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05|起動 ε

「それじゃあ、僕はここまでかなー」


 気の抜けた声。

 

 アサンは、黒のフルフェイスヘルメットを被り直しながら言った。

 プラチナブロンドの長い髪の先端だけが、

 ヘルメットの下から覗いている。


 どこまでも飄々としていて、その本心は誰にも読めない。


「ここから先は君たちの物語ってことで。

 ボクはこのへんでお暇するよ」

 

 彼はバイクのエンジンをかけながら、肩をすくめた。


「……まぁ、またどこかでね。

 運命の輪ってやつは、時々妙な悪戯をするからさ」


 エルが小さな声で問いかける。


「――あ、あなたの名前は……?」

 

 アサンは振り返ることなく答える。


「アサン・クロイヴ。……通りすがりの旅人だよ」



 ――バイクのエンジンが唸りを上げる。

 


 黒い車体が雨の中を疾走する。

 ヘッドライトの光が水しぶきを照らし、

 アサンの影が揺らめく。


 そして――。

 その姿は、闇の中へと溶けていった。



 誰にも、引き留めることはできなかった。



 その姿を見送る暇もなく。


 子供たちの前には、傷だらけのファウスト博士が立っていた。

 片手で腹部の傷を押さえながら、もう片方の手を重たげに扉へとかざす。


「君……たち、に……見せたいものが……」

 

 疲れ果てた声。

 息は荒く、皮膚は青ざめている。


 それでも博士は、

 巨大な鉄星炉の入り口へと手を伸ばし、

 指紋認証のパネルに触れた。


 ――機械音とともに、扉がゆっくりと開く。


 博士の手から滴る血が、認証パネルに赤黒い跡を残す。


「博士……ケガ……」


 シロが不安そうに呟き、エルも小さく頷く。


「ありがとう……大丈夫だ……」


 博士は静かに微笑む。

 だが、その表情は痛みに歪んでいた。


 背後では、アルが担架に横たわるエメラルドを背負い直し、クロがそっと手を貸している。皆、疲労しながらも、静かに炉の中へと歩を進めた。



 扉の先には――。

 息を呑むような光景が広がっていた。



 暗闇の中、無数の金属パイプが天井へと這い上がり、その管の中を、色とりどりの宝石が流れるように運ばれていた。赤、青、緑、紫……まるで命の色彩が凝縮されたような輝き。しかし、それが何であるかを理解した瞬間、子供たちは凍りついた。


 遺志残響宝石/リンネホープ。

 それは死者の心臓が宝石へと変化したもの。


 そして、そのすぐ側のエスカレーターには――。


 鎖をつけられ、兵士たちに引かれながら、痩せ衰えた人々が静かに運ばれていた。

 男も女も、大人も子供も、誰一人声を上げない。声を出す気力すらないのか、それとも口を開けば処刑されると理解しているのか。彼らの顔は骨ばっており、皮膚は乾いた紙のように張りつき、目だけが異様に落ち窪んでいる。服はぼろ切れと化し、手足には深く食い込んだ手錠と足枷の痕が生々しく残っていた。


