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序章

改(6/28)



徒丸(かちまる)(あや)、九州支部に異動だから、来週には向こう行けるようにしといてね」

 ぷくりと膨らむ局内テラスの梅の蕾をぼんやり眺めていると、上司から唐突にそう告げられた。

 表向きには所属していない扱いなのに異動というものがあるのか、と彩は少し疑問に思った。

 その後帰宅し、両親に報告。

「あー、そか。んじゃ行ってきなよ。親戚がいるし、下宿させてもらえるよう頼んどくからさ」

「……試練」

 前者はざっくばらんな母、後者は度が過ぎているくらい寡黙な父。突然の異動に疑問を持ったり異を唱えたりはしなかった。

 彩の背中あたりまで伸びた艶のある濃藍の髪を梳くのが好きらしい母は、しばらく出来そうにないからやらせてよぅ、と駄々をこねた。仕方なく櫛を渡して任せた。

 父は死ぬなよ、とまるで死地に赴く兵士にかけるような――いつどこがどうなるかわからないのであながち間違いではないが――言葉をかけるだけで、仕事に戻っていった。本当に放任主義な父だ。

 彩は父と母を足して二で割ると丁度いいなと考え、すぐにそれってボクだ、という結論に思い至り小さく嘆息した。丁度良くなっていればいいけど、どう考えても自分は母親に近くて、甘えん坊だ……と彩は自覚していたからだ。

 ――その一週間後。彩は新幹線という名の軽装甲列車の座席で好物の大福を頬張っていた。

 彩が元いた関東から九州に向かう、列車とある特別車両。今どこだろうと思い窓を見るが、地下を走る列車に景色もなにもあったものではない。見えるのは暗闇と、厚いガラスに映る、大福を口元に付けた中性的で母親にそっくりな彩自身の顔だけ。

 そもそも特別車両以外には窓なんてものはないわけだが、あっても意味ないんじゃない、と彩は考える。

「はー……」

 彩以外に人影がない車両に、溜息が響く。

 ――暇だ……。

 関東から九州までの列車だが、安い列車のチケットを買ったのがいけなかったのか、やたらと遅い。

 装甲列車なのだから当たり前かと彩は思ったが、それにしてもこれは遅い。関東で一日ぐるぐると同じ路線を廻っている地下鉄の方がよっぽど早い。ローカル線に乗って自分探しの旅をしている気分だった。

 傍らにある彩の聖脈交絆機構(レイライン・リンカー)――親指大、半球形のサファイアが嵌められている手甲の整備は既に入念過ぎるほどやってしまった。万が一の作動不良が起こるなどありえない。むしろ普段よりよく聖脈(レイライン)交絆(リンク)出来るはずだ。

 持ってきた本は読み終えた。彩は元々あまり本を読まないが、携帯電話の充電が半分を切ったところでやらない方がいいかな、と指先の作業を止めてから数時間、ゆったりと地下を走る列車の中で黙々と読んでいたら、いつの間にか後味の良い完結まで辿り着いていた。

「暇ぁーどぅあー……」

 携帯電話、本、聖脈交絆機構。最低限しか持ち込まれていない彩の荷物の中には他に常備薬くらいしかない。出発する前に送った荷物の大部分は既に下宿先に着いているだろう。

 広めの座席、その肘掛に備え付けられているボタンの一つを押せば車内サービスのお姉さんがやってきて多少は相手をしてくれるかもしれないが――それはあくまで一般乗車客に対してなら、という話だ。

 彩が乗っているのは〝自衛局〟という、武力を保有する組織に属する人間限定の特別車両。

 局員に向けられるのは国を護る英雄への敬意か、力を持つが故明確に『違う』人間に対する畏怖なのか。

 数十年前から現在西暦二〇二一年に至るまで戦争の絶えないこの世界、極東の島国である日本が『生き残れて』いるのは、その特別車両に乗る局員のおかげなのだから、

 ……普通の対応なんてないよね。向けられるのは、大抵紛い物の感情や言葉なんだし――。

 彩は最初に飲み物を頼んだ時の、精一杯笑顔を浮かべる女性を思い出す。

 ぱっと見ると別に違和感はないが、あの女性の場合は、

「番長と、使いっ走りかなぁ……」

 彩は、思った通りのことを呟いた。退屈になると考えることまでおかしくなるなぁ、と彩は何度目になるか分からない重苦しい溜息をつく。

 特別車両に乗るような身分ならもっといいものに乗ればいいと思うが、春先のこの時期は局員の異動も多くどこも一杯だ。

 それに結構な割合で局員の中には権力を笠に着るような人間もいるので、彩はそういった連中と同じになるなら、とあえて過疎っぽい格安ボロ列車で移動することにし、その狙いは当たった。

