まれたことに、意味はあるのだろうか。
私は、ただの亡霊。
光の世界を歩くことを許されない存在。
鉄格子の向こう――。
劇場の箱庭では、
エルが微笑みながら舞台を見つめていた。
私とは違う、
希望のある世界で。
静かに、私は鉄格子から手を離した。
指先に残る冷たさが、
まるで「この場所から出るな」と囁くようだった。
空が開けていた。
ついさっきまで、工場プラント一帯を覆っていた黒雲は、
O2の魔法波が突き破ったことで、ぽっかりと円形の穴を開けていた。
その隙間から、午後の陽光が降り注ぐ。
ちぎれた雨雲の間から射し込む光は、天使の梯子のように幾筋もの白い線を描き、崩れた工場群やひしゃげた鉄骨の影を長く引き伸ばしている。
雨粒が残る瓦礫の上に光が降り、儚く煌めいていた。
戦場の名残と、訪れた静寂が奇妙に調和している。
その中心に、O2が立っていた。
全高二十五メートルの巨体。
ルビー色の機体にサファイア色のラインが刻まれた聖鉄の装甲は、砕けたアスファルトの上で鈍く光り、機体の隙間からは湯気のように熱が抜けていた。
戦いを終えたばかりの獣がなおも身を震わせるように、
わずかに肩の装甲が揺れている。
コックピットのハッチが開いた。
機体の胸部に配置されたハッチが、昇降機となって二人を地上へと下ろしていく。
やがて、エルとアルは、硬い地面へと降り立った。
二人はヘルメットを脱ぎ、ほつれた髪を手で払いながら、並んで立つ。
パイロットスーツは、戦闘の余韻を残したまま、埃や焦げ跡にまみれていた。
互いに無事を確かめるように、静かに息を整える。
「……終わった、のかな」
エルが小さく呟く。
その言葉を待っていたかのように、
背後で――異音が鳴った。
ギギッ……ガキィン……ッ!
硬質な機械音。
装甲の摩擦音。
金属が何かを吐き出すような、不吉な響き。
二人は反射的に振り返った。
O2が、口を開けていた。
――いや、正確には、「口のようなもの」。
機体の下顎にあたる部分の装甲が左右にスライドし、
内部の機構が展開されていく。
その奥に、黒く焼け焦げた何かが見えた。
リンネホープだった。
無数の、焦げた宝石が、空へと吐き出される。
それはまるで灰色の雨のように。
虹のような軌跡を描きながら――。
赤い巨体の奥深くから、ガラガラとした音を立てながら、
黒く変色したリンネホープがどんどん吐き出されていく。
それは、焼け焦げた炭のようにボロボロと崩れ、
乾いた灰のように砕け散りながら、機体の足元へと零れ落ちていく。
――どれだけの量が使われていたのか。
――どれだけの命が、この機体を動かしていたのか。
その残酷な「真実」を覆い隠していたベールがいま、消える。
アルは、震える手でそのひとつを拾い上げた。
赤く、黒ずんだ宝石が、指先の体温でほんの少しだけ熱を帯びる。
「これは……」
「こんなものを糧にして、自分たちは戦っていたのか」
エルは、喉を詰まらせたように言葉を飲み込む。
ぽと、ぽと、と。
黒い宝石がアスファルトを叩く音だけが、
冷えた空気の中で響いていた――。
◇
エルとアルを鉄星炉へと招いたのは、一人の男だった。
無造作に伸びた髪、無精髭、痩せこけた体。
キャットウォークで少女と追いかけっこをしていた、あの男だ。
男は、不気味な笑みを浮かべながら言った。
「おかえり、エル、アル。よく頑張ったね」
何者かもわからぬ男に労われることが、ひどく気持ち悪い。
「誰だよ、あんた」
アルが一歩前に出て、エルを庇うように言う。
「まあまあ、入って入って……――サァ!!」
突然、男が声を荒げた。
二人は警戒しながらも鉄星炉の中へと進む。
この男に従うつもりはない。
だが、ケガをしているエメラルドとファウスト博士、
そしてクロとシロの様子が気になっていた。
鉄星炉の扉には、ファウスト博士の血がべっとりと残っている――。