「……なんだ、これ……?」


 クロの声がかすれる。エメラルドを支えていたアルも、足を止めてエスカレーターの先を見つめた。

 兵士たちは無言だった。剣を腰に下げ、黒鉄の鎧に刻まれた「XCiX」の紋章が不気味に輝く。


 エスカレーターの行き先――。

 それは、パイプが繋がる巨大な機械へと続いていた。


 処理場。


 そう直感した瞬間、ファウスト博士が懐から取り出した小さな球体を床に叩きつけた。

 紫色の煙が広がり、兵士たちが次々と崩れ落ちる。

 ファウスト博士が祖式錬金術で生成した、お手製のビリビリガス爆弾である。


「これでも……錬金術師、なんでね」


 博士は口元に血を垂らしながら微笑む。

 苦しげな声ではあったが、その瞳にはかつての誇りが戻っていた。


 バタン――。


 拘束を解かれた奴隷たちが、ゆっくりと膝をついた。

 誰もが飢えに震え、青白い肌を晒していた。


「……助けたのに、なんでそんな目で見るんだよ……」


 アルが小さく呟く。


 彼らの目には、安堵よりも疑念が浮かんでいた。

 この五年間で、フラトレスの子供たちが「楽園」で過ごしていた間、彼らはどれだけの地獄を味わってきたのか。その違いは、あまりにも残酷だった――。


「私……ドロシー」


 ぽつりと、幼い声が聞こえた。


 エルたちが振り向くと、黒い髪にスミレ色の瞳を持つ少女が立っていた。

 彼女は震えながら、囚われていた人々の群れを見渡し、たった一つの言葉を口にした。


「ねぇ……お父さん、知らない?」


 その問いに、誰もすぐには答えられなかった――。




   ―― 起動 ε ――




 エメラルドは、鉄星炉の一階にある簡易ベッドに横たわっていた。


 奴隷の中にいた元魔法医師の女性が、彼の診察をしている。

 彼女は長い銀髪を後ろで束ね、穏やかな瞳でエメラルドの様子を確認しながら、魔法を込めた布を額に当てた。


 彼の息は浅く、苦しげだったが――。

 しばらくすると、表情がわずかに和らぐ。


「……ひどい傷ですね」


 魔法医師の女性は、

 包帯を巻いた右足と腰にそっと手を添え、魔法の光を灯した。


「出血は止まりましたが、骨と筋肉にダメージが残っています。歩けるようになるまで、しばらく安静が必要でしょう」


 そう言って、彼女は静かに立ち上がった。


「ですが――命に別状はありません」


 診察を終え、彼女がその場を離れると――。

 横で見守っていた子供たちが、ほっと息をついた。


 エメラルドは、うっすらと瞼を開け、

 ゆっくりと息を吸い込む。


「……みんな」


 クロ、シロ、エル、アル。


 その顔を、ひとりひとり確かめるように見つめる。


 そして、かすかに微笑んだ。


「大丈夫……。僕は、ちゃんと生きているから」


 その言葉に、エルの瞳が潤む。

 シロが小さく頷き、クロとアルはそっと肩を落とす。


「……よかった」


 エルが、か細い声で呟いた。


 エメラルドはもう一度、微かに微笑み――。

 そして、疲れ果てたように眠りについた。


「動かないでください!」


 医師の女性が、鋭い声を上げた。


 彼女の視線の先――。

 

 腹部の傷を押さえながら、

 ファウスト博士がゆっくりと立ち上がる。


「あなたの傷は深いんです。無理をすれば――」


「……私はいい」


 博士は、痛みに耐えるように奥歯を噛みしめながら、

 ゆっくりと息を吐いた。


「今は……この傷よりも、子供たちに見せたいものがある」


 医師の女性が制止しようとするが、博士は首を振る。


 そして、壁に手をつきながら、

 確かな足取りで歩き始めた。


 その瞳に宿るのは、迷いのない決意。


「君たち、来なさい」



 …………、


 ……、



 クロ、シロ、エル、アル、そしてファウスト博士。

 そこになぜかドロシーと名乗る少女も加わり、彼らはエレベーターへと向かった。


「ついてきて……アレを……見せなければ……」


 ファウスト博士は腹部の傷を押さえながら言う。



 巨大な鉄星炉に備えられたエレベーターは、

 円筒状の炉の壁を這うようにして上昇する。

 


 エレベーターの側面はガラス張りになっており、外の景色がよく見えた。


 無数の煙突が立ち並ぶ工場プラント、交錯するパイプ、雷のように閃くスパーク。足元には、はるか下方に広がる炉の底が闇に沈んでいた。地面が徐々に遠のいていく感覚に、クロとシロは思わず手すりを握る。


 外は雨だった。昼か夜かも判別できないほどの分厚い曇天が広がっている。雨粒がガラスを叩き、時折稲光が工場プラントを瞬間的に照らす。無機質な鉄と蒸気の都市が、荒廃した機械仕掛けの世界のように広がっていた。


 エレベーターが最上階に到達すると、重い金属音とともに扉が開いた。


 目の前には、巨大な円筒状の空間が広がっていた。そこはハンガーだった。


 キャットウォークが炉の壁に沿って何層にも巡らされ、いくつものクレーンと機械アームが静かに佇んでいる。下を覗くと、足がすくむような高さ。円筒の底は暗闇に沈み、もうさっきまでいた一階の姿は見えなかった。