 彩には特に急ぐ用事があるわけでもないので、不愉快な気分にならないだけいいことはいいのだが……やはり退屈は人を腐らせるのだろう。

「……にしても」

 遅かった車速が遅くなっているような気がしていた。

 目を凝らして窓の向こう、ぽつりぽつりと設置された電灯に照らされた薄暗い壁を見る。電灯が辛うじて一本の線に見えていたはずだが、今は既に一つ一つの電灯が見て取れる。明らかに速度が落ちているようにしか見えない。

 と、思うと同時、車内アナウンスの無機質な女性の声が列車に響いた。

『現在、進路上の線路に障害物が確認されたため、これより撤去作業に移行します。しばらく停車致しますので、申し訳ありませんがそのままお待ち下さい。繰り返します――』

 ちょっとした落石でもあったのか――嫌と言うほど鋼鉄で内壁を固めた地下空間にそれはないだろうが――、それとも何か、整備員の持ち物でも落ちていたのか。

 どうにせよ、彩にとって退屈な時間が伸びただけということには変わりなかった、


 ――はずだった。


 本来自動であるはずの扉が、乱暴に開け放たれる。特別車両の隣は運転席がある先頭車両と、車掌や従業員などが乗り込んでいる車両だ。そのうち運転席側でない方に通じる扉が開けられたということは、そういう関係者がここに踏み込んできたのだろう。

 胸に付けられた日本鉄道の所属を示す、『日鉄』という文字をいい方向に芸術的に変形させたロゴマークを中央に据える金色の丸いバッジを見ると、ある程度の地位を持っている人間なのだと彩は認識する。

 車掌さんかな……。

「すっす、すみませんっ、乱暴な行動で……! し、しかし、報告が……!」

 車掌と思われる中年の男は、顔面蒼白で見ている側まで一緒になってしまいそうなほど慌てていた。目は焦燥に見開かれ、額には汗が浮かんでいる。

「どうしたの?」

「かっ、徒丸彩様……! 他に同乗している方は……いないのは知っているだろう俺! くそっ、なんだってこんな時に!」

 彩が席を立ち車掌に問うと、車掌は彩を様付けで呼んだ後自問自答、そして露骨な舌打ちをする。

 明らかに何か拙いことが起こったんだろうな、と彩は確信に近いものを得た。焦り方が尋常でなく、様付けするほど上と見ている彩の前で素が露呈している責任者を見れば一目瞭然だ。

「徒丸様、誰かに連絡を取れませんか! カメラでなんども確認した……あんな、あんなものが近付いてるということをお客様に知られる前に『自衛局』に排除してもらわないと、列車内が……いや、日本中がパニックになる……っ」

「局に報告して人間を派遣するほどの事態なんですか?」

 彩は『局員の親族』という立場でこの特別車両に乗っている。

 局員だから、その子供が局員であるという確証はないため、車掌は彩に仔細を説明するのを躊躇った。が、隠したまま連絡をとれというのはおこがましいか、と呟いて車掌は彩に言う。

「む、〝(むくろ)〟です……あの化物が一体、すぐ近くまで迫っています……!」

「な……! この先に〝骸〟が出現したっていうんですか!?」

 彩は驚愕する。

 ――骸。

 それは数十年前のある日に、突如として世界の各地に出現した化物の名称だ。

 最初は遙か北の巨大な島国、グリーンランド。その雪の島に、人が腐食した、まるで映画に出てくるゾンビのような生命体が大群で突如現れたのだ。その骸と呼ばれる生命体は人間の形をしているモノもあれば、虫のような複眼を持つモノ、腕を多数生やし地を這うモノ――そんな、自分達とは明らかに違う、と人々に思わせるそれらは恐怖心を各地に発生させた。