「っ――み、みんな!!」
エルが、不安を振り払うように叫んだ。
負傷したエメラルド、シロ、クロ、そして――。
全身を血に染め、壁にもたれかかるファウスト博士。
その傍らでは、その他の人々が互いに身を寄せ合うように固まっていた。
拘束されていた奴隷たちだ。彼らは、
まるで寒さを凌ぐように、あるいは、恐怖に縋るように。
誰もが沈黙し、縮こまり、息を潜めている。
鉄星炉の内部は、円形の何もない広い空間だった。
中央には檻庭から伸びるエスカレーター、
奥には、カルディアの格納庫へ続くエレベーターがある。
エルは駆け寄ろうとした。
だが――違和感に気づく。
エメラルドが小さく首を振った。
シロは目で何かを訴えている。
クロは強く唇を噛み、怒りと憎しみを滲ませていた。
彼らは――
怯えたように、その場から動けずにいる。
その時。
背後で、無精髭の男が笑った。
「さぁ!! おいでッ!! ドロシーちゃんたち!!」
どこに隠れていたのか。
現れたのは、黒髪にスミレ色の瞳を持つ少女たち。
――十五人。
「なにぃ、パパ!!」
ある少女が、甘えるように言う。
「呼ばないで!! アンタ、お父さんじゃない!!」
別の少女が、男を突き放すように叫んだ。
だが――。
彼女たちは皆、瓜二つの顔をしていた。
ホムンクルス。
プホラ・フラスコが、
亡き娘・ドロシーを甦らせるために創った偽りの人形たち。
「あぁッ!! やはり、どれも違う……こんなのドロシーじゃない……」
男は、一人で高揚し、一人で絶望する。
エルとアルは悟った。
――この男に宿る「狂気」を。
「……きみ……たち……逃げろ……」
ファウスト博士が、尽きかけた命の底から、絞り出すように言った。
「……そ、いつ……が……この、計画の……真の――」
刹那。
その言葉は、途切れた。
いや――ただの沈黙ではなかった。
博士の胸部に、ぽっかりと穴が開いている。
本来あるはずの心臓が、何者かによって抉り取られていた。
そして、その場に響く、じわじわと沸騰するような笑い声。
「クッ、ハハ……っははははは!!」
無精髭の男――、いや。
プホラ・フラスコが、腹の底から嗤う。
まるで壊れた人形のように。
その足元には、一体の異形が傅いていた。
クロユリの頭。四本の腕。
幼子のように小さな身体。
悪魔・メフィスト。
その細い指が握りしめていたもの――。
それは、ファウスト博士の『ブリキの心臓』だった。
「うっ――そ、そんな……。ありえない……」
エルの顔が恐怖に引き攣る。
ファウスト博士が死んだ。
だが、それだけではない。
彼もまた、ブリキ人形の住民の一人だった。
――なぜか、その真実がすんなりと理解できてしまう。
「う、うそだろ。……博士も……?」
アルが、受け入れがたい現実に啞然とする。
「はははっ。驚いてくれて嬉しいよ。俺の錬金術は凄いだろう?」
プホラが、楽しげに自慢するように言った。
「フラトレスにいた、ただのブリキ人形とは違ってね……ファウスト博士は特別なんだよ。
人間の身体に、ブリキの心臓を使って創ったんだから」
――人間の身体に、ブリキの心臓。
その言葉が頭にこびりつく。
そして――。
プホラがゆっくりとアルを指差した。
「……あぁ、そうだ。君もだよ」
その瞬間。
アルの心臓が――
キシ、キシ、と、嫌な音を立て始めた。
なぜ?
なぜ……?
心臓よ、
どうして、ドク、ドクと脈打たない?
アルは胸を押さえながら、自問を繰り返す。
その問いに、答えたのはプホラだった。
「君たち、ラズライトの双子。エルちゃん、そしてアルくん」
「洗脳は解かれたようだけど、まだ思い出していないことがあるんじゃないか?」
「たとえば……そう。フラトレスに連れてこられる直前の記憶、とか」
次の瞬間。
エルとアルの記憶の箱が、
鍵を外されるように――開いた。
そして、すべてを思い出した。