 炉の中央には、背中合わせに二つの長方形のハンガーがあった。

 その一つへと向かい、ファウスト博士が扉の前で立ち止まる。


「ここにあるのが……エルとアルの、誕生日プレゼントだ」


 ハンガーの扉がゆっくりと開かれた。

 次の瞬間、目の前に広がったのは、圧倒的な存在感を放つ機体。

 

 カルディア:タイプ・ジェミニの機体開発は、

 四年前の設計を基にさらなる進化を遂げていた。


 高さ25メートル。


 ハンガーに足を踏み入れた瞬間、圧倒的な存在感を放つ機体が視界を支配する。燃え盛る炎のごときデザイン――その装甲は、幾重にも重ねられた聖鉄によって構築され、まるで炎が層を成して舞い上がるような意匠が施されていた。


 全身に刻まれた鋭角的なパーツが、戦場を駆けるための剛健さと、洗練された機動性を兼ね備えた姿を形作る。長き眠りから目覚める獅子のように、その装甲は生き物のような躍動感を持っていた。


 頭部には王冠を模した構造体がそびえ立ち、その中心には魔力供給回路を組み込まれたレンズが埋め込まれている。それはまだ沈黙を保っていたが、ひとたび覚醒すれば、燃え盛る紅蓮の輝きを放つことになるだろう。


 腕部は、強大な力を誇ると同時に精密な制御を可能にする造形。

 手甲には炎を象った装飾が施され、各関節には新型推進ノズルが搭載されていた。この機構により、瞬時の加速と方向転換が可能となる。


 脚部は、大地を踏みしめるための圧倒的な強靭さを誇る。

 逆関節のサポートユニットは改良され、重心の安定性がさらに向上した。

 新型アクチュエーターが搭載され、より精密な動作制御が可能となっている。


 そして、背部には展開可能なエネルギーユニットが静かに佇んでいた。

  四年前には純粋な推進装置として設計されていたが、現在の仕様では、収納形態のままでもエネルギー供給が可能となり、戦闘時の効率を大幅に向上させている。いずれこのユニットが解放された時、それはまるで燃え上がる太陽の翼となるだろう。


 その全貌を目の当たりにし、エルとアルは息を呑んだ。


「これが、わたしたちの――?」


 驚愕と畏怖が入り混じる視線で、彼らは紅蓮の巨影を見上げる。

 後ろでは、ドロシーもまた、目を見開いたままその場に立ち尽くしていた。

 

  

     ◇

 ◆ ◇ ◆

     ◇



 ハンガーの奥、もうひとつの格納庫。

 その巨大な扉が軋む音を立てながら開かれた。


「これが……クロと、シロ……の……誕生日プレゼント……」


 中に佇むのは、もう一機のカルディア:タイプ・ジェミニ。


 同じく。高さ25メートル。


 機体はまるで夜と昼の狭間に生まれたかのような、モノクロームの装甲を纏っていた。

 ブラックオパールとホワイトオパール――その名の通り、

 機体は左右でまったく異なるデザインを持つ。


 左半身は闇をまとったような漆黒の装甲。


 シャープなラインが幾重にも重なり、鋭利なフォルムが際立つ。肩部には突起が伸び、刃のように鋭いエッジが光を反射している。腕部や脚部の装甲も細身でありながら、切り裂くような曲線が流れるように組み込まれ、まるで闇を切り裂く刃のごとく鋭く設計されていた。指先は五本の爪のように細長く、それぞれの関節に黒曜石のような硬質な意匠が施されている。脚部は跳躍とスピードを重視した作りになっており、関節には流線形のスラスターが組み込まれ、闇の中を駆け抜けるような俊敏な動きを可能にしていた。


 一方、右半身は雪のごとき純白の装甲。


 曲線を主体とした柔らかなデザインで構成され、流麗なフォルムが目を引く。肩部は円形の装甲に覆われ、柔らかく光を反射する白銀のラインが流れるように彫り込まれていた。腕部は滑らかで女性的な印象さえ与え、指先は繊細な機構によって柔軟な動きを可能にしている。脚部もまた曲線を活かした造形で、内部には衝撃を吸収する特殊機構が組み込まれていた。