 有り体に言えば化物という一言で片がつく。詳しいことは未だ分かっていない。

 ただ、骸は意志があるのか、人々を食らいその地を征服するかのような行動をとる。

 つまるところ、人間にとっての『敵』なのだ。

 だから、武力を持つ局員がそれを駆逐する。銃で掃射するにせよ、聖脈の力を借りて使役する魔術で吹き飛ばすにせよ、武力をもって骸を退けることが出来る者は少ない。

 並の人間より脆そうな外見をしている割に、骸は頑丈だ。例を出せば鉄パイプとかいう、その辺りに落ちているもので殴ったとしても無駄だ。故に、人々は恐怖を強める。

「ですからっ、早く局員に連絡を――」

 今、彩の目の前にいる車掌もそうだ。無力で、局員に護られていないと分かると不安に取り憑かれ、冷静さを失う。もしこの車両に、彩以外に局員が乗車していたならば、この焦燥も少しは静かなものとなっただろう。

 ――いや、そりゃないよね。

 彩が戦慄を覚えた理由。それは『この日本国内で、北海道以外に〝骸〟が出現した』という事実だ。

 日本に骸が出現したのは十九年前、シベリアが骸に支配され、その勢いが一度沈静化したかのように思われた矢先の出来事だった。北海道の端から次々と出現した〝骸〟は、ゆっくりとだが、北海道を掌握していった。

 一年間、日本と自衛局は骸軍と戦った。結果、北海道民の半数以上を本州に避難させ、骸の軍勢を北海道内で抑えることに成功。

 それから骸はぱったりと侵略の手を止め、日本側と膠着状態――日本だけでなく、世界中でその兆候が見られた――に陥った。それから度々、少数で侵攻を再開するように見せかけたり、ゲリラのように本州の北端辺りに乗り込んでくる骸がいたが、そのいずれも、自衛局は退けた。そんな骸の出現も、自衛局はもみ消していた。

 仮初の、いつ終わるか分からない平和が訪れていたのだ。

 では、今この瞬間に骸が現れたということが何を意味するのか。

「……っ」

 正式に局員ではないが、彩は小さな頃から訓練を積んできた。いつどうなるか分からない……そんな恐怖があったから、それを消し飛ばせるほど強くなりたいと思ったから。

 そして今、その時がきた。

 化物――骸が、長い膠着状態を破って行動を再開したのだ。

「……よし、行こう……」

 常に携帯しろと言われている焦茶色のポーチを腰に装着し、中から手甲を取り出し、両手に嵌める。

「徒丸様……まさか、局員でもないあなたが……!」

「両親のもとで、ある程度の訓練は積んでいます。一体くらいなら、シミュレータで何度も相手にしたことがあります」

 濃藍の長い髪を一つにまとめる。

 上着を脱いで袖の短いシャツとジーンズという軽装になった彩は、車掌が入ってきたドアを出て、

「ここの扉を開けて下さい。大丈夫です、すぐ終わらせます」



 ――あれだ。

 車掌の心配そうな顔で送られて――だが彩に向けられたというよりも、彩が駄目だった場合の自分達を不安に思うものだった――、列車を降り走っていた彩は、一体の人間じみた化物を視認する。

 実物を見るのは初めてであり、確証があるわけではないが……一目見て、彩は湧き出る恐怖と本能的な敵意を抑えられなかった。

 列車のライトが照らす地下空間。カーブの途中であったため列車自体は端の方しか見えていないが、彩がいる位置から一キロも離れていない。列車にとってすぐ近くであることは間違いなかった。

 地に垂れるほど異様に長い髪は煤けた灰色で、それは顔を隠している。肌は全体的に浅黒く、骨張った全身は肉がないと思うほどに細い。だが、

 上半身と下半身、太腿の付け根――そこから、左右それぞれ五本……つまり十本の足が生えているということが、彩の目を最も引いた。まるで産まれたての馬のような、立ち上がり方を知らないように見えるそれは、千鳥足でゆっくりと線路上を進んでいる。

 そんな、化物以外に呼びようがない骸の手前二十メートル程度の場所で、彩は足を止める。自身を睨む彩に気付いたのか、前髪に隠されたその奥で骸の目立が強く青く発光し、その口で歓喜するような叫びを上げた。

 耳を突き刺すような高音の雄叫びに彩は顔をしかめる。

 資料で見るより、シミュレータで相手にしたものより、威圧感がある……!