 二つの異なる意匠を持ちながらも、それらは不思議な調和を生み出していた。


 頭部には左右対称の意匠が施され、中央には一対の角のような装飾が伸びている。

 左側は鋭利で細長く、まるで刃のようにそびえ立つ。

 一方の右側は曲線を描きながら優美に弧を描き、金属の光沢を放っていた。


 そして、胸部には二つの異なる魔法起動円盤/ディアノイアが搭載されていた。


 黒側は「破壊の魔法」を秘め、白側は「守護の魔法」を宿す。

 まるで相反する力を抱きながらも、それを均衡させるかのような存在。


 背部には、展開式のスラスターウイングが組み込まれていた。左右で異なる形状を持ち、黒側は細長く鋭く伸び、白側は翼のように広がる形をしている。


 これが、ブラックオパールとホワイトオパールの機体。


 二つの魂を宿し、光と闇の狭間に生まれたカルディア。

 ――その姿は、まさに双子の宿命を象徴するものだった。



 静寂が支配するハンガーの中で、シロは息をのんだ。


 モノクロの巨影が、厳かに鎮座している。片側は黒く鋭利なラインで構築され、もう片側は白く優雅な曲線が交じる、まるで双子の魂を映し出したような機体だった。


「きれーい。ね? クロ」


 感嘆の声を漏らしながら、シロはそっとクロの袖を引いた。

 しかし、隣にいるはずの姉は何も言わなかった。  


 いや、彼女の唇は震えていた。



「目の前にそびえ立つ機体。それは、あまりにも美しく、しかし冷たかった」

「まるで、過去を封じ込めた棺のように」

「その瞬間、クロの頭の奥で何かが弾けた――」


「……、…………」



 ただ、虚空を見つめたまま。  


 その黒の瞳には、何かが込み上げていた。

 驚きではない、感動でもない。それはまるで──。


「ねぇ、クロってば」

 

 シロがもう一度声をかけたその瞬間、クロは震える声で呟いた。


「ぜんぶ…………全部、思い出したんだ」


 シロの眉が寄る。  

 その言葉が何を意味するのか、理解できなかった。


「え?」


 クロの拳がぎゅっと握られる。血が通うその手が、微かに震えている。  

 そして──。


「今まで私たちを騙してきて……なにが誕生日プレゼントよ」


 クロは、ついに憎悪を吐き出した。


 すべての記憶が蘇った。

 笑顔で祝福していたはずの誕生日、

 その裏に隠された真実。

 ここに閉じ込められた日々。

 失われた時間。  

 友達の死。  

 奪われた生きる意味。

 己の意志を塗りつぶされてきた絶望。


 全てが、今、繋がった。


「くっ……ク、……ロ……」


 クロの荒ぶる声に、ファウスト博士は苦しげに呻いた。


 彼は、もう立つことすらままならなかった。

 傷だらけの身体が、支えを失い、キャットウォークにずるりと腰を落とす。

 床に広がる血溜まり。

 赤い滴が網状の金属床を通り、遥か下の暗闇へと吸い込まれていく。

 

「まって……く、れ……はなそう……と……」


 弱々しく伸ばされたファウストの手は、虚空を掴む。


「自分から……はなそう……と……」


 その声はすでに掠れていた。


「うるさい。噓つきの言葉なんて聞きたくない」

 

 クロは冷たく言い放つ。  

 その言葉に、シロは戸惑いの色を浮かべた。


「クロ!! ねぇ……博士。大丈夫?」


 シロが駆け寄ろうとするが、クロは腕を伸ばし、妹の進行を制した。


「プレゼント……なんでしょ?」


 クロの足が、ゆっくりと動く。  

 その視線の先には、巨人の胸に備えられたコックピット。    


「じゃあこれは私たちのものだ」


 彼女はためらいなく、その機体へと歩みを進める。

 背後の誰もが止めることができなかった。  

 それはクロの決断であり、そして──。



 目覚めの始まりだった。


 