 ぞっと背に走る無意識の震え。

 初めて実際に目にする骸により得る畏怖から一歩下がろうとする右足を、彩は勇気を持って踏み出し、

「――〝六条煌の砲撃者(スターサファイア・シューター)〟、起動……!」

 脳内で撃鉄を落とし手甲――〝六条煌の砲撃者〟と聖脈を交絆させ、聖脈を流れる惑星(ほし)の力――霊力(エーテル)を全身に通す。体中が充実した暖かいなにかに満たされる感覚を得て、同時に体が軽くなる。

 父さんのは……やっぱり、凄い。

 聖脈交絆機構・〝六条煌の砲撃者〟は、彩が父から譲り受けたものだ。

 彩は過去数度、この〝六条煌の砲撃者〟を実際に起動したことがあった。だが、その〝六条煌の砲撃者〟の身体能力の向上指数は、シミュレータで擬似戦闘訓練時に使用する訓練用量産型聖脈交絆機構のそれよりも大幅に上だった。

 彩の使っていたそれも〝六条煌の砲撃者〟に能力、性能共に似せた造りをしていたらしいが、本物は格が違う。

 大きな、それも貴重である宝石を惜しげなく使っている〝六条煌の砲撃者〟は、非常に高価だ。前線から退いたから、という理由で父は彩にそれを渡したが、譲り受けた彩自身はありがたいながらもこんなもの自分があっさりと貰っていいのか、と恐縮すらしていた。

 ――だがおよそ十八年の静寂を破り、彩の目の前には骸が存在している。

 こういった自体に陥った今では、彩はある意味軽い自身の父親に感謝した。

 十本足の骸が二度目の咆哮を放つと同時に、彩は接近を試みた。

「せッ――!」

 反撃があると彩は思い、すぐに退避か防御が出来るように、加えて骸の強度を測るためにも拳を弾くように打ちつける。

 ごぉん、と――仮にも人に近い形をしている生物に打ちつけたとは思えないような重厚な音が響いた。

「かっ……た……ッ!?」

 思っていたよりも、骸自体の硬度が高い。生身を打った感覚というより、

 下手な岩塊よりも硬い……!

 すぐさま後退した彩は、右手に残る僅かな痺れに、シミュレータよりもずっと硬いその感覚に戦慄する。

 だが幸いか、骸自体の動きも反応も酷く緩慢だった。殴打して数秒経った今になって何があったのか、と自身の肩口に首を傾げつつ目をやっている。

 けりをつけるなら、今のうち……!

 骸は、頭を飛ばせば基本的に絶命する。

 人に近い形をしているからなのか、と彩は思うが、実際のところは分からない。分からないから『化物』なのだろう。

 骸が彩に再び視線を寄越す。拳を打ちつけ接近した際に感じた鼻を刺すような腐臭を想起し、彩は顔をしかめる。

 骸は再び咆哮を上げた。一度目と二度目の咆哮は迷子が母親を見つけた時のような待望の歓喜が滲んだようなものに感じたが、今回のそれは、敵意と憎悪に満ちているように思えた。

「……っ」

 気圧されちゃ駄目だ、と彩は胸中で自身を奮い立たせる。

 初めて味わう、本物(リアル)の骸。姿形、感触、声、臭い――滲み出す『化物』の気配。

 何度も何度も襲う恐怖。いくら隠しても隠しきれない、本能的な恐怖。

 だが。

 ――ボクみたいに力を持っているならまだいい。けど、普通の人はなにも出来ないんだ。もっと、怖いはずだ。

 だから、ボクはこの骸をここで倒したい。見たくないから――一方的に蹂躙される人達を、見たくないから。

 彩が睥睨する先、骸は右腕を真っすぐ伸ばし、手を剣の切先のように変質させた。脚とそれを軽く打ち付け金属音に近いものを鳴らした骸は、剣と化した右腕をでたらめに振る。骸が放つ二つの青い眼光が反射し、ちらちらと光った。

 その動きは玩具を手にした幼児と同様のものに思えた。

 だからこそ機は今なんだ、と彩は大きく一歩を踏み出し、止めを刺すべく骸に肉薄。

 数メートル離れた距離も、聖脈交絆機構を通して霊力を体に満たし強化した状態ならば、二秒とかからず詰めることが可能。

 きぃ? と、虫が鳴くような疑問の色を含んだ声らしきものが、上体を低く落とした彩の頭上から漏れる。骸のものだろう。

 まるで無垢な幼子のよう――。

 そんな考えが脳裡を掠め、躊躇が生まれる。

 なまじ人と同じような容姿をしているからか。まだこの骸が何もしていないからか。


 だけど、これは、骸は、ボクの、敵だ。

 誰がどう言っても、ボクはこいつらを許さない……!