 ファウスト博士は血の気の引いた指先で、ローブの内側を探る。

 そこには、いつも胸元にしまっていた手帳があった。


 震える手で取り出し、キャットウォークの冷たい金属の床に横たわりながら、そのページに神声文字を綴り始める。赤黒く染まるページに、書き記されたのは解呪の魔法だった。


「……すま……ない……」


 そう、彼は最後に囁いた。


 次の瞬間、エル、アル、シロの頭の中に、突き刺すような鋭い痛みが走った。

 三人は思わず頭を押さえ、呻く。


 そして、思い出す。


 忘却されていた、自分たちの過去を。


「なんっ――だよ、これ!!」


 アルが苦悶の声を上げた。


 フラトレスがシェルターではなく、ただの牢獄だったこと。

 自分たちは、"英雄"などではなく、閉じ込められ、操作されていただけだったこと。

 彼らが抱えていた小さな違和感は、氷のように冷たい現実となって突きつけられた。


「そう!! それが真実よっ!! 私の怒りも、理解できるでしょ? ねえ!!」


 クロが笑う。その表情は、歓喜と怒り、絶望が入り混じる狂気に染まっていた。

 だが、シロだけは違った。震える声で言う。


「でも……博士は……」


「そいつは!! 私たちを騙してたんだッ!!」


 クロは、鋭く妹を睨みつけた。


 ファウスト博士は、もはや立つこともできず、キャットウォークに崩れ落ちていた。


 その時だった。


「お、おぉい!! ドロシー? ドロシー?」


 突如、場違いな声が響く。

 乱入者だった。

 髪は無造作に伸び、無精髭を生やした、痩せ細った男。


 みすぼらしい格好で、片足を引きずりながらキャットウォークを歩くその姿に、誰もが一瞬、状況の理解を失った。


「ドロシー……? ドロシー……?」


 そう呼ばれた少女、黒髪にスミレ色の瞳のドロシーは、顔をしかめる。


「いやっつ。お父さんじゃないもん!!」


 そして、なぜかキャットウォークの周りを逃げるように走り出した。


「ドロシー!!」


「ドロシー!!」


 なぜか追いかける男。


 キャットウォークの上で、二人はくるくると回りながら追いかけっこを始める。

 呆気に取られるクロとアル。


「……何なの、こいつ?」


「知らない……」

 

 真剣な場面に突如現れた、異質な空気。

 その空気を切り裂くように、雷鳴が轟いた。


 …………、


 ……、


「――却下だ!!」


 場所は、ソルトマグナ。


 巨大なクジラの骨格が街の屋根として使われた、独特の景観を持つ都市。

 その市庁舎。クジラの頭骨を利用して造営された会議室の中央。


 石造りの机を叩き、強く言い放ったのは、ダンコだった。


「この地方を統べるコミュニオンがどこかは知っているだろう?」


 冷たく、静かな声。

 そこに立つのは、オセ・ツァザルディオ。


「だからって……人を売れ、なんて。頭がおかしいんじゃないか??」


 ダンコの言葉に、オセの双眸が冷たく輝く。


「黙れ」


 次の瞬間。

 ダンコの首が掴まれた。

 オセは、片手で軽々とダンコを持ち上げた。

 その巨体。2メートルを超える威圧感。


「ぐッ……はァ……っ!!」


 肺が圧迫され、息が詰まる。ダンコはもがきながら地面に叩きつけられた。

 オセは、まるで何の興味もないかのように、彼を雑に投げ捨てる。

 荒い息を吐きながら、ダンコは口の端から唾液をこぼした。


「はっ、それでも一コミュニオンの長か。貴様のような者は、何も考えず、力ある者にへりくだっていればよかったものを」


 冷酷な声が響く。

 オセはダンコを見下ろしながら、淡々と続ける。


「己を着飾るための正義感や倫理観など、結局は自分の首を締めるだけだ」


 そして、静かに宣告する。


「これが最後だ。貴様の街から、六人――誰でもいい、寄こせ」


「なっ……なんのために…………」


 ダンコがかすれた声で問う。

 オセは嘲るように笑い、淡々と告げた。


「貴様に知る必要はない」


 …………、


 ……、


 鉄星炉の揺れは、まるで世界そのものが軋むような重低音を響かせた。

 無数のパイプが軋み、天井の鉄骨がきしんで鳴る。

 その中で、キャットウォークの上を走り回っていた二人の声が、甲高く空間に響いた。


「ドロシー!!」


「いや~~っ!!」


 謎の男は必死に手を伸ばし、ドロシーは身をよじりながら逃げる。キャットウォークの狭い足場の上を、二人は鬼ごっこのように走り回っていた。だが――その瞬間、耳を劈くような爆発音が轟いた。