 躊躇を踏み躙り、頭の中身を――骸を葬り去ること一色のみに塗り替える。

 一つにまとめた濃藍の髪が振り乱される感覚。それほどまでに、自分は疾く動いている。その速度も上乗せし、拳を強く握った。

 ありったけを握り締めた右の拳で、骸の顎にアッパーカットを叩き込む――が。

「ボクは」

 更に硬く、鉄塊を凌駕。やはりどこも、こんな硬度なのだろう。

 一撃目はいくら軽いものだとはいえ、砂河園(さごうえん)――中学の修学旅行で行った、青森にある骸軍侵攻阻止戦の主戦場である今は砂礫しか残らない地域だ――にある自分と同程度の大きさの岩に崩壊寸前に追い込む程の亀裂を入れることくらいは出来たはずだ。

 だが、あの骸は虫が止まった程度の反応しか示さなかった。

 つまり、一撃目やそれの数倍程度の威力である二撃目では、まともにダメージが通らないということ。

 ……けど、それは予想済みなんだ。

「あなた達を」

 心の虚無に種火を熾すように。

 筋力を込めるものとは違う種の神経回路を、叩き起こす。

 最初に聖脈から取り入れた霊力によって生成された回路『自己聖脈(パーソナルライン)』が、多くの霊力を送るべく脈打つ。

 それらの核である心臓内に存在する特殊臓器『霊臓(エーテルアッセンブラ)』が拍動と違うタイミングで大きく動く異物感。それは聖脈交絆機構を介在し身体に通した霊力を凝縮、変質させる。一般人とは異なる一つの過程は、本来人類には与えられていないはずの力を呼び起こす。

 ぎき、と骸が呻くように声を漏らしている。だが、恐らく大したダメージではないと彩は確信を持つ。

 青の眼光が狐目のように細められ、自分に向けられている。――明らかな、敵意を持って。

 刃と化した右腕が振り上げられている。鋭利であるかどうかは計り知れないが、あの硬度の物が振り下ろされればただでは済まないだろう。

 決める。

 霊臓で生成した力を放つための霊力を、開いた自己聖脈を通し骸の顎に触れている右の拳に集中させる。準備は整った。

 その間、実に二秒足らず。動きの鈍いこの骸にとって、十分過ぎる時間だ。

 心に刻まれた、ただ一言をぶつけるように呟き、

「――許さないッ!」

 力を――凝縮した霊力を放出、爆発させる。

 下から上に抜ける突風、空間を揺らすほどに響く轟音と共に、地下にあるはずのない眩い蒼穹が咲き、爆ぜた。

「うぐ――……っ」

 自らがもたらした衝撃の余波で、彩は大きく吹き飛んだ。全身の至る所を襲う痛みを抑え、すぐに立ち上がる。

 今の一撃は、彩が母親に「零距離砲撃ってとこねっ」とからかうように笑いながら言われたものだ。〝砲撃者(シューター)〟と名のつく聖脈交絆機構だが、彩は一度も遠距離攻撃を成功させたことはない。

 だが、零距離でしか放てない自身の渾身の一撃を当てるために近距離戦闘術を磨いてきた彩にとって、些末な問題だった。

 本来は遠距離射程の爆弾みたいなものだから右腕は相当痛くなるし、乱発は出来ない一発兵器だけど……。

 彩は、青あざに触れた時のような激痛を右腕全体に感じつつも、光の残滓がほのかに照らす空間で、骸を探す。

 見付けるのに時間はかからなかった。

「っ……う」

 彩は視線の先のそれに、息をのんだ。

 弱々しく光る一つの青い目、浅黒い肌と灰色の髪……それは先の一撃によって吹き飛んだ首だった。

 ――これはボクがやったことなんだ。

 だがその顔の右頬から頭頂部の中心にかけて抉れ飛んでおり、赤い何かが覗いていた。

 彩は動かなくなったそれに近付く。途中、胴体だったものと思わしき残骸――骸は絶命すると砂のように崩れていき、これを『頽化(たいか)』と呼ぶ――を踏んでしまい、細かい砂と意外にも柔らかい肉と固い表皮組織を同時に踏むという、言いようのない気持ち悪さを感じた。

 骸の頭の前にしゃがみ込み、頽化していく骸を見て、心にもう一度刻む。

 これを、ボクはこれからずっと倒し続けるんだ、と。

 今は十年前に改正された法律によって三年伸ばされた義務教育の最中で、正式に自衛局に所属することは出来ないものの、彩はこの高校生活が終われば骸を殲滅することに人生を捧げるつもりでいた。


『どう、シて……?』


 ボクはあの人を目の前で殺された時から、骸の……あの化物のことを――っ……え……?