 ――ズゥンッ!!!



 大気そのものが震えた。


 鉄星炉の構造全体が、一瞬だけ波打つように歪む。

 そして、外の空を覆うように、鋼鉄の影が迫っていた。


 六機の機体――。


 雨の降りしきる工場プラントの上空を、カルディアの群れが飛行していた。全機が統一された無機質なデザインをしており、艶消しの濃い灰色の装甲が雨に濡れ、光を鈍く反射していた。その胸部には、統一された識別ナンバーが刻まれている。


 ――《X6》。


 それは、ただの識別ではない。兵器としての記号だった。


 音もなく、工場プラントの上空に浮かぶ六機のカルディアが、鉄星炉を取り囲んだ。雨粒が機体の表面を滑り落ち、金属の煌めきがちらつく。その冷たいシルエットの中で、彼らは動き始めた。


 ――カルディアの両腕が、前方へと突き出される。


 カルディアの指が、器用に形を作り出す。それは、どこか神聖な印のようだった。六機の機体が同時に指を動かし、「蹄鉄」のようなU字を組む。その瞬間――空間に圧がかかった。


 パイロットたちの無機質な声が、通信によって同時に響く。


「《X6(エクシクス)REPLICA(レプリカ)》――詠唱開始(アンカー)


 それと同時に――。


 六機のカルディアの全身が、白銀色の光に包まれた。


 機体表面に、網目のように走る魔力血管が浮かび上がり、閃光のごとく輝き始める。機体がまるで生きているかのように、微細な振動を起こしながら鼓動していた。雨が、その輝きに反射し、六つの光が暗闇に浮かび上がる。


 ――空間が、歪む。


 次の瞬間。


 六機のカルディアが同時に放った。


 指先の蹄鉄の印から――魔法波が炸裂する。


 純粋な魔力の奔流が、六方向から鉄星炉を貫いた。


 それは、空間を引き裂く光の槍だった。鋭く、凄まじく、そして圧倒的な破壊力を持っていた。刹那――天井が崩壊し、火花が飛び散る。鉄骨が爆ぜ、鋼鉄の破片が降り注いだ。ハンガー全体が、破壊の衝撃に軋む。


「っ――!!」


 爆風が巻き起こる。


 エル、アル、クロ、シロ、ドロシー、そして謎の男――全員が身を低くして耐えた。

 だが、彼らのすぐ近くにある二機のカルディアは――。


 ――傷一つない。


 破壊の嵐が吹き荒れる中、そこに聳える二機の巨体は、動じることなく佇んでいた。ルビーの輝きとモノクロの対称の機体。いかなる攻撃をも受け付けないかのように、堂々とその場に立っていた。


 そして――。


 切り離された鉄星炉の上部が、重力に従って落下する。

 爆発とともに、工場プラントの下層部へと崩れ落ち、轟音が響き渡った。


 だが――。


 まだ終わっていない。


 カルディア:タイプ・ジェミニ。


 その巨影が、雨の中で――ゆっくりと目を覚まし始めていた。 



 ◇ 

  ◆



「エルっ!! こっちだ!!」


 アルの叫びが雨音に溶ける。

 彼はエルの手を引き、キャットウォークを駆け出した。

 

 エルは驚きに目を見開いたまま、足を止めかける。


「ねえアルっ――どうするの?!」


「乗るんだよ!! 二人で、カルディアにっ!!!」


 力強いアルの言葉に、エルは息を呑む。

 彼の手を握る力は強く、まるで迷いを振り払うようだった。


 二人はキャットウォークを駆け抜け、機体の胸部へと続くアクセスブリッジへと向かう。鋼鉄の足場は雨で濡れ、滑りそうになるが、アルは一切の迷いもなくエルを引っ張り続ける。


 ――。

 二人は無我夢中でハッチの前へたどり着き、滑り込むように内部へ入った。


 コックピット内は、まるで宇宙船のような未来的な構造をしていた。


 二つのシートが並び、目の前には巨大なホログラムモニターが広がる。360度の視界が外の世界を映し出していた。頭上には操作インターフェースが並び、各種スイッチとレバー、タッチパネルが配置されている。


 壁には二人分のパイロットスーツが収納されていた。

 フルフェイスのヘルメットもセットされている。

 

 エルは驚きの声を漏らす。


「すごい……かっこいい……っ」


 座席の上には、一冊のマニュアルが置かれていた。

 『O2‐VEiL:THE SUN マニュアル』と刻まれている。


 アルはそれを見て、呟く。


「オーツー……それがこいつの名前なのか?」


 エルはすぐにマニュアルを手に取り、ページをめくる。

 しかし、その内容は細かい説明と技術用語で埋め尽くされていた。


「って、うわ~。文字がいっぱいだ」


「貸せ」


 アルはマニュアルを受け取り、すぐに内容を読み始める。

 その速読ぶりにエルは目を丸くする。


「すごっ! それで読めるの?」


「箱庭では読書ばっかりしてたし。――それより、エル。スーツ先に着てて」


 エルはパイロットスーツを手に取り、装着し始める。


 エルのスーツは鮮やかなルビー色。アルのスーツは深みのあるサファイア色。

 ヘルメットのバイザーには、白く淡い光が浮かび、搭乗者の表情が映し出されていた。


 ――。

 アルは、マニュアルを手に取る。


「いけるか? エル」


「うっ――やるしかないもん」


 アルは迷いなく、ホログラム操作盤を開き、手をかざした。


「よし……マニュアル通りに――。エル、クラヴィス出して」


「え、えぁ――うんっ」


 二人は腰のブックホルダーからクラヴィス(魔導書)を取り出す。


 エルのクラヴィスにはアーキ語で『フラマの踊り子』。

 アルのクラヴィスにはアーキ語で『フラマの木こり』と記されていた。


 アルはクラヴィスを操縦盤のスロットに差し込む。


「『フラマの木こり』――アンカーダウン!!」


 エルも続く。


「『フラマの踊り子』……えと、――アンカーダウン!」


 クラヴィスがセットされた瞬間、コックピット全体が眩い光に包まれる。


 操作パネルに幾何学的な魔法陣が浮かび上がり、その光が無数の線となってホログラムディスプレイへと流れ込んでいく。機体の駆動システムが起動し、エネルギーフィールドが形成される。


 アルはマニュアルの詠唱ページを開き、深く息を吸った。


「ボクからいくよ、エル」


 エルはごくりと唾を飲み込み、緊張した面持ちで頷いた。


 二人は向き合い、声を合わせる。




 ≫ 天翔ける炎の御子よ―― ≪



 ≫ 輝ける陽は空を舞い―― ≪



 ≫ 双つの魂、赤き契りを結ばん―― ≪



 ≫ 汝ら誓え、永遠の焔に―― ≪



 ≫ 燃ゆる血潮を捧げ―― ≪



 ≫ 星々の炎冠を守り継がん―― ≪



 ≫ 天照らせ、火よ滅ぶことなかれ―― ≪



 ≫ 燃え盛る意志は消えず―― ≪



 ≫ 双子よ、太陽の祝福とともにあれ―― ≪




 そして最後に、二人は声を揃えて、叫ぶ。



「《O2(オーツ―)VEiL(ヴェイル)THE SUN(ザ・サン)》――セット・セイル!!」



 その瞬間――。



 機体が鼓動を打った。


 カルディアの全身が発光し、装甲の隙間から白銀色の魔力血液が蒸気のように噴き出す。


 コックピット内には警告音が鳴り響き、システム起動のプロセスが次々と進んでいく。


 ――機体の眼が、赤き太陽の輝きを灯した。



 その瞬間、すべてが動き出した。

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