 唐突に聞こえた人間の女性のような高くか細い声に、彩の背筋が凍る。


『どウ、シテ、なの……?』


 二度目。

 まだ骸がいたのっ!?

 彩はそう思い即座に周囲を見渡すが、何もいない。あのおぞましい気配さえ、目の前にある骸の頭以外には、

 ……まさか、と考え――だが目の前に転がる骸の頭に恐る恐る目をやる。

 ――口が動いている。目の光が、訴えかけるように揺れている――。


『どう、しテ、アなたが……わたシを――――――――』


 しかし、それが最後。

 骸はそう言葉を吐き出した直後、力尽きるように頽化してしまった。

 心の隅には、どうして始めからそう喋らなかったのか、という疑問だけが残る。

 ……ま、いいや……。

 彩は大して気に留めず、聖脈との交絆を遮断し、列車に向かって歩いた。


 §


 長い、深みのある藍色の髪を揺らして、月明かりが照らす道を歩く。

 黒のブレザーに、灰色の地に白と水色の細い線でチェックが入っているプリーツスカートという格好の自分を見て、少女は「暗いんだよなぁ」と独り呟いた。

 疲れた……さっさと帰って風呂入って、飯にしたい……。

 一年も歩けば嫌でも見飽きる、普段と変わらない通学路を歩く。幸か不幸か、少女が歩くこの道は小学生の時も中学生の時も通学路として利用していた道だ。通学路は基本的に同じで、距離が伸びているだけ。

 この十年の間には大型のショッピングモールが完成するなどの目新しい変化がないこともなかったが、それでも少女はつまらない、と考えつつ日常を過ごしてきた。だが、

 ――骸が憎い。

 心に灯る、力強い黒い炎。少女はその意志だけは絶やさない。

「……ふん」

 鼻で笑うように息を吐き、歩調を早める。

 少女は部活動に所属しているわけではない。生徒会役員になればいい、という推薦のような脅迫は去年から受けているものの、実際に生徒会役員になっているわけではない。

 いわゆる帰宅部。だが、完全に夜の帳が降りた空は暗い。

 帰宅が遅くなった原因――それは、

 なんで私にあんなに人が寄るんだろうか……?

 春休みの任意でとることの出来る特別授業を終え、終わらせるべき用事を済ませ帰宅しようとした時に、

 ――それも、女子が。

 黄色い声を発しながら、女子生徒の大群――少なくとも二十は超えていた――が少女の許へと押し寄せたことにある。

 言ってしまえば、少女は同姓に異様なほどもてはやされている。

 眉目秀麗と言うべき中性的な顔立ちに、艶のある藍色の髪。声、態度、視線――全てが凛としていて、異性に人気があるのはもちろん、「格好良いぃー!」と半分発狂したように言い寄ってくる同姓も多い。

 今日は特にそれが著しく、一人一人に律儀に対応していたらこんな時間になってしまったのだ。警備員が来なければ夜を明かしてしまうんじゃないかと思うほどに、女子生徒達の勢いは凄まじかった。

 どうして、今日に限って……。

 少女は、昨夜母親と交わした会話を思い出す。



『私の知り合いの人で紗綾さんって人がいるんですけど、覚えてますか?』

『紗綾さん……あの元気な人?』

 頭を豪快に撫でられたのを覚えている。

『そうそう! じゃあその子供の彩ちゃん、覚えてます?』

『ああ、紗綾さんの後ろに隠れていた可愛い子か』

 半分だけ顔を覗かせ、恥ずかしそうにしていた。腰まである長く綺麗な髪が印象に残っていた。

『五歳の頃ですし、覚えてるものなんですね。さすが私の娘ですっ!』

 自分のことのように胸を張る少女の母親。こんな母親を見ていて、たまに恥ずかしくなることがある。

『親馬鹿はよしてくれるか……? ところで、その彩ちゃんがどうかしたのか?』

『えーっと、急なんですが……明日から、うちに下宿するそうなんです』

『明日ぁ!? 急だな、えらく!』

『紗綾さんって、そんな感じの勢いだけで生きてる突飛な人なんですよ……それで、(ゆう)はどう思いますか?』

 その時少女は首を傾げた。

『それを私に問う必要はあるのか? 母さんが決めたのならそれに従うが……』

 特に断る理由もなかったからだ。一応顔見知りであり、そもそも少女――結は来る者拒まずの性格だからだ。学校の女子生徒のように騒ぎ立てないなら、正直問題はないと思った。

 それに、

『紗綾さんの子供なら――自衛局についても知っているのだろう?』

『……私、紗綾さんが自衛局に所属していること、結に言いましたっけ?』

『まあ、いつだったか忘れたが、母さんが酔った時に思い出話を語っていたことがあって……その時によく名前が出ていたのを思い出して』

 言うと、母はひゃーっと変な声を出して顔を赤くした。酔っていた時の自分の話をされると恥ずかしいらしい。

『……で、どうなんだ、母さん』

 結が改めて問うと、母は咳払いをして答えた。

『ええ、知ってますよ。どころか――非公式の嘱託扱いみたいなもので、半分所属しています』



「だから――問題ないどころか、私にとっては好都合だ」

 回顧を中断し、ふと夜空を見上げる。独り言が漏れてしまった。

 この時間だ、私が家に着く頃にはその彩ちゃんとやらも到着しているだろうな――。

 そう考えると、好奇心が湧く。

 無意識に歩調が早まり、すぐに結は駆けだした。


 §


「あの、いいですから! 今日来たばかりの余所者が一番風呂なんて!」

「いいんですよ。疲れてるでしょう? 汗を流してきて下さい」

「で、でも――」

 彩は背中を押されていた。

 下宿先の主人であるらしい、三十代前半程に見える女性――名を丘樹(おかのき)百合香(ゆりか)という――は、一時間前にここに到着した彩をどうしても風呂に入れたいらしい。

 ボクが入るより前に百合香さんが入ればいいのに……!

 何度目か分からない独白を胸中で呟く。実際にこう言ったが、いいんですよいいんですよとテコでも聞かない。

 理由がさっぱり分からない彩は何度も言うが、やはり聞かない。

 そんな風のやりとりを始めて数十分後である今、彩は脱衣所に半分押し込まれている格好となってしまっていた。

「ふふ……もう入ってしまえばいいですよ……!」

 彩は割と本気に近い力で抵抗しているつもりだが、自分より頭二つ分くらい小さいはずの百合香に徐々であるがおされていることに若干の恐怖を抱く。

 この人、どこにそんな力が――!?

「ほーらほら、もう右足以外入っちゃいましたよー? 観念するのが得策というものですよぉー!?」

「な、なんでそんな必死に……!」

「え、なんですか?」

 首を傾げて笑顔。確信犯で聞いてない、と思う。そう考えてふと耳を見ると、黄色い何かが覗いていた。

「……! ……!」

 込める力を増やしつつ抵抗を試みるが、それを上回る力で押し込まれる。

 百合香も若干だが必死になってきたらしく、姿勢に乱れが生じ始める。頭を彩の胸板に押し付けるようにして押す格好となり、

「み、耳栓……!?」

 耳からはみ出ていた黄色い何かの正体が判明した。

 まず装着する意図が分からない……!

「時間がありません……、強行突破ですっ!」

「非常に不穏な発言が!」

 唐突に漏れた百合香の呟きがその怪しげな企みを示唆しているように思え、彩は動揺した。

 心の乱れは集中を欠き、彩は百合香を押し返すことのみに使っていた力を散開させてしまう。結果、

「ああ――ッ!」

 脱衣所に完全に押し込まれ、扉が迅速に閉じられた。まるで檻に入れられる囚人だ、と彩は今更ながら思った。

「着替えは適当に出しておきますから、入っちゃって下さい!」

 力尽くで開けようとドアノブを捻った状態で全身を使って扉を押すが、びくともしない。やはり押し合いで百合香には勝てないのか、と彩は自身の非力さに悲嘆する。

 はぁ、と溜息を一つ。

 観念するしかないか――。


のんびり執筆中。

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